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第三章『焔魔仙教編』

第百五十五話 闇夜を爪弾く【後】

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 橙に藍が入りまじる、黄昏の刻。

「……やってくれましたね」

 燈角とうかく有数の老舗が軒をつらねる繁華街にて、華やかな往来から一歩ふみ込んだ路地裏に、憂炎ユーエンのすがたはあった。
 片ひざをついて注視する石畳は、飛散した赤黒い液体で汚れている。

「教主さま、ご報告を申し上げます」

 そこへ足音ひとつなく、背後から呼び声があり。憂炎は顔を上げることなく、静かに問うた。

「どうでしたか、シアン
「今朝方、始発の船で燈角入りをした一行は、やはり替え玉でした。本物の貴泉きせん郡太守は、昼すぎに一般観光客にまぎれ、こちらに」
「だと思いましたよ。太守が皇子殿下のお世話係に任命されたという話は、ほんとうのようですね」
「現在太守一行は、数名の護衛のみをつれ、離宮へ向かっているもようです。……殺しますか?」
「おやめ。急いては事を仕損じます。ただでさえ、予想外のお客さまもいらっしゃるのですから」

 憂炎が立ち上がる。紺青の裾がひるがえされたことで、ようやく爽も気づく光景がある。暗視に長けた夜色の双眸が、闇に散る鮮烈な紅をとらえた。

 ──アレはおそらく、鷹だ。
 おそらくというのは、ソレが鳥類らしい構造をとどめておらず、翼にくちばしと、あちらこちらに散らばった部位を、かろうじて視認したためだ。

「太守が飛ばした伝書鷹でしょう。見事なまでにバラバラですね。いっそ清々しいくらいです」

 貴泉郡太守──チェン仙海シェンハイが、怪しい動きをみせている。
 その動向には憂炎も細心の注意をはらっており、ゆえにこうして駆けつけたわけなのだが、一足遅かった。

「皇子が、幻の花を見つけたようですね。もっとも、それを皇帝陛下が知る術はありませんが」

 赤黒い飛沫の滲む紙きれへ目をとおした憂炎は、柘榴ざくろの双眸を細め、散り散りに破り捨てる。

「憂うべきか、喜ぶべきか……なんとも複雑な心境ですねぇ」

 やれやれ、と肩をすくめる憂炎の胸中には、疑問がうまれる。

(鋭利な刃で切断されたものとはちがう。あれは、細く強靭なに、ねじ切られたものだ)

 たとえるなら、網にかかったえものをくびり殺す末に、こま切れになってしまったかのように。

(まさか……ね。いや、そんなはずはない)

 をやってのける存在に、憂炎は心当たりがあった。けれど、すぐに否定する。であるはずがないのだから。

「さて、行きますか。アレは放っておいても、野良犬の餌になるでしょう」

 きびすを返すさなか、ぼう、と蒼い炎がともる。
 まばゆい月白げっぱくの髪を夜闇に浮かび上がらせたそれは、散り散りの紙きれを一片残らず燃やしつくし、音もなく消え入った。

「どうやら、わたしたちのほかにも、皇室を心底恨んでいる方がいらっしゃるようですね」
「敵でしょうか。それとも」
「わかりません。でも、これだけはおぼえておきなさい、爽」

 颯爽ときらびやかな往来へふみだす憂炎は、連れ立つ黒髪の青年を視線だけでふり返り、告ぐ。

「気をつけなさい。巻き込まれますよ」

 にわかに笑みをひそめた憂炎のひと言は、雑踏の喧騒に余韻をかき消される。

 ──ベン。

 どこぞの妓楼からもれ聞こえるものだろうか。流麗な音色が耳にとどく。
 それは、琵琶を爪弾く音にも似て。
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