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第三章『焔魔仙教編』

第百五十話 再会【後】

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(なんで……なんでなんでなんで)

 早梅はやめはひたすらに、回廊を疾走していた。

 ──皇子が、梅雪メイシェさまをさがしてるよ!

 いましがた、早梅の寝室へ飛び込んできた双子の猫が、知らせてくれた。
 一心イーシン六夜リゥイ五音ウーオンに客人の監視を担わせるとともに、八藍バーラン九詩ジゥシーに現状の報告をまかせていたのだ。
 はやく身を隠せるところに、と訴える二匹を押しのけ、早梅は寝室を飛びだした。

(街で出会ったあの子が、皇子だった? そんな……)

 そんな偶然があってたまるか。
 そんなことで、皇室に所在を知られるなど、この平穏を壊されるなど……あってはならない。

 だから早梅は走っていた。
 悪い夢なのだと、この目でたしかめたかった。

「すがたを見せろ、早梅雪ザオメイシェ!」

 そして後悔する。
 あぁ、これが夢ならよかったのに、と。

「……お呼びでしょうか」

 つんざく雷鳴のごとく、おのれの名を叫んでいた少年と、回廊の中心で邂逅する。
 念には念をとまげを結い、さらしを巻いて胸をつぶしていたが、それも無駄なあがきであった。
 いまさら男装をしたところで、なんの意味もない。

「わたくしが早梅雪でございます。皇子殿下」

 つとめて冷静をよそおい、瑠璃の瞳で相手を見据える。

 漆黒の髪に、鮮やかな緋色の瞳。
 あぁ、その面影を知っている。
 この世でもっとも憎い男のそれを、よく受け継いだものだ。

 早梅を前にした少年──暗珠アンジュは、しばし押し黙り、言葉を発さない。

(彼はこの物語の主人公。憎き飛龍フェイロンのひとり息子)

 彼は仇の息子だと叫ぶじぶんと、彼自身にはなんの罪もないと叫ぶじぶんが、胸中で衝突している。

(私は、どうすれば……!)

 もどかしさに、頬肉を噛む。
 将来婚約を拒絶される運命にあるじぶんへ、皇子が褒められた感情をいだいていないことは、明白だろう。
 決定的な判断を決めあぐねる早梅のために、時は待ってなどくれない。

「──早梅雪」

 一歩、二歩と距離を縮める暗珠を、早梅はただ、唇を噛みしめて見据えることしかできない。

 ふいに伸ばされた右手。ぞわりと肌が粟立つ。
 皇室にあだなすと判断された、早一族の生き残りだ。この先なにが起ころうと、不思議ではない。

「──梅雪」

 また、呼ばれた。
 こんどは、吐息のような発語だった。
 はたと、思考が停止する。

 そもそも、ほとんど面識のない彼が、なぜおのれをさがしていたのか。
 その真相を、まさか。

「単刀直入に申し上げる。私の妃になってもらいたい」
「は…………え?」

 まさか、こんなに唐突に、脈流もなく、思い知ることになるだなんて。

「申し訳ありません殿下。いま、なんと?」
「あなたを妃にしたい、と申し上げている」
「えっ、そんな、えっ……」
「私は、このような冗談は言わない!」

 あっけに取られていると、堪らんとばかりに腕をさらわれてしまう。

「あなたに焦がれていた……会いたかった」

 間近にせまった、ふるえる声音。これは暗珠のものだろうか。
 先ほどまでこちらを睨みつけていた皇子のものだとするなら、どうしてこんなにも熱っぽく、恋人へ向けるような切ないひびきを孕んでいるのか。

「会いたかった、会いたかった……!」

 全身を締めつける苦しさと痛みを受け、抱きしめられているのだと遅れて理解する。

「ちょっと、はなして……!」
「嫌だ、離さない! ぜったいぜったい、離しませんからっ……!」

 梅雪を拒絶するはずの暗珠が、その梅雪を求めている。

(どういうこと? なにが起きてるの?)

 一体どうしたことだ。まるで恋でもされているようではないか。
 たかだか街でひと言ふた言かわした梅雪に、暗珠が、恋?

「なんで頼ってくれないんですか、やっと見つけたのに、なんで逃げるんですか……俺のためだって言いながら、俺の気持ちは無視じゃないですか……ひどいですよ、ばか、ハヤメさんのばか……っ!」
「えっ……んなっ……」

 早梅の背へ腕をまわし、首筋に顔をうずめた暗珠が、嗚咽をこらえながら吐露する。
 いよいよもって、わけがわからなくなってきた早梅は、思わず素になって問う。

「待ってくれ……君は一体……」
「あぁもう! こんだけ言ってまだわかんないんですか! ほんっと鈍いひとですね!」

 わぁっと声を上げた暗珠は、一変。

「あなたのことをハヤメさんって呼ぶのは、俺しかいないじゃないですか」

 ささやくような声音で、耳朶に吐息を吹き込まれる。

「……クラマ、くん?」

 こわごわと問うた刹那、暗珠が、わらった。

「やっと気づいてくれました? そうですよ、クラマです。散々手こずらせてくれましたね」

 憎まれ口を叩く一方で、早梅を抱く腕はやさしい。
 ほほをつつみ込む手のひらはあたたかく、こつりとひたいをくっつけられたなら、たがいの吐息がふれあうほどまでに近づく。

「なんで、君が……」
「追ってきちゃいました」
「どうして……」
「ハヤメさんをほっとけない以外に、理由なんてないでしょうが」
「っ……はなしてくれ! 私は君に、酷いことを……!」
「そう思うなら、おとなしく抱きしめられてください」
「……ごめんっ……」
「謝るくらいなら、最初から俺を置き去りにしないでくださいよ。一生根に持ちますからね」
「クラマくん、わたし……っ」
「──ハヤメさん」

 なにを言うにも、ことごとく論破され。

「無事でよかった。俺が来るまで、心細くて泣いてましたよね。遅くなってごめんなさい」

 よく知ったクラマの口調で、聞いたこともないようなやさしい言葉をかけられる。

「クラマ、く……!」
「もういいです、わかってます。俺がそばにいます。守りますから……俺が前に言ったこと、なかったことにしないでくださいね……?」

 いまいちどきつく抱きすくめられ、熱い吐息をこぼす唇が、耳もとへ寄せられる。

「すきです、ハヤメさん……ずっと、好きです」
「やっ……」
「ハヤメさん、ハヤメさん、好き」

 くすぐったさに身をよじるほどに、逃すまいと腕を絡められ。
 飽くことなく名を呼び続ける声は、熱に浮かされ。

「ねぇ、ハヤメさん……ひとの体温って、こんなにあたたかいんですね」

 ふりほどくことが、できない。
 密着したからだの境界線までも、わからなくなる。

「ずっとあなたを見てました……ずっとあなたにふれたくて、ふれられなくて、どうにかなりそうだったっ……!」

 すがるような言葉は、早梅のこころをひどく揺さぶる。

「好きなんです。あなたが好き、大好き……もう二度と離さないから……っ!」

 否定の言葉をつむぐことも、胸を押し返すこともできない早梅は、暗珠クラマに抱かれながら、こみ上げる嗚咽に、身をふるわせるしかなかった。
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