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第三章『焔魔仙教編』

第百六十五話 わらう魔教主【中】

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「公子! こちらにおいででしたか! 何事ですか!?」

 早梅たちを追って駆けだそうとした暗珠アンジュを、呼びとめる声がある。
 ちいさく舌打ちをし、ふり返れば、そこにいるのは案の定、チェン仙海シェンハイである。

「陳太守! どうかお聞き届けください。伝統ある『射陽の儀』を、野蛮な小娘によって台無しにされたのです! ルオ皇室に敬意を示すこの祭事で、なんという愚行……これは皇室に対する冒涜ですぞ! 一刻もはやく不敬罪で捕らえるべきです!」

 お立ち台から落ちた際にぶつけたのだろうか。ひたいにたんこぶをこしらえた司会の男が、陳仙海へ泣きつくも。

「──戯言も大概にしろ」
「ひぃっ……!」

 低くうなる暗珠の心情は、おだやかではない。
 爛爛らんらんとたぎる薔薇輝石の眼光にすくんだ男が、腰を抜かしてころりと地面に転がる。

「火をつける際、今年は凧の代わりに生きた烏を用いることを、そなたは知っていたか、陳太守」
「なんと……いえ」
「伝統ある祭事? はっ……笑わせる。この『低俗で悪趣味な愚行』をただちにやめさせろ。その男がまだ戯言を抜かすようなら、舌を切れ」
「なっ……そんな……!」
「公子……」
「不快なものを見せられた。関係者ともども連れてゆけ」
「……かしこまりました。御身のおぼし召されるがままにいたします、殿下」
「皇子殿下ですって!? そんなっ、お許しください殿下、殿下っ……!」

 男がすがりつこうとするが、暗珠は一切耳を貸すことなく、きびすを返す。
 むしろ、感謝してほしいものだ。

「こんど私の前にあらわれてみろ。──その首と胴を、泣き別れにしてやろう」

 おのれにとって最愛の早梅を貶めた。
 それに該当する者は、ことごとくが罪。

 ──万死に値するのだから。


  *  *  *


 ひと暴れした広場から脱兎のごとく逃げだし、しばらく。

「うん、道に迷った!」

 薄暗い路地裏で、早梅はやめは「わはは!」と笑い飛ばしていた。

「クラマくんともはぐれちゃったなぁ、詰んだ? ねぇこれ詰んだよね?」

 逃げだしたのは早梅だが、暗珠とはぐれるのは想定外だった。軽功けいこうを使ったおぼえはないのだが。
 もしかして、どこかですっ転んだのだろうか。ひざ小僧を擦りむいてピーピー泣いていたらどうしよう。

「あの……」
「あっごめん! 君のことも忘れてないからね、安心してちょうだい!」

 控えめに声をかけてきた青年に対し、にっこりと笑みを浮かべてみせるが、あらためて早梅を映した夜色の瞳が、まばたきを止める。

「あ……お顔が……」
「うん? なんか変な顔でもしてたかな」
「ほほに、火傷が……」
「そういえば。はは、たいしたことないよ、気にしないで」
「俺のせいだ……俺のせいですっ!」

 平静を取りもどし、徐々にわれを失っていたときのことを思いだしたのだろうか。
 顔面蒼白になった青年が、飛びつくように早梅の足もとへひざまずいた。

「えっなに、どうしたの!?」
「女性のお顔に傷を……そればかりか、みだりに気交きこうをおこなうなど、とうてい許されることではありません」
「いやいや、私は平気だし、ほんと大丈夫だから立ってよ、ねっ?」
「いいえ! 責任を取らねばなりませぬ。わたくしと結婚をしてください、花のごとく可憐で麗しい方!」
「んぇえええっ!?」

 なぜだろうか。激しい既視感が。
 そう遠くないむかしに、おなじようなことを言われた気がする。

「ちょっと待って! ひとまず話をしないかい? 私たち、おたがいの名前も知らないだろう!?」

 あたふたと背を宥めすかしてやると、すこしの間があって、青年がゆっくり顔をあげる。

「名は……シアンと、そうお呼びください」
「爽っていうの? でも君は──」
「言わないでください」

 青年──爽の手のひらが、早梅の唇へ押しあてられた。

「……『それ』はもう、失くしたものです。『俺』がもっていては、いけないものなのです」

 伏せられた夜色の瞳に、影が落ちる。
 無理を強いる権利は、早梅にはなかった。

「そうか。じゃあ爽、私は梅雪メイシェ。よろしくね」
「っ……あなたが、梅雪さま」
「私のこと、知ってるの?」
「存じ上げております……一方的に、ですが」

 なんとも煮えきらない答えだ。
 首をかしげていると、自由な左手で、右手を包み込まれる。

「梅雪さま……お礼申し上げます。何度感謝しても、しきれません」
「烏のことかい? 私も頭にきたからね」

龍宵節りゅうしょうせつ』についてたずねたとき、黒皇ヘイファンが表情を硬くしていた理由がやっとわかった。
「祭りが見たい」などと駄々をこねていたなら、もっと辛い思いをさせていただろうことを考えると、やるせない。
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