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第三章『焔魔仙教編』
第百八十七話 夜明け【前】
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「梅梅……起きろ梅梅っ!」
「──っ!」
肩をゆさぶられる感触とくり返される呼び声に、意識が覚醒する。
「風おじいさま……んくっ!」
「よかった、目を覚ましたか。無理はすんなよ、途中まで飲み込まれてた。ったくあの野郎、好き放題やりやがって」
はじかれたように上体を起こしたそばから、めまいでからだを折れば、寝台の端に腰かけた晴風に背をさすられる。
嫌な汗がにじみ、夜着にはりついている。は、は……と浅い呼吸をなんとかととのえた早梅は、ふと敷布を握りしめていた自身の右手が目に入った。
晴風の左手首と結ばれていた山吹色の髪紐は、焼ききれていた。
(邪悪なものを断ち切る風おじいさまの陣法がなければ、この程度では済まなかっただろう)
身震いしそうになるおのれを叱咤する。
現実でも飲まれて、なるものか。
「落ち着いたか? してほしいことがあったらなんでも言え」
「ありがとうございます。着替えたいので、お水と手ぬぐいをいただけるとうれしいです」
「おっしゃ、傷の手当てもしなきゃだしな。薬も取ってくる。ちょっと待ってな」
膝を叩いて立ち上がった晴風の背が見えなくなると、ズキ……と思いだしたように左の首すじが痛む。
ふれた指先を見てみれば、うっすらと血がにじんでいた。
「……吸血鬼か」
ひとの生き血を啜ってよろこぶなど、そうとしか思えない。
頭をかかえたくなる要因は、それだけではない。
(飛龍は私の血を摂取して、症状が悪化するどころか、改善したように見えた……『氷毒』が効いていないのか!?)
まさか、ほんとうに克服したというのか。
それに、飛龍がいっていた『射陽伝説』に続きがあること、『千年翠玉』の正体……謎に謎が絡みあって、頭痛がするなんてものではない。
「私を困らせて楽しむとは、いい趣味をしているな。はぁ…………うん?」
嘆息をこぼしたとき、トントン、とどこからか物音がきこえた。
耳をすまし、それが背後の格子窓を叩く音だと気づいた早梅は、不思議に思い、そっと窓を押し開けてみた。
「こんばんは。おじゃましますね、よいしょっと」
「え……なっ!?」
月明かりとともに、窓のすきまからするりと入り込む影がある。
あっけに取られた早梅は、思いのほか大きかったその影を受けとめきれず、寝台へ倒れ込んでしまう。
なんだろう。なにがなんだかよくわからないが、すごくもふもふしたものがある気がする。
「こっちのすがただとなにかと不便なのですが、梅雪に毛づくろいしてもらえるならいいかもですね、ふふっ」
いまとなっては聞き慣れた声がする。
それは、月光のように白い毛並みに、熟れた柘榴のような瞳をした、一頭の狼の口から発されたものだ。
「まさか……憂炎!? どうして……!」
「今夜は満月なので、目が冴えちゃって。ただでさえ眠れない夜をすごしてきたんです。寂しくて寂しくてきちゃいました」
早梅にのしかかった白狼──もとい憂炎が、くぅ……と甘えたように鳴いて、鼻先をこすりつけてくる。大きな三角耳がひょこひょこと動いて、ふさふさのしっぽがごきげんにゆれている。
「大好きな梅雪に添い寝してもらえるなら、いい夢も見れそうだと思ったんですけど……」
不自然に言葉が区切られたかと思えば、ふいに風が吹き、頭上をおおう影がかたちを変える。
「嫌なにおいがしますね……どこぞの下衆野郎にさわられたのだか」
気づけば、青年のすがたをした憂炎に見下ろされている。完全なひとではなく、耳としっぽを残した半獣のすがただ。
「血がでてる……噛まれたの? ふざけてるね。あなたに噛みついていいのは、俺だけなのに」
「憂炎……ちょっと、まって」
「だぁめ。俺が舐めて治します。ほらじっとして? ん……」
「ひゃっ……」
れろり、と傷口に熱い舌が這う。
狼族の、憂炎の唾液は、たいへんよろしくない。
案の定、ふれた箇所から熱がひろがり、痛覚が麻痺する。頭がぼんやりとして、酔いがまわるようだ。
「──っ!」
肩をゆさぶられる感触とくり返される呼び声に、意識が覚醒する。
「風おじいさま……んくっ!」
「よかった、目を覚ましたか。無理はすんなよ、途中まで飲み込まれてた。ったくあの野郎、好き放題やりやがって」
はじかれたように上体を起こしたそばから、めまいでからだを折れば、寝台の端に腰かけた晴風に背をさすられる。
嫌な汗がにじみ、夜着にはりついている。は、は……と浅い呼吸をなんとかととのえた早梅は、ふと敷布を握りしめていた自身の右手が目に入った。
晴風の左手首と結ばれていた山吹色の髪紐は、焼ききれていた。
(邪悪なものを断ち切る風おじいさまの陣法がなければ、この程度では済まなかっただろう)
身震いしそうになるおのれを叱咤する。
現実でも飲まれて、なるものか。
「落ち着いたか? してほしいことがあったらなんでも言え」
「ありがとうございます。着替えたいので、お水と手ぬぐいをいただけるとうれしいです」
「おっしゃ、傷の手当てもしなきゃだしな。薬も取ってくる。ちょっと待ってな」
膝を叩いて立ち上がった晴風の背が見えなくなると、ズキ……と思いだしたように左の首すじが痛む。
ふれた指先を見てみれば、うっすらと血がにじんでいた。
「……吸血鬼か」
ひとの生き血を啜ってよろこぶなど、そうとしか思えない。
頭をかかえたくなる要因は、それだけではない。
(飛龍は私の血を摂取して、症状が悪化するどころか、改善したように見えた……『氷毒』が効いていないのか!?)
まさか、ほんとうに克服したというのか。
それに、飛龍がいっていた『射陽伝説』に続きがあること、『千年翠玉』の正体……謎に謎が絡みあって、頭痛がするなんてものではない。
「私を困らせて楽しむとは、いい趣味をしているな。はぁ…………うん?」
嘆息をこぼしたとき、トントン、とどこからか物音がきこえた。
耳をすまし、それが背後の格子窓を叩く音だと気づいた早梅は、不思議に思い、そっと窓を押し開けてみた。
「こんばんは。おじゃましますね、よいしょっと」
「え……なっ!?」
月明かりとともに、窓のすきまからするりと入り込む影がある。
あっけに取られた早梅は、思いのほか大きかったその影を受けとめきれず、寝台へ倒れ込んでしまう。
なんだろう。なにがなんだかよくわからないが、すごくもふもふしたものがある気がする。
「こっちのすがただとなにかと不便なのですが、梅雪に毛づくろいしてもらえるならいいかもですね、ふふっ」
いまとなっては聞き慣れた声がする。
それは、月光のように白い毛並みに、熟れた柘榴のような瞳をした、一頭の狼の口から発されたものだ。
「まさか……憂炎!? どうして……!」
「今夜は満月なので、目が冴えちゃって。ただでさえ眠れない夜をすごしてきたんです。寂しくて寂しくてきちゃいました」
早梅にのしかかった白狼──もとい憂炎が、くぅ……と甘えたように鳴いて、鼻先をこすりつけてくる。大きな三角耳がひょこひょこと動いて、ふさふさのしっぽがごきげんにゆれている。
「大好きな梅雪に添い寝してもらえるなら、いい夢も見れそうだと思ったんですけど……」
不自然に言葉が区切られたかと思えば、ふいに風が吹き、頭上をおおう影がかたちを変える。
「嫌なにおいがしますね……どこぞの下衆野郎にさわられたのだか」
気づけば、青年のすがたをした憂炎に見下ろされている。完全なひとではなく、耳としっぽを残した半獣のすがただ。
「血がでてる……噛まれたの? ふざけてるね。あなたに噛みついていいのは、俺だけなのに」
「憂炎……ちょっと、まって」
「だぁめ。俺が舐めて治します。ほらじっとして? ん……」
「ひゃっ……」
れろり、と傷口に熱い舌が這う。
狼族の、憂炎の唾液は、たいへんよろしくない。
案の定、ふれた箇所から熱がひろがり、痛覚が麻痺する。頭がぼんやりとして、酔いがまわるようだ。
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