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第三章『焔魔仙教編』

第百六十一話 灼陽は二度墜ちるか【前】

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 どこからともなく沸き起こった歓声に、早梅はやめは助かった、と歓喜した。

「わぁっと!」
「いっで!!」

 過剰なほど驚いてみせたついでに、頭突きをくり出す。
 ごちんっ! と景気のいい音が鳴りひびき、吐息がふれる距離まで顔を近づけていた暗珠アンジュが飛びのいた。
 早梅としてもダメージは少なくなかったが、これもひとえに、全力で話題を逸らすためである。

「イタタ……わぁ、大丈夫かーい?」
「……あんたねぇ! 雰囲気! 情緒!」
「びっくりしちゃって。ごめんねー」

 赤くなったひたいをおさえ、涙目で詰め寄ってくる暗珠の訴えはそれとなく受け流しておく。
 えへへ、と可愛らしく笑ってみせれば、ごまかされてくれるだろうか。ないか。

「この鈍ちんが……まぁそういうとこも、かわいい、ですけど」
「まじか」

 かと思ったら、ごまかされてくれたらしい。
 つい素でツッコんでしまった。
 もしかして、先ほどの頭突きで頭のねじを何本か飛ばしてしまっただろうか。
 だとしたらたいへんなことをしてしまった、と早梅は大真面目に危機感をおぼえる。
 これにて、デレた天邪鬼とド天然の化学反応は、なんとも締まらない結果と相なった。

「それにしても、さっきの声、なんのさわぎだろうね?」
「あっちのほうですね。行ってみますか」

 すぐに、ふだんのすまし顔にもどる暗珠。当然のように手をつなぎ、歩きだすので、早梅は苦笑するしかない。

 暗珠に連れられて石畳の往来をまっすぐにゆくと、そのうちにひらけた場所へたどり着く。
 大広場になっているその場所には、見わたすかぎりの人、人、人。

「すごい人だかりだ」
「数百人はいますよね。なにかに熱中してるみたいですけど、見えます?」
「よっ、ほっ! うーん、見えないなぁ」

 ひょこひょこと飛び跳ねながら向こうを見ようとするも、おびただしい人ごみのせいで、よくわからない。

「抱き上げましょうか」
「え? クラマくん私とほとんど身長変わらなくない?」
「シバくぞ」
「理不尽!」

 悪気のないひと言で暗珠の機嫌をそこねてしまったものの、むにゅ、とほほをつままれて終わった。
 思ったより被害はすくなくてすんだのが、幸いだ。

「そういえば、毎年『龍宵節りゅうしょうせつ』の前日祭には、目玉の催しものがあるとききました」
「へぇ、こんなにたくさんの人があつまるなんて、どんな催しものなんだろねぇ」

 とりあえず、事件性などはなしと判断。
 気を取り直し、きょろきょろ人ごみの切れ間をさがしていた早梅は、はたと笑みをひそめる。

「たしか、皇室につたわる伝説の──」

 暗珠の声が、どこか遠くにフェードアウトしていった。

 早梅の視線の先には、ひとりの青年がいた。
 彼も、喧騒にさそわれてやってきたひとりなのだろう。
 早梅たちとおなじように、人ごみの一部でしかない、なんの変哲もない一般市民……なのだが、その青年のことが、やけに目についたのだ。

 背は高く、年のころは十七、八歳ほど。
 烏の濡れ羽のごとく艷やかな黒髪に、夜を閉じこめたような瞳。
 憂いをおびた、繊細な顔立ちの美青年だった。

 なぜか気になってしまったのは、彼を知っているような気がしたから。

(というより、……あっ)

 あまり感情を表にださない、人形のごとくととのった面影に思いあたった、そのときだった。

「……っう、ぐぅう……っ!」

 青年が苦しげな呻き声をもらし、からだを折る。

「ちょっハヤメさん、どこ行くんです!?」

 一も二もなく駆けだす背後で響きわたる暗珠の声も、早梅にはほとんどきこえていなかった。

「君、どうしたの。具合が……あっつ!」

 人ごみをかき分け、見るからに尋常でない様子の青年へ駆け寄るが、丸まったその背を支えようとしたとき、焼けるような熱に右手がはじかれてしまう。

(衣越しにふれただけなのに、なんだ、この熱さは……人間の体温じゃないぞ!)

 すぐに確信した。と。

「私の声がきこえる? 向こうまで歩ける?」
「はっ、はっ……ふぅう……!」

 この場所を離れるのが得策。そうとはわかっているけれど、肝心の青年に、早梅の呼びかけは届かない。
 周囲の人々は「なんだ?」と異変を感じてはいるようだが、赤の他人への関心が薄いのか、はたまたじぶんにできることはないと思っているのか、声をかけてくる者はいない。

「急病人ですか」

 そこへ、暗珠が駆けつけた。

「すごい汗だ。暑気あたりとか?」
「いいや、決めつけるのはまだ早い」
「なんにせよ、日陰に連れてったほうがよさそうですね」
「さ、わ……る、なッ!」
「わっと!」

 肩を貸そうとする暗珠だが、青年にふり払われてしまった。

「……はーっ、はーっ……ふぅうっ……!」

 青年は不規則に、せわしなく肩で息をくり返しており、一向に症状が改善しない。

(過換気だ。過呼吸になってる)

 となれば、精神的な『なにか』が起因しているはずだ。

「息を吐こうか。ゆっくりね、はい、ふーっ」

 早梅は原因をさぐるべく、青年をなだめながら、注意深く観察をおこなう。
 そうして、気づく。

 カッと見ひらかれた夜色の双眸に、『恐怖』が刻まれていること。
 そして、そのまなざしの先にあるものを。

「さぁさぁこれなるは、本日の大目玉! 千年続くわれらが羅皇室、その初代皇帝であらせられるルオ緋龍フェイロン将軍による『射陽しゃよう伝説』になぞらえた、大見世物でございます!」

 はじかれたように頭上をあおいだ早梅は、広場の中心で、朗々と声を響かせるあご髭の中年男を認める。

「『太陽』を射落として本年の英雄となられる方はどなたなのか。みなさま、ふるってご参加くださいませ!」

 お立ち台にのぼり、流暢に口上をのべる男のすがたを、早梅は呆然と目の当たりにする。なぜなら。

「──カァ! カァ……カァアアアッ!」

 めらめらと燃えさかる太陽、いや。
 真っ赤な火達磨になり、叫び狂う烏が、そこにいたから。
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