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第三章『焔魔仙教編』

第百七十七話 失意の先に【前】

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「あらためまして、『獬幇かいほう貴泉きせん郡支部長およびマオ族長、一心イーシンと申します」

 若草色の袖をあわせ、恭しく頭を垂れた白と黒まじりの栗毛の男が、さらに続ける。

「皇子殿下におかれましてはご不便をおかけすることと存じますが、ご理解いただけますよう、なにとぞお願い申し上げます」

 そうか、そうだったのか。
 おのれが歓迎されていなかった理由が、ようやく腑に落ちる。

 猫族。目前の彼が、獣人だった。
 そのことを知らされる意味が、いまならわかる。

「それでは、ごゆるりとお過ごしくださいませ」

 完全に陽が落ちきる前に、用意された客室。
 柔和な物腰で案内をされたが、そこに了承する以外の選択肢は与えられていない。

(──なるほど、帰すつもりはない、か)

 他人事のように思うほか、暗珠アンジュにはなすすべがなかった。


  *  *  *


 卓を引っぱたく音が鳴りひびき、ところ狭しと並べられた料理の食器がゆれる。

「お父さまたちや小蓮シャオリェンのことをこっちから明かしておいて、『知られてしまったから外には出さない』? どんな悪徳押しつけ商法ですかっ!」
「悪ぃな。発案は俺だが、にゃん小僧も共犯だぜ!」
「開き直らないでください!」

 夕餉の席にやってきてだいぶ時間がたつが、それどころではない緊急事態に食事ものどを通らない。

 暗珠は知ってしまったのだ。
 早梅はやめが猫族に匿われていたことも。
 一心たちが獣人であることも。
 桃英タオインら『滅亡したザオ一族』にくわえ、蓮虎リェンフーという『いるはずのない第二皇子』の存在があることも。
 なにもかも、知られてしまった。

 そして、発端である晴風チンフォンがまったく悪びれていないのだ。
 これには頭が痛くなる早梅である。

「こんなの、実質『監禁』じゃないですか……」
「お気持ちはわかります。ですが梅雪メイシェさん、お祖父さまのご判断は妥当であったと、僕は思います」
「一心さま……」

 卓の真向かいに座る一心は、一度茶杯に口づけると、琥珀色の双眸を神妙に細めた。

「先日はじめてこちらへいらした際、身分の証明のために玉璽ぎょくじの提示こそされましたが、権力をかさに着ることもなく、むしろチェン太守をいさめるご様子さえ見受けられた。どうやら皇子殿下は、僕らの想像を遥かにこえて聡明な方のようです。そして、純粋な方だ」
「街で悪趣味な催しをやめさせたってのは、評価できる。若さゆえの危なっかしさが玉にキズだが、正義感が強くて度胸がある。すくなくとも、皇帝派の太守よりは信用できると判断した」

 早梅は息をのんだ。
 一心はもちろん、早梅を守ることに躍起になっていた晴風が、このような判断をくだしたためだ。
 あくまで皇族としてではなく、暗珠個人として見ているのだと。

「よく考えてみな。俺たちが今度やらかそうとしてんのは、きょうのさわぎよりもっと多くの人間を巻き込んで、もっと危険なことだ」
「騒動に乗じてそのまま燈角とうかくを去る予定でしたし、時期をおなじくして僕らが忽然とすがたを消したとなれば、聡明な殿下は疑問に思われるはず」
「それにな梅梅メイメイ、おまえさんの存在がバレちまった時点で、タダで帰すわけにはいかなくなってたんだ。どっちみち巻き込むくらいなら、いっそこっちに引き込んじまえって話だ」
「……殿下を、私たちに同行させるということですか?」

 否定の言葉はない。つまり、肯定だ。
 予想だにしない展開に、早梅は絶句する。
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