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第三章『焔魔仙教編』
第百八十六話 夢か現か【後】
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「あまり愛い表情をすると……虐めたくなる」
飛龍の様子が一変した。それまでのやつれた面持ちがうそのように、生命力がみなぎっている。
「ほら、どうした梅雪。あらがわねば、抱いてしまうぞ? 私たちはたいそう相性がいいから、また孕んでしまうやもしれぬな」
「このっ……!」
「私が欲しているのは、あくまでそなたの『くちびる』……だがな梅雪、そなたが私の『からだ』を欲してくれさえすれば、すべてが『かみ合う』のだ」
「おのれ、はじめからそれが狙いか……!」
暴れる早梅の四肢をいともたやすく押さえつけた飛龍が、情欲に濡れた緋色のまなざしで見下ろしてくる。
「──思いだせ。その胎に精を注いだのはだれなのかを。そのからだを隅々まで愛しつくしたのはだれなのかを。さぁ梅雪、その細腕を伸ばせ。私が悦ばせてやろう。その鈴の声音で喘がせ、淫らによがらせてやろう。私に堕ちろ……梅雪。わが梅花の姫よ」
脚のあいだにひざを割り入れられた状態で胸を押し返したとて、なんの抵抗にもならないだろう。
とうてい逃げおおせぬことは、わかっていた。おのれには打つ手がない現状を、早梅は理解していた。
ゆえに手を伸ばす。
「梅雪……」
恍惚とした笑みで顔を寄せる飛龍のほほにふれることはなく、はるか頭上。血色の太陽を飲み込むかのごとく澄みわたった、瑠璃色の空へ。
──リィン。
宝玉がこすれあうような玲瓏な音色がひびいた刹那、早梅の右の手首に、ぴんと結ばれた山吹色の紐が出現する。
「その手をいますぐ引っ込めな、この屑野郎」
──ビュオウッ!
突如、氷風が吹きすさぶ。
たちまちに白い風に巻かれた早梅が次にまぶたをあげたときには、翡翠の髪をたなびかせ、瑠璃の双眸で飛龍をにらみつける青年に抱き上げられていた。晴風だ。
「やい、そこの。てめぇがかの有名な陰湿糞下衆屑野郎こと皇帝陛下とやらだな。はじめましてだが俺ぁもうてめぇが嫌いだ! うちの梅梅にベタベタさわりやがって!」
こめかみに青筋を浮かべ、出会い頭にぶしつけな物言いをまくし立てる晴風を前に、飛龍が怪訝に眉をひそめる。それもそうだろう。
「……早家当主は、たしかにこの手で殺したはずだが」
「ちげぇよ、はじめましてっつったろ。父ちゃんじゃねぇ、俺は梅梅の先祖だ、残念だったな!」
「妙な気配だな……神か仙人か」
「話がはやくて助かるぜ。ついでにいいことを教えてやる。てめぇは金王母に目をつけられてる。そのうち天罰が下るだろうよ。調子乗ってられんのもいまのうちだぜ、ハッ!」
「すごい悪人面です、風おじいさま」
鼻を鳴らしてせせら笑う晴風を見上げながら、早梅は安堵をおぼえていた。
殺したはずの早家当主と瓜ふたつの青年の登場は、飛龍に多少なりとも衝撃をあたえたはずだ。
事実、風ひとつ吹かないこの世界に、粉雪は舞っている。
『飛龍の支配』に、ほころびが生じている証拠。
「てめぇに一発くれてやりてぇのは山々だが、最初にそれをすんのは俺じゃねぇ」
ひとりでは力不足かもしれない。けれど晴風がそばにいる。
かつての悪夢をふり払うためにも、早梅は凛として飛龍を見据える。
「あなたはひとを殺しすぎた。その罪を私が、私たちが裁こう。こんどは私が会いにゆく。待っていろ、羅飛龍」
絡まりあう瑠璃と緋色のまなざし。
「……くっ……ふははは! なんとも熱烈な愛の告白だな!」
敵意を向けられてなお、可笑しげにわらいだすその精神状態は、もはや常人の枠にはとどめられないものなのだろう。
「その言葉、違えるでないぞ、梅雪」
瞳孔のひらききった緋色の眼光に射抜かれるも、早梅はうろたえない。決して逃げないと、こころに決めた。
一歩たりとも退かぬ早梅に、飛龍も満足げにわらう。
「今宵の遊興の礼に、私からもひとつ、よいことを教えてやろうか。はじまりの物語……わが祖先、羅緋龍が太陽を射落とした伝説には、続きがある」
「……なんだと?」
「おい、下手な作り話で梅梅の気を引こうってんなら、ただじゃおかねぇぞ」
飛龍がいうのは、おそらく『射陽伝説』に間違いないだろう。早梅のみならず、晴風も顔をしかめる話題だ。
「ふ……その様子、早家当主は、そなたに『すべて』を明かしてはいないようだな」
「……あなたはなにが言いたいのだ」
「わが羅皇室と早一族が、はるか昔から、とうてい切り離せぬ関係にあるということだ」
なにを言っているのだ、飛龍は。
古くから外界とのつながりを遮断してきた早一族が、皇室と関わりがあるなどと。
「早一族のみにつたわる秘薬『千年翠玉』──それがなぜうまれたのか、なにを原料としているのか、考えたことはあるか?」
「──!」
「その答えは、そなたの身近にあるぞ、梅雪」
飛龍の言葉は、『すべて』を知っている者の口ぶりだ。
「迷え、足掻け。そして、必ずや私のもとへ来い、勇ましきわが姫よ」
「梅梅ッ!」
「風おじいさまっ……!」
がくん、と視界がゆらぐ。
ばらばらと足もとからくずれゆく世界で、晴風は叫ぶ。
早梅が腕からこぼれおちてしまわぬよう、きつくきつく、抱きすくめた。
早梅も腕をまわし、晴風の背にしがみつく。
「ゆめゆめ忘れるな、梅雪。私がそなたを愛していることを。次こそは──逃さぬ」
土煙に飲まれる視界の端にとらえた飛龍は、わらっていた。
それが、最後におぼえている光景だ。
飛龍の様子が一変した。それまでのやつれた面持ちがうそのように、生命力がみなぎっている。
「ほら、どうした梅雪。あらがわねば、抱いてしまうぞ? 私たちはたいそう相性がいいから、また孕んでしまうやもしれぬな」
「このっ……!」
「私が欲しているのは、あくまでそなたの『くちびる』……だがな梅雪、そなたが私の『からだ』を欲してくれさえすれば、すべてが『かみ合う』のだ」
「おのれ、はじめからそれが狙いか……!」
暴れる早梅の四肢をいともたやすく押さえつけた飛龍が、情欲に濡れた緋色のまなざしで見下ろしてくる。
「──思いだせ。その胎に精を注いだのはだれなのかを。そのからだを隅々まで愛しつくしたのはだれなのかを。さぁ梅雪、その細腕を伸ばせ。私が悦ばせてやろう。その鈴の声音で喘がせ、淫らによがらせてやろう。私に堕ちろ……梅雪。わが梅花の姫よ」
脚のあいだにひざを割り入れられた状態で胸を押し返したとて、なんの抵抗にもならないだろう。
とうてい逃げおおせぬことは、わかっていた。おのれには打つ手がない現状を、早梅は理解していた。
ゆえに手を伸ばす。
「梅雪……」
恍惚とした笑みで顔を寄せる飛龍のほほにふれることはなく、はるか頭上。血色の太陽を飲み込むかのごとく澄みわたった、瑠璃色の空へ。
──リィン。
宝玉がこすれあうような玲瓏な音色がひびいた刹那、早梅の右の手首に、ぴんと結ばれた山吹色の紐が出現する。
「その手をいますぐ引っ込めな、この屑野郎」
──ビュオウッ!
突如、氷風が吹きすさぶ。
たちまちに白い風に巻かれた早梅が次にまぶたをあげたときには、翡翠の髪をたなびかせ、瑠璃の双眸で飛龍をにらみつける青年に抱き上げられていた。晴風だ。
「やい、そこの。てめぇがかの有名な陰湿糞下衆屑野郎こと皇帝陛下とやらだな。はじめましてだが俺ぁもうてめぇが嫌いだ! うちの梅梅にベタベタさわりやがって!」
こめかみに青筋を浮かべ、出会い頭にぶしつけな物言いをまくし立てる晴風を前に、飛龍が怪訝に眉をひそめる。それもそうだろう。
「……早家当主は、たしかにこの手で殺したはずだが」
「ちげぇよ、はじめましてっつったろ。父ちゃんじゃねぇ、俺は梅梅の先祖だ、残念だったな!」
「妙な気配だな……神か仙人か」
「話がはやくて助かるぜ。ついでにいいことを教えてやる。てめぇは金王母に目をつけられてる。そのうち天罰が下るだろうよ。調子乗ってられんのもいまのうちだぜ、ハッ!」
「すごい悪人面です、風おじいさま」
鼻を鳴らしてせせら笑う晴風を見上げながら、早梅は安堵をおぼえていた。
殺したはずの早家当主と瓜ふたつの青年の登場は、飛龍に多少なりとも衝撃をあたえたはずだ。
事実、風ひとつ吹かないこの世界に、粉雪は舞っている。
『飛龍の支配』に、ほころびが生じている証拠。
「てめぇに一発くれてやりてぇのは山々だが、最初にそれをすんのは俺じゃねぇ」
ひとりでは力不足かもしれない。けれど晴風がそばにいる。
かつての悪夢をふり払うためにも、早梅は凛として飛龍を見据える。
「あなたはひとを殺しすぎた。その罪を私が、私たちが裁こう。こんどは私が会いにゆく。待っていろ、羅飛龍」
絡まりあう瑠璃と緋色のまなざし。
「……くっ……ふははは! なんとも熱烈な愛の告白だな!」
敵意を向けられてなお、可笑しげにわらいだすその精神状態は、もはや常人の枠にはとどめられないものなのだろう。
「その言葉、違えるでないぞ、梅雪」
瞳孔のひらききった緋色の眼光に射抜かれるも、早梅はうろたえない。決して逃げないと、こころに決めた。
一歩たりとも退かぬ早梅に、飛龍も満足げにわらう。
「今宵の遊興の礼に、私からもひとつ、よいことを教えてやろうか。はじまりの物語……わが祖先、羅緋龍が太陽を射落とした伝説には、続きがある」
「……なんだと?」
「おい、下手な作り話で梅梅の気を引こうってんなら、ただじゃおかねぇぞ」
飛龍がいうのは、おそらく『射陽伝説』に間違いないだろう。早梅のみならず、晴風も顔をしかめる話題だ。
「ふ……その様子、早家当主は、そなたに『すべて』を明かしてはいないようだな」
「……あなたはなにが言いたいのだ」
「わが羅皇室と早一族が、はるか昔から、とうてい切り離せぬ関係にあるということだ」
なにを言っているのだ、飛龍は。
古くから外界とのつながりを遮断してきた早一族が、皇室と関わりがあるなどと。
「早一族のみにつたわる秘薬『千年翠玉』──それがなぜうまれたのか、なにを原料としているのか、考えたことはあるか?」
「──!」
「その答えは、そなたの身近にあるぞ、梅雪」
飛龍の言葉は、『すべて』を知っている者の口ぶりだ。
「迷え、足掻け。そして、必ずや私のもとへ来い、勇ましきわが姫よ」
「梅梅ッ!」
「風おじいさまっ……!」
がくん、と視界がゆらぐ。
ばらばらと足もとからくずれゆく世界で、晴風は叫ぶ。
早梅が腕からこぼれおちてしまわぬよう、きつくきつく、抱きすくめた。
早梅も腕をまわし、晴風の背にしがみつく。
「ゆめゆめ忘れるな、梅雪。私がそなたを愛していることを。次こそは──逃さぬ」
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