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第三章『焔魔仙教編』
第百七十四話 恋は罪か【後】
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そろそろ、落日も地平線へ身をかくすころだろうか。
東側の大室にひとり通された暗珠に、仔細を知るすべはないが。
窓際の卓で頬杖をつき、ぽつぽつと明かりを灯す宵の街並みを、ただながめる。
と、無音の空間に人の気配を感じ、薔薇輝石のまなざしを格子窓からはずす。
「失礼いたします、殿下」
入室するなり拱手したのは、眼帯をつけた黒髪の男だ。黒皇という名だったはず。
よくよく見れば、黒皇の後ろには晴風のすがたもある。
いつもなら敵意むき出しで威嚇をしてくるが、無言でまなざしを寄こされると、真意がつかみづらい。
「弟のほうは、もういいのか」
できる限り自然に、当たりさわりのない返しをしたつもりだ。
だが、続く黒皇の言葉は、暗珠も予想しなかったもので。
「おかげさまで、いまは落ち着いております。此度は皇子殿下に御礼申し上げたく、お伺いいたしました」
「私に?」
黒皇ら兄弟のことは、暗珠のあずかり知らぬことだ。疑問に思うのも当然であった。
「烏を燃やす『射陽の儀』に抗議し、即時中止を命じられたそうですね。対応にあたる陳太守らをお見かけしたと、憂炎どのからおききしました」
「主催者は祭りをおこなうにあたり、内容の変更報告義務を怠っていた。その上、生き物に火をつけてゲラゲラと面白がる悪餓鬼よりも悪質かつ低俗な行為を目にすれば、よい気分はしないだろう」
ゆえに、礼を言われるようなことはしていないと予防線を張ったつもりの暗珠ではあったが、黒皇はもういちど、深々と頭を垂れた。
「無礼を承知で申し上げますが……『龍宵節』は、私たち兄弟に嫌な記憶を思いださせます。ですから殿下のなされたことは、そんな私たちとって、『救い』であったといえるのです。……ありがとうございます、殿下」
なんだか無性にいたたまれなくなる。
ふいと顔をそむけた暗珠は、低い声音でかえす。
「……民衆が道を誤ったなら、それをただすのが私の役目だ」
なんだ、これは。この感覚は。
やたら胸がむず痒い感覚は、父と茶をしたときに感じたものと似ているような。
「それより、突然の訪問をしたことを詫びよう。見てのとおり、梅雪は無事送り届けた。長居をしたな、失礼しよう。見送りは要らぬ」
「待ちな」
お世辞にも歓迎されていないことは、自覚していた。
だからこそ、こちらから切り上げたというのに、暗珠を引き止めたのは、おどろくべきことに晴風だった。
「皇子サマよ、おまえさんは、バカだな」
「……あぁ、女っ気がなく融通もきかない、頑固な武術剣術バカとはよく言われるな」
「まぁ聞きな。皇族ってんで警戒してたが……おまえさんはバカ正直だ。アホみたいに梅梅に惚れてて、前だけを見据えてる。そこに野心や打算がない。あの皇帝の息子だって信じられねぇくらいにな」
「……なにが言いたい? あなたは、父上と面識があるのか」
「ねぇよ。けど、どんな人となりをしてんのかは、わかる。なぁ皇子サマ、もうひとつだけきくぜ。おまえさんは、梅梅の味方か?」
「愚問ではないか。愛する姫をこの手で守ることこそ、わが望み。彼女を傷つけるものは、なんであろうと決してゆるさない」
「なんであろうと? それが肉親でもか?」
「どういう、意味だ」
「青風真君……」
暗珠が怯んだ隙を、晴風は見逃さない。
瑠璃の瞳で、真正面から射抜く。
晴風の真意を察したらしい黒皇は、何事かを言いかけて、じっと口をつぐんだ。
「さきに言っとくぜ。おまえさんの父親、羅飛龍は、梅梅の敵だ」
「若輩者と私を侮るのも大概にしろ、なにを根拠にそのような世迷い言を……!」
「餓鬼にこんな話をするかよ」
「ぐっ……!」
椅子から立ち上がった矢先に、胸ぐらをつかまれてしまう。
晴風の身のこなしは、武術の修行を積んだ者のそれではない。
それなのにまともな抵抗がかなわないのは、氷柱にも似た凄まじい気迫によって、容赦なく貫かれているから。
「おまえは前を見据えているが、前だけしか見てねぇ。物事の側面に気がつかない。皇帝がなにをしてきたのか、梅梅がどんな思いでこれまでやってきたのか、なにも知らねぇ」
「だから、なにを言ってっ……!」
「ごちゃごちゃうるせぇな」
唐突に胸ぐらが解放され、急速流入する酸素に咳き込む。
そんな暗珠をよそに踵をかえした晴風が、ちらりと瑠璃の視線だけでふり返った。
「ついてこい。おまえにすべてを見せてやる」
東側の大室にひとり通された暗珠に、仔細を知るすべはないが。
窓際の卓で頬杖をつき、ぽつぽつと明かりを灯す宵の街並みを、ただながめる。
と、無音の空間に人の気配を感じ、薔薇輝石のまなざしを格子窓からはずす。
「失礼いたします、殿下」
入室するなり拱手したのは、眼帯をつけた黒髪の男だ。黒皇という名だったはず。
よくよく見れば、黒皇の後ろには晴風のすがたもある。
いつもなら敵意むき出しで威嚇をしてくるが、無言でまなざしを寄こされると、真意がつかみづらい。
「弟のほうは、もういいのか」
できる限り自然に、当たりさわりのない返しをしたつもりだ。
だが、続く黒皇の言葉は、暗珠も予想しなかったもので。
「おかげさまで、いまは落ち着いております。此度は皇子殿下に御礼申し上げたく、お伺いいたしました」
「私に?」
黒皇ら兄弟のことは、暗珠のあずかり知らぬことだ。疑問に思うのも当然であった。
「烏を燃やす『射陽の儀』に抗議し、即時中止を命じられたそうですね。対応にあたる陳太守らをお見かけしたと、憂炎どのからおききしました」
「主催者は祭りをおこなうにあたり、内容の変更報告義務を怠っていた。その上、生き物に火をつけてゲラゲラと面白がる悪餓鬼よりも悪質かつ低俗な行為を目にすれば、よい気分はしないだろう」
ゆえに、礼を言われるようなことはしていないと予防線を張ったつもりの暗珠ではあったが、黒皇はもういちど、深々と頭を垂れた。
「無礼を承知で申し上げますが……『龍宵節』は、私たち兄弟に嫌な記憶を思いださせます。ですから殿下のなされたことは、そんな私たちとって、『救い』であったといえるのです。……ありがとうございます、殿下」
なんだか無性にいたたまれなくなる。
ふいと顔をそむけた暗珠は、低い声音でかえす。
「……民衆が道を誤ったなら、それをただすのが私の役目だ」
なんだ、これは。この感覚は。
やたら胸がむず痒い感覚は、父と茶をしたときに感じたものと似ているような。
「それより、突然の訪問をしたことを詫びよう。見てのとおり、梅雪は無事送り届けた。長居をしたな、失礼しよう。見送りは要らぬ」
「待ちな」
お世辞にも歓迎されていないことは、自覚していた。
だからこそ、こちらから切り上げたというのに、暗珠を引き止めたのは、おどろくべきことに晴風だった。
「皇子サマよ、おまえさんは、バカだな」
「……あぁ、女っ気がなく融通もきかない、頑固な武術剣術バカとはよく言われるな」
「まぁ聞きな。皇族ってんで警戒してたが……おまえさんはバカ正直だ。アホみたいに梅梅に惚れてて、前だけを見据えてる。そこに野心や打算がない。あの皇帝の息子だって信じられねぇくらいにな」
「……なにが言いたい? あなたは、父上と面識があるのか」
「ねぇよ。けど、どんな人となりをしてんのかは、わかる。なぁ皇子サマ、もうひとつだけきくぜ。おまえさんは、梅梅の味方か?」
「愚問ではないか。愛する姫をこの手で守ることこそ、わが望み。彼女を傷つけるものは、なんであろうと決してゆるさない」
「なんであろうと? それが肉親でもか?」
「どういう、意味だ」
「青風真君……」
暗珠が怯んだ隙を、晴風は見逃さない。
瑠璃の瞳で、真正面から射抜く。
晴風の真意を察したらしい黒皇は、何事かを言いかけて、じっと口をつぐんだ。
「さきに言っとくぜ。おまえさんの父親、羅飛龍は、梅梅の敵だ」
「若輩者と私を侮るのも大概にしろ、なにを根拠にそのような世迷い言を……!」
「餓鬼にこんな話をするかよ」
「ぐっ……!」
椅子から立ち上がった矢先に、胸ぐらをつかまれてしまう。
晴風の身のこなしは、武術の修行を積んだ者のそれではない。
それなのにまともな抵抗がかなわないのは、氷柱にも似た凄まじい気迫によって、容赦なく貫かれているから。
「おまえは前を見据えているが、前だけしか見てねぇ。物事の側面に気がつかない。皇帝がなにをしてきたのか、梅梅がどんな思いでこれまでやってきたのか、なにも知らねぇ」
「だから、なにを言ってっ……!」
「ごちゃごちゃうるせぇな」
唐突に胸ぐらが解放され、急速流入する酸素に咳き込む。
そんな暗珠をよそに踵をかえした晴風が、ちらりと瑠璃の視線だけでふり返った。
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