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第三章『焔魔仙教編』

第百六十六話 わらう魔教主【後】

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「人道に反する行為は見過ごせない。当然のことをしたまでさ」
「あなたは……こころがとても、きれいな方ですね」

 シアンの言い方は、じぶんはちがうとでもいうようだ。
 伏せがちの視線、ほの暗い表情からもわかる。自身を過小評価しすぎる性分なのか、と心配に思っていたところに、次なる発言は衝撃的なものだった。

「……無理を承知で、梅雪メイシェさまにおねがい申し上げます」
「結婚は丁重にお断りさせていただいて──」
「あなたをさらってもいいですか」
「へっ、さらう?」
「お屋敷にもどらず、俺といっしょに来ていただけませんか」
「結婚するか誘拐されるかえらべってこと!? なにその二択に見せかけた一択! どっちにしろ私つれてかれてるじゃん!」
「帰したく、ないです……」
「そう言われてもなぁあ……!」
「では……梅雪さまに会っていただきたい方がいらっしゃるのです、と申しましたら?」
「私に、会ってほしいひと?」

 それはだれ? と問おうとした、そのとき。「……キュウ……グゥウ……」と、鳴き声がきこえた。
 はじかれたように、爽が自身の腕のなかを見やる。

 金と赤のまだら模様に塗りたくられた、二羽の子烏。その鳴き声が、先ほどまでと比べ、明らかにか細い。

「どうして……なぜこんなに弱ってるんだ……」

 足に結ばれていたこよりはちぎり捨てた。すこし火傷は負ってしまったが、軽傷のはず。
 だというのに、子烏はぐったりと弱りきっている。二羽ともに、だ。
 その原因に思いあたらない爽は、にわかに焦りをおぼえる。

「診せてごらん。……目立った外傷はないけれど……待って」

 爽に抱かれた子烏たちをのぞき込んだ早梅はやめは、さっと目を走らせ、とある違和感をひろった。

「この塗料……遠目では金泥かと思ったが、発色がちがう」

 金属光沢がない、とでも言おうか。
 烏を燃える太陽に見立てるため、使われた塗料。
 ざわ……と胸がさわいだのは、このからだのもち主が、に詳しい梅雪だからなのだろう。

雄黄ゆうおう。黄金の代替品として用いられる塗料ですね」
「──!」

 早梅は反射的にふり返る。

 ……いつからだ。
 いつから、背後を取られていた?

「安価で手に入れやすいですが、その主成分は砒素ひそ。これだけ大量に塗ったくられて、運悪く飲み込んでしまった分もあるでしょうねぇ。かわいそうに」

 狭い路地裏の物陰からきこえるのは、若い男の声だ。口調こそやわらかいが、気配を消して早梅へ接近した時点で、只者ではない。
 五感を研ぎ澄ませ、注意深く男を観察する。
 闇にまぎれる黒の外套をまぶかにかぶっているため、その容貌をうかがうことはできない。

「助けたいですか? その哀れな烏たちを」

 それがおのれへの問いだと、遅れて理解する。

「当たり前だろう」

 言葉少なに、即答する。
 得体の知れない相手だ、身構える早梅とは裏腹に、対峙した男が、笑った。

「ふふっ……やさしいなぁ。ほんと、そういうところは変わらないよね」
「なに……?」
「いいよ。あなたの望みは、なんでも叶えてあげる」

 ──ボウッ!

 突如として、路地裏に灯る光。
 子烏たちが、炎に包まれている。

「なにをしているんだ!」
「大丈夫。よく見て、ほら」
「……あ」

 頭に血がのぼる思いの早梅だったが、はっと我に返る。
 爽が。燃える子烏たちを抱いた爽が、まったく慌てたそぶりを見せないのだ。
 それに、子烏たちを包んだ炎。妖しくゆらめく、蒼い色をしていて──

 ジュ……と音を立て、毒々しいまだら模様の塗料が蒸発した。
 あとには、黒い羽毛が残るだけ。

「雄黄はもちろん、塗料はすべて燃やしました。ね。焼き鳥にはしていないので、食べたらだめですよ? おなかをこわしたらたいへんだ」

 くすくすと冗談めかしながら、なんでもないように、とんでもないことをやってのけた男。

「君は、いったい──」
「……教主さま」
「教主……?」

 子烏たちを袖のなかに仕舞い込み、深々と頭を垂れる爽へ、つと、男が言葉をかける。

「もー、どこをほっつき歩いていたのかと思ったら。おまえは突拍子もないことをしでかしますね、爽。こんなおどろきは求めてないです」
「申し訳ありません」
「もうちょっと雰囲気のある感動の再会を目指してたんだけどなぁ……まぁいいです。緊急事態ですから、目をつむってあげます」
「ありがとうございます……」
「はいはい。わかったから、顔をお上げなさいよ。地面とこんにちはするつもりですか」

 やれやれ、と大げさに肩をすくめてみせた男が、ついで早梅へ向き直る。

「そういうことなので、種明かしといきましょうか。ふふっ……おどろきすぎて、ひっくり返らないでよ?」

 聞きおぼえのない声だが、やけに親しげな口をきく。
 完全には緊張をとかないまま、男の動向を見守る早梅ではあるものの。

 ──する、と。

 外套の帽子を脱いだ男が、一歩、二歩と歩み寄る。

 ──しゃらり、しゃらり。

 男が歩むたび、鈴の音色に似た音が奏でられる。
 それは、彼の両耳につらなる柘榴石によるものだと知った。
 そして……物陰から抜けだした彼が、まばゆい月白の髪に、熟れた柘榴の双眸をもつことを知った。

「なっ……」

 刹那、早梅の周囲から物音が欠落する。
 呆然と目の当たりにした無音の世界で、信じがたい、けれど忘れるはずもない面影と、相まみえる。

「まさか……そんな……」

 無邪気におのれを慕ってくれた少年のそれと、かさなった。

「……ゆう、えん……?」

 満面の笑みをほころばせた白髪の美青年が、早梅へ腕を伸ばす。

「大正解。あなたのことが大好きな憂炎ユーエンだよ。やっと……やっと会えたね、梅姐姐メイおねえちゃん?」

 そっとほほを包み込む仕草は、愛おしい相手へふれるかのごとく。
 ささやく声音は、あまく。
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