社則でモブ専ですが、束縛魔教主手懐けました〜悪役武侠女傑繚乱奇譚〜

はーこ

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第三章『焔魔仙教編』

第百六十七話 飛べない烏【前】

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 絶句した少女が一歩、後ずさる。
 とす、とその軽い体重を胸に受けたシアンは、唇を噛みしめた。

 もしも、だ。もしいまここに、じぶんがいなかったら。
 さえぎるものがなかったなら、彼女は淡色の衣をひるがえしていただろうか。

 しょうもない妄想かもしれない。だけれど、ざわめく鼓動に耐えかねた、二羽の子烏を抱いていない爽の左腕は、知らず知らずのうちに少女の細腰へ回されていた。

「……教主さま、梅雪メイシェさまをお連れしましょう」

 これに、早梅はやめがおどろきおののく原因となった憂炎ユーエンは、きょとんと首をかしげる。
 感情表現に乏しい爽が、こうして声をふるわせながら意見したことが、記憶の限りないからだ。

「おやおや。おまえのいっていた『会わせたい人がいる』という口説き文句は、もう使えないけど?」
「さらいましょう」
「ちょっと。どこからつっこめばいいんですか、落ち着きなさい」
「ですが……っ」

 柄にもないことを口走っている自覚は、爽にもあった。それでも、ぐるぐると思考を掻き回す得体の知れない不安を、抑えることができない。

 内功をそそがれてから……彼女のこころにふれ、そのぬくもりを知ってから、からだの熱が冷めやらないのだ。

「爽。そんなに強く締めつけたら、彼女が苦しいでしょう。はなして」
「……っあ」

 指摘されてようやく、一切の加減を忘れて腕の力を強めていたことを理解した。
 爽の腕がゆるんだその隙に、憂炎は顔をしかめた早梅の腕を引き、抱き寄せた。

「びっくりしたよねぇ。悪気はなかったんだよ、ごめんねぇ……よしよし」

 華奢なからだをすっぽりと紺青の袖に仕舞い込んだ憂炎は、まるで幼子をあやすかのように、早梅の頭をなでている。

「ねぇ爽、いつもいっていることだけど、念のため確認ね」

 愛情に満ちあふれたまなざしで早梅の背をさすっていた憂炎は、一変。

「どんな理由であれ、梅雪を傷つけたときは──おまえでも殺すよ」

 ……ぞわり。

 瞳孔のひらいた柘榴の双眸に射抜かれ、爽は戦慄した。
 ついで、おのれの愚かさに頬肉を噛む。

(あぁ。さらって……さらえたとして、と、どうして思えたんだろう)

 身を焦がすこの想いは、無垢な彼女にとって、重荷でしかないだろうに。

「……出すぎた真似を、いたしました」
「いいですよ。爽が悪い子じゃないって、わたしは知ってますからね」

 先ほどまでの殺気はどこへやら。にっこりとほほ笑んだ憂炎は、「さてと」と声をあげたのち──瞬時に半身をとり、袖をふった。

 ──ばりばりばりぃっ!

 薄暗い路地裏で放たれた蒼炎に、金色こんじきの稲妻が絡まる。
 まばゆい光が爆ぜるまで、一瞬のこと。
 炎と雷。拮抗する内功の衝突。

「──彼女をはなせ。いますぐに、だ」

 柘榴の瞳を細めた憂炎の目前に、ひとつの影がそびえ立つ。
 風になびく漆黒の艶髪、怒りにたぎる薔薇輝石の双眸をもつ少年が。

「俺がいきます」
「爽」

 すぐさま前に出る爽を、名を呼ぶことで制止する。
 あちらからすれば、薄暗い路地裏、男がふたりがかりで、か弱い少女に迫っている構図だ。

「もしかしてわたしたち、悪者です?」

 ひとつため息をついた憂炎は、早梅を胸にかばいながら、依然として殺気を寄こす少年へ向き直る。

、まず話し合いをしませんか?」

 平和的にね、とほほ笑んでみせて。


  *  *  *


 頭上を流れる雲が、茜に染まっている。
 昼下がりに街へくり出してから、ずいぶんと時間がたっていたようだ。

(どうしたもんかなぁ……たすけて、黒慧ヘイフゥイ

 西に沈みゆく太陽を見上げ、早梅は胸中で切実に懇願する。きこえるわけがないと、わかってはいても。

 ちなみに、とほうに暮れる早梅の右手を引くのは、にこにこと笑みをくずさない憂炎。
 かたや左手を引くのは、鉄壁の仏頂面をうかべた暗珠アンジュだ。

 あのあと。早梅を追って路地裏に駆けつけた暗珠と憂炎によるひと悶着は、諸々あってなんとかおさまった。
 が、両者ともに『女性をひとりで帰すわけにはいかない紳士論』のもち主らしく、早梅を送ると主張してゆずらない。
 その結果、現状にいたったわけである。道中、暗珠は無言であり、憂炎もにこやかながら、早梅にしか話しかけてはこなかった。
 ふられたのはとりとめのない話題だが、「うん、うん……そうだね」と相づちを打つのでせいいっぱいだった早梅である。

 暗珠のそれとない道案内により、無事屋敷へもどることが叶ったが、門前でのこと。

「……俺は、こちらでお待ちしております」

 おもむろに口をひらいたのは、それまで息を殺し、影のごとく三歩後ろで付き従っていた爽だ。
 ふり返れば、その表情は太陽に雲がかかったかのごとく、翳っている。
 なにが彼にそう言わせたのか、早梅にはわかった。想像できたからこそ、こう語りかけるのだ。

「爽も来て」
「……いいえ、俺はいけません」
「夜まであっという間だよ。外で待っていても、子烏ちゃんたちが凍えてしまうだけだよ」

 あくまで、爽が腕に抱く烏たちのためだとうそぶいてみせる。

「……あなたは、ずるいです。そんなふうに言われたら……」

 夜色の瞳がゆらめく。うつむき、葛藤する爽のすがたを見つめると、あぁ、彼は心根がやさしいんだな、と早梅の胸に熱がともった。

「──梅梅メイメイっ!」

 そんな黄昏の静けさに、よく通る声がひびきわたる。
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