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第二章『瑞花繚乱編』

第九十八話 射陽【後】

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「あれは、矢……? だれかが、おれたちを射殺そうとしてる! なんでっ!」
「……私たちが、禁忌を犯したからだ」
「どういうことですか、ファン兄上!」
「おまえたちはもどりなさい。私は父上の……木王父ぼくおうふさまのもとへゆく」
「そんなっ、兄上!」
「──うぁああっ!!」

 黒雲ヘイユンが、墜ちる。
 それを呆然と目の当たりにした黒嵐ヘイランも、墜ちる。

「いけないっ、皇兄上っ!」

 そして黒皇ヘイファンの目の前で、おのれをかばった黒俊ヘイジュンも、立派に成長した翼を射抜かれ。

 墜ちる、墜ちる。
 愛しい弟たちが、次々と。

 ──これは罰なのだ。
 ──神の怒りなのだ。

「──おやめください、父上ッ!」

 夢中だった。

「翼は……もう飛べなくてもかまいません。ですからどうか、弟たちのいのちだけはお助けください! 罰なら私がお受けします! どうか、どうか……!」

 黒皇がいくら叫ぼうとも、天を穿つ矢の勢いは衰えない。

「皇あにうえ……!」
「……小慧シャオフゥイ!?」

 幻覚を見たのかと。
 だが、ほほをかすめた矢が刻んだ痛みは、たしかなもの。

フゥイはここです! だから、あにうえ……!」
「──もどれッ!!」
「ひゃっ……!」

 考えるまでもなかった。
 身をおどらせた黒皇は、おぼつかない羽ばたきで近寄るおさない弟の襟首をつかみ、力任せに放る。

「もどれ!」
「なんで! あにうえ、慧をひとりにしないで、あにうえぇっ!」
「もどれッ! 二度と来るなッ!!」

 怒りだけが、最後の気力だった。
 猛然と羽ばたき、巻き起こした竜巻で黒慧ヘイフゥイを吹き飛ばす。
 七色の雲海の、その向こうまで届くように。

「さようなら、小慧……ごめんね……」

 か細い声でつぶやいた刹那、黒皇の片翼を、灼熱が貫いた。


  *  *  *


 禁忌を犯した。決して許されない罪だ。
 当然だ。とおも太陽があって、人の世が無事ですむはずがない。
 下界は灼熱の地獄につつまれたはずだ。
 だからこれは、報いなのだ。

 下界に射落とされた黒皇は、血だまりのなかで慟哭していた。
 陽功ようこうを取り上げられ、翼は傷つき。

 ──せめて、弟たちのいのちだけは。

 懇願した最後の希望さえも、打ち砕かれて。

黒俊ヘイジュン黒文ヘイウォン黒春ヘイチュン……」

 じぶんがいないとき、よい兄でいてくれた、しっかり者の弟たち。

黒東ヘイドン黒倫ヘイルン黒杏ヘイシン……」

 いたずらには悩まされたけれど、みなを楽しい気持ちにさせてくれた、明るい弟たち。

黒嵐ヘイラン黒雲ヘイユン……」

 だれより末の弟を可愛がってくれた、純粋で想いやりにあふれた弟たち。

小慧シャオフゥイ……黒慧ヘイフゥイ

 そして、こんなじぶんを兄と慕ってくれた、ひたむきで無垢な弟。

「かわいいかわいい、私の弟たち……」

 もう、顔を見ることができない。

「うぅ……あぁあ、ぁあああぁあああ!!!」

 なにもかもをうしなった黒皇は、泣き叫んだ。
 声が枯れても、涙が枯れても、こころで泣き叫んだ。

 黒俊、黒文、黒春、黒東、黒倫、黒杏、黒嵐、黒雲。
 八人だ。八人の弟が、おのれの不注意のせいで死んでしまった。
 もっと言い聞かせていれば。だが、そんな『もしも』を想像をしたところで、おのれの愚かさが弟たちを死に至らしめた事実は変わらない。

(……なぜ私が、生きているのだろう)

 弟を殺したも同然の、じぶんが。

(太陽は……ひとつでいい)

 なんということはない。その使命を担う真の選ばれし者が、末の弟だったというだけ。
 そう考えたら、不思議と楽になれた気がした。

 どれだけの年月を、さまよっていたのかはわからない。
 ただの非力な烏として生きる黒皇は、自身のいのちに執着がなかった。
 どこぞの辺境で野良猫に襲われて、古傷のうずく翼を引っかかれ、あぁ、死ぬのだろうなぁと他人事のように思った。

「汚い烏だな」

 そんなときだったか。不吉の象徴だとして、だれも気にもとめないじぶんの前に、だれかが足をとめたのは。
 うつろだった日々のなか、黒皇は顔を上げる。

「来い、おれの食料にしてやる」

 野良猫を追い払い、そういって黒皇を抱き上げたこどもは、とてもやさしく、ふれてくれた。

「わぁ、烏さんだぁ。はじめまして! わたしは梅雪メイシェ!」

 追い討ちのごとく聞こえた鈴の声音のほうを見上げ、愕然とした。
 はにかむその笑顔は、まばゆい瑠璃色の瞳は。

(『ハヤメ』さま……『ハヤメ』さま!)

 間違いない。髪は翡翠ひすい色だったし、おさなかったけれど、その瑠璃の瞳も面影も、彼女のものだった。
 
紫月ズーユェ、その子どうするの?」
「おれの食料にする」
「うそだぁ」

 絶望の奥底へ沈んだ黒皇の前に突然あらわれた、こどもたち。
 おさない兄妹が言い合う、秋の夕暮れ。

「ねぇ烏さん、わたし、お友だちになりたいなぁ」

 黄金色につつまれたまぶしいその日のことを、決して忘れることはないだろう。


  *  *  *


 央原おうげんの空に、十の太陽があらわれた。
 たちまち灼熱に飲み込まれ、多くのひとびとが倒れた。
 川は干上がり、草木は枯れた。
 だれもが神に祈った。どうか、お助けください……と。

 やがて、ひとつ、またひとつと、太陽が墜ちゆく。
 天をも穿つ矢が、九つの太陽を射落としたのだ。

「やった……やったぞ! さすがです将軍! 万歳! 万歳! 万歳!」

 周囲で沸き立つ男たちをよそに、弓をおろした青年は、深く息を吐きだす。
 その漆黒の髪が、吹き抜けた涼風にひるがえる。

「おや、どうなされましたか、われらがルオ将軍。ご気分でも?」
「いや、大事ない」

 簡潔に返答した青年は、ひろい上げた黄金に輝く枝を懐に仕舞い、きびすを返す。

「もどるぞ」

 颯爽と馬にまたがる青年の双眸は、鮮やかな緋色をたたえていた。

 これが古くから伝わる『射陽伝説』──そして羅皇室の、はじまりの物語である。
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