上 下
178 / 264
第三章『焔魔仙教編』

第百七十四話 恋は罪か【後】

しおりを挟む
 そろそろ、落日も地平線へ身をかくすころだろうか。
 東側の大室おおべやにひとり通された暗珠アンジュに、仔細を知るすべはないが。
 窓際の卓で頬杖をつき、ぽつぽつと明かりを灯す宵の街並みを、ただながめる。
 と、無音の空間に人の気配を感じ、薔薇輝石のまなざしを格子窓からはずす。

「失礼いたします、殿下」

 入室するなり拱手したのは、眼帯をつけた黒髪の男だ。黒皇ヘイファンという名だったはず。
 よくよく見れば、黒皇の後ろには晴風チンフォンのすがたもある。
 いつもなら敵意むき出しで威嚇をしてくるが、無言でまなざしを寄こされると、真意がつかみづらい。

「弟のほうは、もういいのか」

 できる限り自然に、当たりさわりのない返しをしたつもりだ。
 だが、続く黒皇の言葉は、暗珠も予想しなかったもので。

「おかげさまで、いまは落ち着いております。此度は皇子殿下に御礼申し上げたく、お伺いいたしました」
「私に?」

 黒皇ら兄弟のことは、暗珠のあずかり知らぬことだ。疑問に思うのも当然であった。

「烏を燃やす『射陽の儀』に抗議し、即時中止を命じられたそうですね。対応にあたるチェン太守らをお見かけしたと、憂炎ユーエンどのからおききしました」
「主催者は祭りをおこなうにあたり、内容の変更報告義務を怠っていた。その上、生き物に火をつけてゲラゲラと面白がる悪餓鬼よりも悪質かつ低俗な行為を目にすれば、よい気分はしないだろう」

 ゆえに、礼を言われるようなことはしていないと予防線を張ったつもりの暗珠ではあったが、黒皇はもういちど、深々と頭を垂れた。

「無礼を承知で申し上げますが……『龍宵節りゅうしょうせつ』は、私たち兄弟に嫌な記憶を思いださせます。ですから殿下のなされたことは、そんな私たちとって、『救い』であったといえるのです。……ありがとうございます、殿下」

 なんだか無性にいたたまれなくなる。
 ふいと顔をそむけた暗珠は、低い声音でかえす。

「……民衆が道を誤ったなら、それをただすのが私の役目だ」

 なんだ、これは。この感覚は。
 やたら胸がむず痒い感覚は、父と茶をしたときに感じたものと似ているような。

「それより、突然の訪問をしたことを詫びよう。見てのとおり、梅雪メイシェは無事送り届けた。長居をしたな、失礼しよう。見送りは要らぬ」
「待ちな」

 お世辞にも歓迎されていないことは、自覚していた。
 だからこそ、こちらから切り上げたというのに、暗珠を引き止めたのは、おどろくべきことに晴風だった。

「皇子サマよ、おまえさんは、バカだな」
「……あぁ、女っ気がなく融通もきかない、頑固な武術剣術バカとはよく言われるな」
「まぁ聞きな。皇族ってんで警戒してたが……おまえさんはバカ正直だ。アホみたいに梅梅メイメイに惚れてて、前だけを見据えてる。そこに野心や打算がない。あの皇帝の息子だって信じられねぇくらいにな」
「……なにが言いたい? あなたは、父上と面識があるのか」
「ねぇよ。けど、どんな人となりをしてんのかは、わかる。なぁ皇子サマ、もうひとつだけきくぜ。おまえさんは、梅梅の味方か?」
「愚問ではないか。愛する姫をこの手で守ることこそ、わが望み。彼女を傷つけるものは、なんであろうと決してゆるさない」
「なんであろうと? それが肉親でもか?」
「どういう、意味だ」
青風真君せいふうしんくん……」

 暗珠が怯んだ隙を、晴風は見逃さない。
 瑠璃の瞳で、真正面から射抜く。
 晴風の真意を察したらしい黒皇は、何事かを言いかけて、じっと口をつぐんだ。

「さきに言っとくぜ。おまえさんの父親、ルオ飛龍フェイロンは、梅梅の敵だ」
「若輩者と私を侮るのも大概にしろ、なにを根拠にそのような世迷い言を……!」
「餓鬼にこんな話をするかよ」
「ぐっ……!」

 椅子から立ち上がった矢先に、胸ぐらをつかまれてしまう。
 晴風の身のこなしは、武術の修行を積んだ者のそれではない。
 それなのにまともな抵抗がかなわないのは、氷柱にも似た凄まじい気迫によって、容赦なく貫かれているから。

「おまえは前を見据えているが、前だけしか見てねぇ。物事の側面に気がつかない。皇帝がなにをしてきたのか、梅梅がどんな思いでこれまでやってきたのか、なにも知らねぇ」
「だから、なにを言ってっ……!」
「ごちゃごちゃうるせぇな」

 唐突に胸ぐらが解放され、急速流入する酸素に咳き込む。
 そんな暗珠をよそに踵をかえした晴風が、ちらりと瑠璃の視線だけでふり返った。

「ついてこい。おまえにすべてを見せてやる」
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】お世話になりました

こな
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた

愛丸 リナ
恋愛
 少女は綺麗過ぎた。  整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。  最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?  でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。  クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……  たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた  それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない ______________________________ ATTENTION 自己満小説満載 一話ずつ、出来上がり次第投稿 急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする 文章が変な時があります 恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定 以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

処理中です...