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第三章『焔魔仙教編』

第百九十三話 まばゆい日々に【後】

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「し、失礼しました! 柄にもないことを……その、距離感が、わからなくて……」

 平然とハグをしてきたかと思えば、手にキスで真っ赤になって。たしかに、異性に対するふれあいが、シアンは不慣れなようだ。
 褒めたのに、顔を茹でダコにさせて謝られる。現代風にいえば『テンパっている』だ。その初々しさったら。

「ははっ。こっちきて、爽。頭なでたいなぁ」
「え? あ、かしこまり……う、うぅん……」

 早梅はやめを拒否することがはばかられたのか、言われるがまま目の前ですこし腰を折る爽ではあるけども、いざなでられると、複雑そうな表情でうなりはじめた。

「うれしい……うれしいんですけど、ちょっと、不本意でもあるような……」
「あらら」

 どうやら予想以上に、爽は感性がするどいようだ。早梅がほほ笑ましく頭をなでる理由が明確にはわからずとも、直感的に理解したのだろう。
 馬鹿正直に、男女の情より母性が勝っているとは、白状しないでおく。この様子だと、拗ねられてしまいそうなので。
 なんて、脳天気な考えだった。
 ごめんねの意味を込めてハグをしようとすれば、むっと唇を尖らせた爽の腕が伸びてきて、あっという間に胸のなか。

「わっと! いじけたのかい? ごめんよ。ちょっとくるし……あっはは! くすぐったい!」

 なだめるように爽の背を軽くたたく早梅だけれども、ぎゅうう、と腕の力が強まり、息苦しさに顔をしかめるひまもなく、笑ってしまう。
 すりすりとほほをこすりつけられ、爽の濡れ羽色の髪が、首すじをくすぐってたまらないのだ。
 一連の抗議を無言でしかけてくるあたり、さすが黒皇ヘイファンとよく似ているなぁ、とまた笑ってしまった。

「……マオ族の方々みたいに、がまんをやめていっそ手篭めにしたら、俺も男として見てもらえるのかな……」
「うん? ……えっ、ちょっ」

 ぼそりともらされた独り言。
 遅れてその意味を理解した早梅が、こんどはかぁあっと顔を発火させる番だった。

一心イーシンさまたちが梅雪メイシェさまとつがえるなら、俺だって……」
「ちょっと、まってまってまって! え、爽、なんで知って……」
「俺は、梅雪さまが思うより純情じゃないです。『そういうこと』をしたいって願望くらいあります。男なんですから……!」
「うわぁあああ!」

 最後の最後で爆弾を投下された気分だ。
 爽は純情じゃないと否定するが、真っ赤になりながらそれは説得力がない。
 驚きやら羞恥やらで訳がわからなくなるが、男女のアレソレを自慢げに言いふらしたであろう一心たちには、あとで一発入れよう。そうしよう。

「ね、ねやの経験はないですけど、知識くらいならあります。俺だって、梅雪さまのためにがんばれます……!」
「間違ってる! がんばる方向が間違ってるよ!」
「あ……でも、ただでさえあれだけ濃厚な気交きこうをおこなって、もう俺と梅雪さまの内功ないこうが交わってる状態なのに、男女のま、まぐわいまでしたら……こどもが、こどもができてしまう……一夜でこどもができたら、ごめんなさい、兄上……」
「間違ってる! 心配する方向も間違ってるよ、爽!」

 兄に抜け駆けを詫びる爽には、こちらの言葉が届かない。
 抱くことは決定なのだろうか。この純情青年、何気にグイグイくる。

「……ギュウ」
「ギュッ!」

 救世主ともいえる鳴き声がきこえてきたのは、とほうに暮れていた、まさにそのときである。

「うん? この鳴き声は……わわっ!」

 何事か思い当たるころ、思わぬ場所からあらわれた『彼ら』に、早梅はまんまと驚かされる。
 兄に似て生真面目な爽が、いつもより緩めな装いだなと思ってはいたが。くつろげた襟もとから、もぞもぞと黒い物体がふたつ、顔をだしたのだ。
 烏のこどもだ。きょろきょろとあたりを見まわして首をかしげたり、濡れ羽の翼をひろげたりと、各々のやりたいようにやっている。

シャオチェン!」
「おや、その子たちは昨日の」
「えぇ……おとなしいほうが兄の暁、元気なほうが弟の茜です。ごはんを食べさせてひとしきり遊んだら、眠いのか愚図ってたんですけど、なぜか俺のふところに入りたがって」
「すっかりなつかれてるね。やぁ、私は梅雪だよ。怪我はよくなったかい? 暁、茜」
「ギュー」
「ギュ!」
「あ、こら、おまえたち!」

 にこやかにのぞき込むと、爽のきものからのそのそ抜けだしてきた二羽の子烏たちが、ばさりと羽ばたいて、早梅の胸へ飛び込んできた。

「おやおや。甘えたさんかい」
「申し訳ありません、梅雪さま……」
「かまわないさ。こういうのはこどもの特権だよ。ふふっ、かわいいねぇ。よしよし」
「キュウ……」
「クゥ……」

 袖でつつみ込み、ちいさな頭を指の腹でなでてやると、暁も茜も目を細め、胸へすり寄ってくる。
 あれだけ警戒心の強かった子烏たちがこうも甘えるのは、じぶんたちを助けてくれたのが早梅だと、理解しているからなのだろう。おさないながらに賢い子たちだ、と爽は思う。

「あなたは、人のみならず、動物までもことごとく魅了してしまうのだな」

 ほほ笑ましい日常のひとときに、子烏とたわむれていた早梅は、はたと顔をあげる。
 ゆったりとした足取りで歩み寄る少年のすがたを、向かい合った爽の肩越しに認めた。

「殿下……!」

 鈴の声音に呼ばれた暗珠アンジュは、薔薇輝石の双眸を細め、くしゃりと笑んだ。
 長らく離別していた想いびとを前にしたように。ともすれば、泣きだしてしまいそうに。

「私の姫……梅雪。あなたはどうして、そんなにもまぶしいのか」
 
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