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第二章『瑞花繚乱編』

第百話 手繰り寄せる【後】

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 清々しい明け方の風が、格子窓のすきまから舞い込む。

「あちゃー、やってしまったなぁ」

 早梅はやめは目を覚ますなり、薄笑いを浮かべた。

「おはようございます、梅雪メイシェお嬢さま。なんのことでしょうか」
「こっちの話だよ」

 起き抜けの独り言に間髪を容れず反応があり、早梅はさらにほほを引きつらせた。
 現状を説明しよう。横になっていたところ、寝台の端に腰かけた黒皇ヘイファンからほほをなでられ、髪を梳かれていた。以上。

(なんで? 私が泣いてた黒皇を慰めてたはずなんだけどな、あれぇ!?)

 が、途中で記憶がとぎれている。
 寝かしつけているうちにこちらまで眠くなり、いつの間にか撃沈してしまったところを、黒皇によって形勢逆転させられたのだ。
 なんと早起き。なんと規則正しい生活リズム。

「ものすごく表情が活き活きしてるね、君」
「お嬢さまが、久しぶりにいっしょに寝てくださったので」
「へっ」
「この数日、黒皇はとても寂しゅうございました」
「……あぁあ~!」

 これはもしかしなくとも、添い寝を断っていたことについて言われている。
 そうだ、黒皇はその理由をまだ知らないのだ。

「よし黒皇、起きるのを手伝ってくれないか。弁明させてほしい」
「わかりました」

 ならばお聞きしましょうとでも言わんばかりの黒皇に手を引かれ、大きな腹を支えながら上体を起こす。
 寝台をおり、脇にある棚へよたよたと歩み寄ると、木箱を手に取る。そのなかには裁縫道具一式が仕舞われているほかに、白い布で厳重に包まれているものがあり。

「結論から言うと、黒皇に、ちょっとしたいたずらを仕掛けようとしていてね」
「いたずらですか」
「そうさ。突然贈り物をして、おどろかせてやろうってね。さ、手をだしてごらん!」

 はじける笑みを受け、おずおずと両手をさしだす黒皇。そこへ白い包みをのせた早梅は、布の結び目をほどく。
 丸みをおびた黄金の瞳が、光沢のある紺色の革を映しだした。

「これは……眼帯、ですか」
「そうだよ。贈り物といえば香り袋だけど、私は黒皇のおひさまの香りが好きだから、べつのものにしようって。結構悩んだんだからね!」
「梅雪お嬢さまが……作ってくださったのですか」
「もちろん。イェンおばあさまに道具と素材をおねがいして、ぜんぶ私が縫った。途中でフォンおじいさまにバレちゃって、ハラハラしたよ」
青風真君せいふうしんくんまで、ご存じで……」

 そこまで言って、黒皇は言葉をうしなう。
 紺一色だと思われた眼帯の内側に、金糸で繊細な刺繍がされていることに気づいたためだ。
 だれの目にもふれない。しかし黒皇のまぶた、黒皇だけがふれられる場所に、煌々とかがやく、ひとつの太陽がある。

「君は私のおひさま。それを知っているのは、君と私だけでいいだろう?」
「お嬢さま……」
「私がつけてもいいかい?」
「……はい」

 黒皇はうなずき、ゆるく前へからだを折る。
 早梅が手に取った眼帯は、黒皇の後頭部で、かちりと留具が合わさる。
 艷やかな紺色は、青みがかった黒髪とよくなじんだ。

「ぴったりだ。さすが私。また男前になったね」
「そんな……」
「似合ってるよ」
「ありがとうございます……」

 礼を述べる声音は、わずかにふるえていた。
 早梅はほほ笑み、眼帯越しに右のまぶたへそっと唇をふれあわせる。顔を上げようとしていた黒皇が、固まる。
 それが可笑しくて、さらに追い討ちをかける。

「しまったなぁ。先に顔を洗ってきたほうがよかったんじゃない? おろしたての眼帯がびしょ濡れになってしまうかも。あぁでも、私と会うときの君は、いつ見てもびしょびしょの濡れ烏だったね」
「……え? あの、」
「さぁ黒皇、とっておきのいたずらサプライズだ」

 なにを言われているのかまったく理解していない黒皇へ、満を持して言葉をはなつ。

「今日も丸洗いの刑をご所望かい? わが友よ」

 早梅は知っていた。
 黒皇をそう呼ぶ存在が、たったひとりであることを。

「梅雪、お嬢さま……」
「私のほんとうの名前は、『ハヤメ』だよ。黒皇」
「一体どういうっ……『ハヤメ』さまは、私の目の前で、たしかに……っ!」
「あぁ。私は部下に腹を刺され、いのちを奪われた」
「っ……どうして……!」
「永い間、幽霊としてさまよった。そしてなんの因果か、梅雪という少女のからだに魂をやどしてしまったんだ」
「そんな……そんな」
「信じられなくともかまわない。だがね、ともに過ごしたひとときのことを、私はいつでも君に語ってあげられるよ、わが友よ」

 おだやかな鈴の声音が奏でられ、ながいながい沈黙がおとずれる。

「……梅雪お嬢さまが、『ハヤメ』さま?」
「あぁ」
「……ならどうして、おっしゃってくださらなかったのです?」
「だって君、ふつうの烏ぶってたじゃないか。黒皇だなんて自己紹介もしてくれなかった」
「そういえば、そうでした」
「私も生前の記憶が曖昧で。だけど黒皇の話を聞いて、思いだした。わが友はほかでもない君だったって、つながったんだ」
「『ハヤメ』さま……」
「うん?」
「『ハヤメ』さま」
「うん」
「あなたが、私の……っ!」
「ぐぇっ」

 油断していた。まさか黒皇に体当たりをされるとは夢にも思わなかった早梅は、その一撃をもろに食らってしまう。

「『ハヤメ』さまが、私の目の前にっ!」
「ちょっと落ち着いてくれ……中身がでそう……」
「むりです、私だってなにがなにやらわからないのに、落ち着けだなんて……っ」

 こんなにも取り乱す黒皇を、はじめて目にする。

「あぁ、夢でもなんでもいい……」

 きつく抱きすくめる黒皇の腕のなかで、早梅はただ、はらはらとながれる涙を見上げることしかできない。

「ずっと……ずっとお伝えしたかったことが、あります」

 一度はうしなったひと。
 声を聞きたい、笑顔を見たいと、どれだけ切望したことか。

 いまこのとき、ひとすじのいとがある。
 ふれられるなら、手を伸ばせるなら。

「『ハヤメ』さま」

 つかんで、手繰り寄せろ。

「お慕いしておりました」
「黒皇……」
「どうにかなってしまうほど、いとおしい──」

 吐息のようなささやきが耳朶をくすぐり、身をよじる早梅。
 だが密着したからだは、びくともしない。
 黄金の隻眼が、近い。

「──愛しています。あぁ……やっと伝えられた」

 とろけるように破顔した黒皇は、早梅へほほをすり寄せる。

「愛しています。これからも、おそばにいさせてくださいね。『ハヤメ』さま」

 絡み合ったいとは、もうだれにもほどけない。
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