171 / 263
第三章『焔魔仙教編』
第百六十七話 飛べない烏【前】
しおりを挟む
絶句した少女が一歩、後ずさる。
とす、とその軽い体重を胸に受けた爽は、唇を噛みしめた。
もしも、だ。もしいまここに、じぶんがいなかったら。
さえぎるものがなかったなら、彼女は淡色の衣をひるがえしていただろうか。
しょうもない妄想かもしれない。だけれど、ざわめく鼓動に耐えかねた、二羽の子烏を抱いていない爽の左腕は、知らず知らずのうちに少女の細腰へ回されていた。
「……教主さま、梅雪さまをお連れしましょう」
これに、早梅がおどろきおののく原因となった憂炎は、きょとんと首をかしげる。
感情表現に乏しい爽が、こうして声をふるわせながら意見したことが、記憶の限りないからだ。
「おやおや。おまえのいっていた『会わせたい人がいる』という口説き文句は、もう使えないけど?」
「さらいましょう」
「ちょっと。どこからつっこめばいいんですか、落ち着きなさい」
「ですが……っ」
柄にもないことを口走っている自覚は、爽にもあった。それでも、ぐるぐると思考を掻き回す得体の知れない不安を、抑えることができない。
内功をそそがれてから……彼女のこころにふれ、そのぬくもりを知ってから、からだの熱が冷めやらないのだ。
「爽。そんなに強く締めつけたら、彼女が苦しいでしょう。はなして」
「……っあ」
指摘されてようやく、一切の加減を忘れて腕の力を強めていたことを理解した。
爽の腕がゆるんだその隙に、憂炎は顔をしかめた早梅の腕を引き、抱き寄せた。
「びっくりしたよねぇ。悪気はなかったんだよ、ごめんねぇ……よしよし」
華奢なからだをすっぽりと紺青の袖に仕舞い込んだ憂炎は、まるで幼子をあやすかのように、早梅の頭をなでている。
「ねぇ爽、いつもいっていることだけど、念のため確認ね」
愛情に満ちあふれたまなざしで早梅の背をさすっていた憂炎は、一変。
「どんな理由であれ、梅雪を傷つけたときは──おまえでも殺すよ」
……ぞわり。
瞳孔のひらいた柘榴の双眸に射抜かれ、爽は戦慄した。
ついで、おのれの愚かさに頬肉を噛む。
(あぁ。さらって……さらえたとして、彼女が俺を見てくれると、どうして思えたんだろう)
身を焦がすこの想いは、無垢な彼女にとって、重荷でしかないだろうに。
「……出すぎた真似を、いたしました」
「いいですよ。爽が悪い子じゃないって、わたしは知ってますからね」
先ほどまでの殺気はどこへやら。にっこりとほほ笑んだ憂炎は、「さてと」と声をあげたのち──瞬時に半身をとり、袖をふった。
──ばりばりばりぃっ!
薄暗い路地裏で放たれた蒼炎に、金色の稲妻が絡まる。
まばゆい光が爆ぜるまで、一瞬のこと。
炎と雷。拮抗する内功の衝突。
「──彼女をはなせ。いますぐに、だ」
柘榴の瞳を細めた憂炎の目前に、ひとつの影がそびえ立つ。
風になびく漆黒の艶髪、怒りにたぎる薔薇輝石の双眸をもつ少年が。
「俺がいきます」
「爽」
すぐさま前に出る爽を、名を呼ぶことで制止する。
あちらからすれば、薄暗い路地裏、男がふたりがかりで、か弱い少女に迫っている構図だ。
「もしかしてわたしたち、悪者です?」
ひとつため息をついた憂炎は、早梅を胸にかばいながら、依然として殺気を寄こす少年へ向き直る。
「どなたかは存じ上げませんが、まず話し合いをしませんか?」
平和的にね、とほほ笑んでみせて。
* * *
頭上を流れる雲が、茜に染まっている。
昼下がりに街へくり出してから、ずいぶんと時間がたっていたようだ。
(どうしたもんかなぁ……たすけて、黒慧)
西に沈みゆく太陽を見上げ、早梅は胸中で切実に懇願する。きこえるわけがないと、わかってはいても。
ちなみに、とほうに暮れる早梅の右手を引くのは、にこにこと笑みをくずさない憂炎。
かたや左手を引くのは、鉄壁の仏頂面をうかべた暗珠だ。
あのあと。早梅を追って路地裏に駆けつけた暗珠と憂炎によるひと悶着は、諸々あってなんとかおさまった。
が、両者ともに『女性をひとりで帰すわけにはいかない紳士論』のもち主らしく、早梅を送ると主張してゆずらない。
その結果、現状にいたったわけである。道中、暗珠は無言であり、憂炎もにこやかながら、早梅にしか話しかけてはこなかった。
ふられたのはとりとめのない話題だが、「うん、うん……そうだね」と相づちを打つのでせいいっぱいだった早梅である。
暗珠のそれとない道案内により、無事屋敷へもどることが叶ったが、門前でのこと。
「……俺は、こちらでお待ちしております」
おもむろに口をひらいたのは、それまで息を殺し、影のごとく三歩後ろで付き従っていた爽だ。
ふり返れば、その表情は太陽に雲がかかったかのごとく、翳っている。
なにが彼にそう言わせたのか、早梅にはわかった。想像できたからこそ、こう語りかけるのだ。
「爽も来て」
「……いいえ、俺はいけません」
「夜まであっという間だよ。外で待っていても、子烏ちゃんたちが凍えてしまうだけだよ」
あくまで、爽が腕に抱く烏たちのためだとうそぶいてみせる。
「……あなたは、ずるいです。そんなふうに言われたら……」
夜色の瞳がゆらめく。うつむき、葛藤する爽のすがたを見つめると、あぁ、彼は心根がやさしいんだな、と早梅の胸に熱がともった。
「──梅梅っ!」
そんな黄昏の静けさに、よく通る声がひびきわたる。
とす、とその軽い体重を胸に受けた爽は、唇を噛みしめた。
もしも、だ。もしいまここに、じぶんがいなかったら。
さえぎるものがなかったなら、彼女は淡色の衣をひるがえしていただろうか。
しょうもない妄想かもしれない。だけれど、ざわめく鼓動に耐えかねた、二羽の子烏を抱いていない爽の左腕は、知らず知らずのうちに少女の細腰へ回されていた。
「……教主さま、梅雪さまをお連れしましょう」
これに、早梅がおどろきおののく原因となった憂炎は、きょとんと首をかしげる。
感情表現に乏しい爽が、こうして声をふるわせながら意見したことが、記憶の限りないからだ。
「おやおや。おまえのいっていた『会わせたい人がいる』という口説き文句は、もう使えないけど?」
「さらいましょう」
「ちょっと。どこからつっこめばいいんですか、落ち着きなさい」
「ですが……っ」
柄にもないことを口走っている自覚は、爽にもあった。それでも、ぐるぐると思考を掻き回す得体の知れない不安を、抑えることができない。
内功をそそがれてから……彼女のこころにふれ、そのぬくもりを知ってから、からだの熱が冷めやらないのだ。
「爽。そんなに強く締めつけたら、彼女が苦しいでしょう。はなして」
「……っあ」
指摘されてようやく、一切の加減を忘れて腕の力を強めていたことを理解した。
爽の腕がゆるんだその隙に、憂炎は顔をしかめた早梅の腕を引き、抱き寄せた。
「びっくりしたよねぇ。悪気はなかったんだよ、ごめんねぇ……よしよし」
華奢なからだをすっぽりと紺青の袖に仕舞い込んだ憂炎は、まるで幼子をあやすかのように、早梅の頭をなでている。
「ねぇ爽、いつもいっていることだけど、念のため確認ね」
愛情に満ちあふれたまなざしで早梅の背をさすっていた憂炎は、一変。
「どんな理由であれ、梅雪を傷つけたときは──おまえでも殺すよ」
……ぞわり。
瞳孔のひらいた柘榴の双眸に射抜かれ、爽は戦慄した。
ついで、おのれの愚かさに頬肉を噛む。
(あぁ。さらって……さらえたとして、彼女が俺を見てくれると、どうして思えたんだろう)
身を焦がすこの想いは、無垢な彼女にとって、重荷でしかないだろうに。
「……出すぎた真似を、いたしました」
「いいですよ。爽が悪い子じゃないって、わたしは知ってますからね」
先ほどまでの殺気はどこへやら。にっこりとほほ笑んだ憂炎は、「さてと」と声をあげたのち──瞬時に半身をとり、袖をふった。
──ばりばりばりぃっ!
薄暗い路地裏で放たれた蒼炎に、金色の稲妻が絡まる。
まばゆい光が爆ぜるまで、一瞬のこと。
炎と雷。拮抗する内功の衝突。
「──彼女をはなせ。いますぐに、だ」
柘榴の瞳を細めた憂炎の目前に、ひとつの影がそびえ立つ。
風になびく漆黒の艶髪、怒りにたぎる薔薇輝石の双眸をもつ少年が。
「俺がいきます」
「爽」
すぐさま前に出る爽を、名を呼ぶことで制止する。
あちらからすれば、薄暗い路地裏、男がふたりがかりで、か弱い少女に迫っている構図だ。
「もしかしてわたしたち、悪者です?」
ひとつため息をついた憂炎は、早梅を胸にかばいながら、依然として殺気を寄こす少年へ向き直る。
「どなたかは存じ上げませんが、まず話し合いをしませんか?」
平和的にね、とほほ笑んでみせて。
* * *
頭上を流れる雲が、茜に染まっている。
昼下がりに街へくり出してから、ずいぶんと時間がたっていたようだ。
(どうしたもんかなぁ……たすけて、黒慧)
西に沈みゆく太陽を見上げ、早梅は胸中で切実に懇願する。きこえるわけがないと、わかってはいても。
ちなみに、とほうに暮れる早梅の右手を引くのは、にこにこと笑みをくずさない憂炎。
かたや左手を引くのは、鉄壁の仏頂面をうかべた暗珠だ。
あのあと。早梅を追って路地裏に駆けつけた暗珠と憂炎によるひと悶着は、諸々あってなんとかおさまった。
が、両者ともに『女性をひとりで帰すわけにはいかない紳士論』のもち主らしく、早梅を送ると主張してゆずらない。
その結果、現状にいたったわけである。道中、暗珠は無言であり、憂炎もにこやかながら、早梅にしか話しかけてはこなかった。
ふられたのはとりとめのない話題だが、「うん、うん……そうだね」と相づちを打つのでせいいっぱいだった早梅である。
暗珠のそれとない道案内により、無事屋敷へもどることが叶ったが、門前でのこと。
「……俺は、こちらでお待ちしております」
おもむろに口をひらいたのは、それまで息を殺し、影のごとく三歩後ろで付き従っていた爽だ。
ふり返れば、その表情は太陽に雲がかかったかのごとく、翳っている。
なにが彼にそう言わせたのか、早梅にはわかった。想像できたからこそ、こう語りかけるのだ。
「爽も来て」
「……いいえ、俺はいけません」
「夜まであっという間だよ。外で待っていても、子烏ちゃんたちが凍えてしまうだけだよ」
あくまで、爽が腕に抱く烏たちのためだとうそぶいてみせる。
「……あなたは、ずるいです。そんなふうに言われたら……」
夜色の瞳がゆらめく。うつむき、葛藤する爽のすがたを見つめると、あぁ、彼は心根がやさしいんだな、と早梅の胸に熱がともった。
「──梅梅っ!」
そんな黄昏の静けさに、よく通る声がひびきわたる。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
【R18】××××で魔力供給をする世界に聖女として転移して、イケメン魔法使いに甘やかされ抱かれる話
もなか
恋愛
目を覚ますと、金髪碧眼のイケメン──アースに抱かれていた。
詳しく話を聞くに、どうやら、私は魔法がある異世界に聖女として転移をしてきたようだ。
え? この世界、魔法を使うためには、魔力供給をしなきゃいけないんですか?
え? 魔力供給って、××××しなきゃいけないんですか?
え? 私、アースさん専用の聖女なんですか?
魔力供給(性行為)をしなきゃいけない聖女が、イケメン魔法使いに甘やかされ、快楽の日々に溺れる物語──。
※n番煎じの魔力供給もの。18禁シーンばかりの変態度高めな物語です。
※ムーンライトノベルズにも載せております。ムーンライトノベルズさんの方は、題名が少し変わっております。
※ヒーローが変態です。ヒロインはちょろいです。
R18作品です。18歳未満の方(高校生も含む)の閲覧は、御遠慮ください。
異世界転移したら、推しのガチムチ騎士団長様の性癖が止まりません
冬見 六花
恋愛
旧題:ロングヘア=美人の世界にショートカットの私が転移したら推しのガチムチ騎士団長様の性癖が開花した件
異世界転移したアユミが行き着いた世界は、ロングヘアが美人とされている世界だった。
ショートカットのために醜女&珍獣扱いされたアユミを助けてくれたのはガチムチの騎士団長のウィルフレッド。
「…え、ちょっと待って。騎士団長めちゃくちゃドタイプなんですけど!」
でもこの世界ではとんでもないほどのブスの私を好きになってくれるわけない…。
それならイケメン騎士団長様の推し活に専念しますか!
―――――【筋肉フェチの推し活充女アユミ × アユミが現れて突如として自分の性癖が目覚めてしまったガチムチ騎士団長様】
そんな2人の山なし谷なしイチャイチャエッチラブコメ。
●ムーンライトノベルズで掲載していたものをより糖度高めに改稿してます。
●11/6本編完結しました。番外編はゆっくり投稿します。
●11/12番外編もすべて完結しました!
●ノーチェブックス様より書籍化します!
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた
愛丸 リナ
恋愛
少女は綺麗過ぎた。
整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。
最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?
でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。
クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……
たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた
それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない
______________________________
ATTENTION
自己満小説満載
一話ずつ、出来上がり次第投稿
急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする
文章が変な時があります
恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定
以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください
【完結】ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました!?
三月よる
恋愛
14歳の誕生日、ピフラは自分が乙女ゲーム「LOVE/HEART(ラブハート)」通称「ラブハ」の悪役である事に気がついた。シナリオ通りなら、ピフラは義弟ガルムの心を病ませ、ヤンデレ化した彼に殺されてしまう運命。生き残りのため、ピフラはガルムのヤンデレ化を防止すべく、彼を手塩にかけて育てる事を決意する。その後、メイドに命を狙われる事件がありながらも、良好な関係を築いてきた2人。
そして10年後。シスコンに育ったガルムに、ピフラは婚活を邪魔されていた。姉離れのためにガルムを結婚させようと、ピフラは相手のヒロインを探すことに。そんなある日、ピフラは謎の美丈夫ウォラクに出会った。彼はガルムと同じ赤い瞳をしていた。そこで「赤目」と「悪魔と黒魔法士」の秘密の相関関係を聞かされる。その秘密が過去のメイド事件と重なり、ピフラはガルムに疑心を抱き始めた。一方、ピフラを監視していたガルムは自分以外の赤目と接触したピフラを監禁して──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる