185 / 263
第三章『焔魔仙教編』
第百八十一話 紅顔人【後】
しおりを挟む
リン、リンと、どこかで鈴虫が鳴いている。
「梅雪さま」
かっとほほが熱をもつ。
なぜそんなに、吐息をもらすような熱を浮かべて、名を呼ぶのか。
「私からも、よろしいですか?」
なにを? だなんて、どこからともなくやってきた気恥ずかしさで手一杯な思考回路では、ろくに聞き返すこともできなかった。
固まった早梅へほほ笑み、五音が筆を持ちかえる。彼がそれまで使っていた白穂の筆だ。
「──『紅顔人』」
袖がひらめき、しめやかな月夜に、筆がすべる。
耿耿紅顔人
梅如雪中生
月色感甘芳
晴翠射荒城
業火灼不盡
春風吹又薫
頼聞玲華唱
至高塵襟清
またたく星を背景に、淡い光の文字が描かれる。
まるで光の手品でも目にしているような幻想的な光景に、早梅はしばし時を忘れ、魅入っていた。
耿耿たり 紅顔のひと
雪中に生ず 梅の如し
月色 甘芳に感じ
晴翠 荒城に射す
業火灼けども尽きず
春風吹きて また薫る
玲華の唱を聞くに頼りて
至高 塵襟清まれり
ちらちらと揺らめく光のようにうら若き乙女は
雪中に芽吹く梅のごとくいじらしい
月の光を目にすれば
あなたの甘い香りと今宵のことを思い出し
あなたの髪の翡翠色が
きらきらと陽光に輝く植物の緑のごとく
荒れた城のような私のこころに萌えいづる
たとえ地獄で業火に灼かれたとしても
この想いは尽きることなく
春がおとずれるたび 何度でも思い出すでしょう
あなたの宝玉がこすれ合うように美しい声を耳にすると
こころ洗われ 至高の幸福に満たされるのです
「梅雪さまへの想いを綴った詩です。いかがでしたか?」
「へっ……あっ」
なにを言われたのか、すぐには理解できなかったが、遅れて全身が発火するような羞恥がわき上がる。
(これって、これって……もしかしてラブレターとかいうやつ!?)
もしかしなくてもそうである。
「う、五音さま……」
「そう恥ずかしがらずに、可憐なお顔を見せてください」
「ひぇ……」
「あぁ、ほんとうにうれしいです。この愛を受け入れてくださったのですね、私の花妻」
「いつ結婚しましたっけ……?」
「この『名筆』で、私の『字名』を書いてくださったでしょう?」
「ふぇっ、なふで?」
五音によると、猫族では赤ん坊の髪をはじめて切りそろえたとき、切った髪で筆を作り、お守りにするのだという。
「成人した猫族が『名筆』を異性へ預けることは、求婚を意味するんです」
「えっ、ちょっ、うそでしょ!」
「梅雪さまは、この『名筆』で『五音』ではない『名前』をお書きになりましたよね」
「それはっ、なんか自然に思い浮かんだというか、手が勝手に動いてっ!」
「そういうものです。『名筆』はもち主への『好意』に反応するものですから。つまり、梅雪さまが私に感じてくださっている『好意』です。『名筆』で書かれた『名前』は、もち主に直接つたわります。それこそが『字名』──あなたが私にくださったもの。あなただけが呼ぶことを許される名。私たちが夫婦になったという証なのです」
「きゃあああっ! まってまって、待ってください! そりゃたしかに五音さまのこと尊敬してますけど、それは愛情っていうか親愛でっ!」
「どちらにせよ、『好意』に変わりはありませんね」
「判定ガバガバすぎやしませんか!?」
じりじりと後ずさっていたが、それも悪あがき。
「梅雪さま。猫族ではないあなたに『字名』をお返しすることは叶いませんが、私の愛をこめた詩を贈りました。種族のちがいなどささいなこと。私の生涯をかけて愛し、尽くすことを誓いましょう」
「わかりました、とりあえずおたがい落ち着きま……」
みなまで言えなかった。
しなやかな腕に、腰を絡めとられてしまったために。
「甘い香りが心地いい……花びらを食んでいるかのようです」
「んっ……」
やわく吸われるような、しっとりとした口づけだった。
「っふ……五音、さま……」
「ちがうでしょう?」
熱がはなれたかと思えば、つう、と下唇を親指の腹でなぞられ。
「あなただけの私は、なんという名ですか?」
掠れた吐息に鼓膜をくすぐられ、あまく、やさしく責め立てられる。
「……り……玲音、さま」
耐えかねて声を絞りだした早梅の頭上で、くすりと笑い声がもれた。
「紅顔人」
「あっ……んむ」
ちらりと牙をのぞかせた唇に、かぷ、とやわく噛みつかれる。
おどろいた拍子に半開きになった口内へ、ぬるりと熱が押し入った。
「……ん」
「ふぁっ……はぁ、んんっ」
浅く、深く。
ときに角度を変えながら、ねっとりと舌を絡める濃厚な口づけに、たがいの境界線すらわからなくなる。
「も……むり、です……りん、おん、さまぁっ……!」
どうにもたまらなくなり、瑠璃の瞳いっぱいに涙をためて懇願した早梅は、ずるりと五音の胸へしなだれかかる。
「ふふっ……すこし、意地悪がすぎましたね。ゆるしてください」
可笑しげに声をふるわせる彼は、言葉でいうほど、悪気を感じてはいないのだろう。
くすぐるように何度か早梅のほほをなでた指先が翡翠の髪を梳き、あらわになった少女のひたいへ、口づけがひとつ。
「愛しています。──私の愛しいひとが、よい夢をみられますように」
子守唄のごとく静かな声音にさそわれ、夢見心地で見上げた先。
月を背にした青年が、切れ長の瞳をうっそりと細め、じぶんを抱いていることを知った。
蕩けるような熱をやどし、こちらを見つめる紫水晶の双眸があることを、知った。
「梅雪さま」
かっとほほが熱をもつ。
なぜそんなに、吐息をもらすような熱を浮かべて、名を呼ぶのか。
「私からも、よろしいですか?」
なにを? だなんて、どこからともなくやってきた気恥ずかしさで手一杯な思考回路では、ろくに聞き返すこともできなかった。
固まった早梅へほほ笑み、五音が筆を持ちかえる。彼がそれまで使っていた白穂の筆だ。
「──『紅顔人』」
袖がひらめき、しめやかな月夜に、筆がすべる。
耿耿紅顔人
梅如雪中生
月色感甘芳
晴翠射荒城
業火灼不盡
春風吹又薫
頼聞玲華唱
至高塵襟清
またたく星を背景に、淡い光の文字が描かれる。
まるで光の手品でも目にしているような幻想的な光景に、早梅はしばし時を忘れ、魅入っていた。
耿耿たり 紅顔のひと
雪中に生ず 梅の如し
月色 甘芳に感じ
晴翠 荒城に射す
業火灼けども尽きず
春風吹きて また薫る
玲華の唱を聞くに頼りて
至高 塵襟清まれり
ちらちらと揺らめく光のようにうら若き乙女は
雪中に芽吹く梅のごとくいじらしい
月の光を目にすれば
あなたの甘い香りと今宵のことを思い出し
あなたの髪の翡翠色が
きらきらと陽光に輝く植物の緑のごとく
荒れた城のような私のこころに萌えいづる
たとえ地獄で業火に灼かれたとしても
この想いは尽きることなく
春がおとずれるたび 何度でも思い出すでしょう
あなたの宝玉がこすれ合うように美しい声を耳にすると
こころ洗われ 至高の幸福に満たされるのです
「梅雪さまへの想いを綴った詩です。いかがでしたか?」
「へっ……あっ」
なにを言われたのか、すぐには理解できなかったが、遅れて全身が発火するような羞恥がわき上がる。
(これって、これって……もしかしてラブレターとかいうやつ!?)
もしかしなくてもそうである。
「う、五音さま……」
「そう恥ずかしがらずに、可憐なお顔を見せてください」
「ひぇ……」
「あぁ、ほんとうにうれしいです。この愛を受け入れてくださったのですね、私の花妻」
「いつ結婚しましたっけ……?」
「この『名筆』で、私の『字名』を書いてくださったでしょう?」
「ふぇっ、なふで?」
五音によると、猫族では赤ん坊の髪をはじめて切りそろえたとき、切った髪で筆を作り、お守りにするのだという。
「成人した猫族が『名筆』を異性へ預けることは、求婚を意味するんです」
「えっ、ちょっ、うそでしょ!」
「梅雪さまは、この『名筆』で『五音』ではない『名前』をお書きになりましたよね」
「それはっ、なんか自然に思い浮かんだというか、手が勝手に動いてっ!」
「そういうものです。『名筆』はもち主への『好意』に反応するものですから。つまり、梅雪さまが私に感じてくださっている『好意』です。『名筆』で書かれた『名前』は、もち主に直接つたわります。それこそが『字名』──あなたが私にくださったもの。あなただけが呼ぶことを許される名。私たちが夫婦になったという証なのです」
「きゃあああっ! まってまって、待ってください! そりゃたしかに五音さまのこと尊敬してますけど、それは愛情っていうか親愛でっ!」
「どちらにせよ、『好意』に変わりはありませんね」
「判定ガバガバすぎやしませんか!?」
じりじりと後ずさっていたが、それも悪あがき。
「梅雪さま。猫族ではないあなたに『字名』をお返しすることは叶いませんが、私の愛をこめた詩を贈りました。種族のちがいなどささいなこと。私の生涯をかけて愛し、尽くすことを誓いましょう」
「わかりました、とりあえずおたがい落ち着きま……」
みなまで言えなかった。
しなやかな腕に、腰を絡めとられてしまったために。
「甘い香りが心地いい……花びらを食んでいるかのようです」
「んっ……」
やわく吸われるような、しっとりとした口づけだった。
「っふ……五音、さま……」
「ちがうでしょう?」
熱がはなれたかと思えば、つう、と下唇を親指の腹でなぞられ。
「あなただけの私は、なんという名ですか?」
掠れた吐息に鼓膜をくすぐられ、あまく、やさしく責め立てられる。
「……り……玲音、さま」
耐えかねて声を絞りだした早梅の頭上で、くすりと笑い声がもれた。
「紅顔人」
「あっ……んむ」
ちらりと牙をのぞかせた唇に、かぷ、とやわく噛みつかれる。
おどろいた拍子に半開きになった口内へ、ぬるりと熱が押し入った。
「……ん」
「ふぁっ……はぁ、んんっ」
浅く、深く。
ときに角度を変えながら、ねっとりと舌を絡める濃厚な口づけに、たがいの境界線すらわからなくなる。
「も……むり、です……りん、おん、さまぁっ……!」
どうにもたまらなくなり、瑠璃の瞳いっぱいに涙をためて懇願した早梅は、ずるりと五音の胸へしなだれかかる。
「ふふっ……すこし、意地悪がすぎましたね。ゆるしてください」
可笑しげに声をふるわせる彼は、言葉でいうほど、悪気を感じてはいないのだろう。
くすぐるように何度か早梅のほほをなでた指先が翡翠の髪を梳き、あらわになった少女のひたいへ、口づけがひとつ。
「愛しています。──私の愛しいひとが、よい夢をみられますように」
子守唄のごとく静かな声音にさそわれ、夢見心地で見上げた先。
月を背にした青年が、切れ長の瞳をうっそりと細め、じぶんを抱いていることを知った。
蕩けるような熱をやどし、こちらを見つめる紫水晶の双眸があることを、知った。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
【完結】帰れると聞いたのに……
ウミ
恋愛
聖女の役割が終わり、いざ帰ろうとしていた主人公がまさかの聖獣にパクリと食べられて帰り損ねたお話し。
※登場人物※
・ゆかり:黒目黒髪の和風美人
・ラグ:聖獣。ヒト化すると銀髪金眼の細マッチョ
【R18】××××で魔力供給をする世界に聖女として転移して、イケメン魔法使いに甘やかされ抱かれる話
もなか
恋愛
目を覚ますと、金髪碧眼のイケメン──アースに抱かれていた。
詳しく話を聞くに、どうやら、私は魔法がある異世界に聖女として転移をしてきたようだ。
え? この世界、魔法を使うためには、魔力供給をしなきゃいけないんですか?
え? 魔力供給って、××××しなきゃいけないんですか?
え? 私、アースさん専用の聖女なんですか?
魔力供給(性行為)をしなきゃいけない聖女が、イケメン魔法使いに甘やかされ、快楽の日々に溺れる物語──。
※n番煎じの魔力供給もの。18禁シーンばかりの変態度高めな物語です。
※ムーンライトノベルズにも載せております。ムーンライトノベルズさんの方は、題名が少し変わっております。
※ヒーローが変態です。ヒロインはちょろいです。
R18作品です。18歳未満の方(高校生も含む)の閲覧は、御遠慮ください。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!
高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。
転生したので猫被ってたら気がつけば逆ハーレムを築いてました
市森 唯
恋愛
前世では極々平凡ながらも良くも悪くもそれなりな人生を送っていた私。
……しかしある日突然キラキラとしたファンタジー要素満載の異世界へ転生してしまう。
それも平凡とは程遠い美少女に!!しかも貴族?!私中身は超絶平凡な一般人ですけど?!
上手くやっていけるわけ……あれ?意外と上手く猫被れてる?
このままやっていけるんじゃ……へ?婚約者?社交界?いや、やっぱり無理です!!
※小説家になろう様でも投稿しています
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる