105 / 264
第二章『瑞花繚乱編』
第百一話 慈愛と情愛につつまれて【前】
しおりを挟む
さらり、さらり。
白い紙の上を、黒に染まった筆先がすべる。
ややあって、静かにはなした筆を、そっと硯へ寝かせる。
「これが私の名前だ。姓を雪平、名を早梅という」
「お珍しいお名前ですね」
「それは私が、央原ではない、日本という異世界で生まれた人間だからだ」
「ニッポン……建物もひとびとの服装も、見たことのないものでしたが、あの場所が」
文机に向かう早梅のとなりへ腰をおろし、「雪平 早梅」と記された料紙をのぞきこんだ黒皇が、そういってうなずく。
「私は男装をして、軍人、ここでいう武官をしていてね」
「失礼ですが、なぜ男装を?」
「男尊女卑の思考が根強いお国柄だったからね。だが、親に言われるがまま嫁入りをして子を生むつもりはなかった。私の人生だ、道は私が決めると」
「私の目から見ても、凛と行く末を見据えた、まっすぐな女性でした」
「面と向かって言われると、気恥ずかしいなぁ……」
無自覚の発言にまんまとしてやられた早梅は、苦笑をかえす。それからふと、まつげを伏せた。
「終わりは、なんともあっけなかったけれどね」
早梅の自嘲に、黒皇は沈黙するのみ。
黄金の瞳にじっと少女の横顔を映し、その心境を汲み取ろうとしているのだろう。
「──だれよりも信頼している部下だった。だからこそ、許せないんだ」
なぜじぶんは、殺されなければならなかったのか。
なぜ彼が、凶行におよんだのか。
いまだにわからない。それは呪いのように、早梅をさいなむ。
「あの『マツナミ』という方からは、殺意以上に、酷い嫉妬心と執着が感じられました」
「……どういうことだい?」
「彼が言っていたのです。『俺を見ないあなたが悪い』『これであなたは俺のものだ』──歪んだ愛情。それが、彼を突き動かしたものではないでしょうか」
「そんな……」
「稚拙な推論です。ご気分を害してしまい、申し訳ございません」
「いや……」
にわかには信じがたいが、否定もできない。
黒皇の言葉どおりだとすれば、つじつまが合うためだ。
(松波君が、私を……愛していた? 彼は私を、男だと思っていたはずなのに……)
すべては、愛憎ゆえの悲劇だというのか。
「ですが、そうだとしても、私欲のために尊いいのちを奪ってもよいという理由には決してなり得ません。彼の魂は、地獄の業火に灼かれていることでしょう」
泥沼にはまり込んだ思考ごと、早梅を引き上げる力強い言葉がある。
ひときわ低い語尾は、「そうでなければ、私が燃やします」とでも言わんばかりの気迫で。
まさかの不意討ちに、緊張がほぐされる。
「ふふっ、そうだなぁ……ねぇ黒皇、実を言うと私は、もとの世界にもどりたかったんだ」
「え」
そこで黒皇が一変。ぴしりと石のように固まる。
「帰られるの、ですか……? 黒皇をおいて……?」
「あーっ! ごめん! 説明不足!」
とたんに雛鳥のごとく縮こまった黒皇から、ふるえる声音で問われては、早梅もたまったものではなかった。
「ちょっと長くなるんだけどね……」
変にごまかすのも悪手だろうと、洗いざらい白状することにした。
ここが『氷花君子伝』という小説に描かれた世界であること。
やがて梅雪が、死にゆく運命だったことを。
物語の展開を聞かされた黒皇は、絶句していた。無理もないだろう。
「憂炎どのが、梅雪お嬢さまを手にかけるだなんて、信じられません……」
「ガッツリ変えちゃったかなぁ、いろいろと。あはは」
復讐。それが幽霊となってもなお、早梅を現世へとどめていた最大の理由だ。
現代へもどるためには、この世界で生き抜き、結末を見届けなければならない。
だからがむしゃらにあがいてきたが、近頃ふと気づいたのだ。
「もとの世界にもどっても彼は死んでいて、いないじゃないか。それなのに、復讐にこだわる必要もないかなって」
──クラマのことが、脳裏をよぎらないわけではない。
けれど、彼とはもう決別したのだ。早梅が、じぶんの意思で突き放した。
白い紙の上を、黒に染まった筆先がすべる。
ややあって、静かにはなした筆を、そっと硯へ寝かせる。
「これが私の名前だ。姓を雪平、名を早梅という」
「お珍しいお名前ですね」
「それは私が、央原ではない、日本という異世界で生まれた人間だからだ」
「ニッポン……建物もひとびとの服装も、見たことのないものでしたが、あの場所が」
文机に向かう早梅のとなりへ腰をおろし、「雪平 早梅」と記された料紙をのぞきこんだ黒皇が、そういってうなずく。
「私は男装をして、軍人、ここでいう武官をしていてね」
「失礼ですが、なぜ男装を?」
「男尊女卑の思考が根強いお国柄だったからね。だが、親に言われるがまま嫁入りをして子を生むつもりはなかった。私の人生だ、道は私が決めると」
「私の目から見ても、凛と行く末を見据えた、まっすぐな女性でした」
「面と向かって言われると、気恥ずかしいなぁ……」
無自覚の発言にまんまとしてやられた早梅は、苦笑をかえす。それからふと、まつげを伏せた。
「終わりは、なんともあっけなかったけれどね」
早梅の自嘲に、黒皇は沈黙するのみ。
黄金の瞳にじっと少女の横顔を映し、その心境を汲み取ろうとしているのだろう。
「──だれよりも信頼している部下だった。だからこそ、許せないんだ」
なぜじぶんは、殺されなければならなかったのか。
なぜ彼が、凶行におよんだのか。
いまだにわからない。それは呪いのように、早梅をさいなむ。
「あの『マツナミ』という方からは、殺意以上に、酷い嫉妬心と執着が感じられました」
「……どういうことだい?」
「彼が言っていたのです。『俺を見ないあなたが悪い』『これであなたは俺のものだ』──歪んだ愛情。それが、彼を突き動かしたものではないでしょうか」
「そんな……」
「稚拙な推論です。ご気分を害してしまい、申し訳ございません」
「いや……」
にわかには信じがたいが、否定もできない。
黒皇の言葉どおりだとすれば、つじつまが合うためだ。
(松波君が、私を……愛していた? 彼は私を、男だと思っていたはずなのに……)
すべては、愛憎ゆえの悲劇だというのか。
「ですが、そうだとしても、私欲のために尊いいのちを奪ってもよいという理由には決してなり得ません。彼の魂は、地獄の業火に灼かれていることでしょう」
泥沼にはまり込んだ思考ごと、早梅を引き上げる力強い言葉がある。
ひときわ低い語尾は、「そうでなければ、私が燃やします」とでも言わんばかりの気迫で。
まさかの不意討ちに、緊張がほぐされる。
「ふふっ、そうだなぁ……ねぇ黒皇、実を言うと私は、もとの世界にもどりたかったんだ」
「え」
そこで黒皇が一変。ぴしりと石のように固まる。
「帰られるの、ですか……? 黒皇をおいて……?」
「あーっ! ごめん! 説明不足!」
とたんに雛鳥のごとく縮こまった黒皇から、ふるえる声音で問われては、早梅もたまったものではなかった。
「ちょっと長くなるんだけどね……」
変にごまかすのも悪手だろうと、洗いざらい白状することにした。
ここが『氷花君子伝』という小説に描かれた世界であること。
やがて梅雪が、死にゆく運命だったことを。
物語の展開を聞かされた黒皇は、絶句していた。無理もないだろう。
「憂炎どのが、梅雪お嬢さまを手にかけるだなんて、信じられません……」
「ガッツリ変えちゃったかなぁ、いろいろと。あはは」
復讐。それが幽霊となってもなお、早梅を現世へとどめていた最大の理由だ。
現代へもどるためには、この世界で生き抜き、結末を見届けなければならない。
だからがむしゃらにあがいてきたが、近頃ふと気づいたのだ。
「もとの世界にもどっても彼は死んでいて、いないじゃないか。それなのに、復讐にこだわる必要もないかなって」
──クラマのことが、脳裏をよぎらないわけではない。
けれど、彼とはもう決別したのだ。早梅が、じぶんの意思で突き放した。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた
愛丸 リナ
恋愛
少女は綺麗過ぎた。
整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。
最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?
でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。
クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……
たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた
それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない
______________________________
ATTENTION
自己満小説満載
一話ずつ、出来上がり次第投稿
急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする
文章が変な時があります
恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定
以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる