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第二章『瑞花繚乱編』
第八十八話 縁をつかんで【前】
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緊急事態が、この金玲山にて発生している。
「このままでは、皇兄上が死んでしまいます……!」
そういって晴風の宮に駆け込んできたのは、霍十兄弟の次男坊、黒俊だ。
ほかの兄弟も、長兄の異変に気づいていることだろう。そして事態は、晴風の想像以上に深刻なものだった。
黒俊の訴えによると、ある日突然、黒皇がしゃべらなくなったらしい。
もともと寡黙な男ではあったが、必要以上の会話を、どことなく避けているようだと。
あまり食事もとらず、夜も充分に休めているとは言いがたい状況。
そのくせ、日々の仕事は抜かりなくこなそうとする。
このままでは、からだを壊す以前に、こころが死んでしまう。
けれど、一体なにが兄をそうさせているのか、黒俊たち兄弟は皆目見当がつかず、晴風に泣きつくほかなかったのだ。
「どうしたもんかねぇ……」
青涼宮にある私室にて、晴風は腕を組み、しかめっ面でうなる。
心当たりが、ないわけではない。だからこそ、これが無闇にふみ込んでもよい状況ではないと理解すらできるのだが。
「背に腹はかえられねぇよな。よっし、俺に考えがある」
「ほんとうですか、青風真君!」
「おう。ちょっくらサシで話してくるわ。まかせとけ」
じぶんが、じぶんこそが行くべきなのだろう。
黒俊を安心させる笑みを返し、晴風はひざを叩いて、勢いよく立ち上がった。
* * *
「やい、そこのシケた面した陰鬱烏」
背後からの無遠慮な呼びかけに、黒皇は一拍を置いてふり返る。
「……顔は生まれつきですが」
「くそ真面目な返しすんじゃねぇよ。根暗か?」
答えはない。ひと言のみを返したきり、黒皇は顔をそむけて黙り込む。
あるとき瓏池からもどって様子がおかしくなっていたという烏は、なんの冗談か瓏池に入り浸っていた。
ほとりに座り込み、うなだれている。
ため息をついた晴風は、こちらを見ようともしない黒皇の視界に無理やり入り込み、手にした瓢箪を目前へ突きだす。
「俺特製の茘枝酒だ。付き合えよ。拒否は受けつけん」
晴風は、こうと言いだしたら聞かない性格だ。
それを嫌というほど知っている黒皇は、たっぷりと沈黙を経て、不承不承うなずいた。
言質はとったとぞばかりに、黒皇のとなりでどかりと胡座をかく晴風。
瓢箪の栓をぬき、持参したさかずきに茘枝酒を注ぐ。
承諾した手前、口をつけないわけにはいかない黒皇は、なめるようにひとくちだけを含み、つぶやいた。
「あまいです」
「果実酒だかんな。そりゃ甘いわ」
黒皇の声には抑揚がなく、表情も無きに等しいため、口に合ったのかそうでないのか、判断に苦しむ。とりあえず前者だろうと、晴風は結論づけた。
「おまえさぁ、まさかとは思うけどよ。前に話してた女の子に、なんかあったのか?」
回りくどい真似は好かないと、晴風は単刀直入に懐へ入り込むことにした。
すると、瓢箪をのせた盆へ叩きつけるようにさかずきが置かれ、酒が跳ねた。
温和で超がつくほど礼儀ただしい黒皇らしからぬ、乱雑な仕草だった。
「青風真君には、関係のないことです」
「そうかい。つくづくらしくねぇぜ、黒皇」
「私らしいとはなんですか? 愛するひとを喪って……目の前で殺されて、どうやってじぶんらしくいればよいのですか!?」
黒皇の怒号をはじめて耳にしながら、あぁ、こいつは泣いてるんだ、と晴風は思った。
想いびとを守れなかったのはじぶんのせいだと、自責の念に駆られ、苦しんでいるのだ。優しすぎるから。
「傷口をつつき回す真似はしねぇけどよ、これだけは言えるぞ」
事の仔細を聞かずとも、わかることがある。
それはきっと、晴風だからこそ。
「愛するひとを喪う哀しみは知ってる。世の中にはクソみたいな野郎がいるってこともな。なんてったってな、俺ぁ元人間サマだぞ。そういう愛とか欲とか憎悪とかに揉みくちゃにされて、それでもあがいたから、ここにいんだよ」
黒皇はきっと、はじめていだく負の感情に、戸惑っているのだろう。
どうしたらいいのかわからずに、迷子になっているのだ。
「このままでは、皇兄上が死んでしまいます……!」
そういって晴風の宮に駆け込んできたのは、霍十兄弟の次男坊、黒俊だ。
ほかの兄弟も、長兄の異変に気づいていることだろう。そして事態は、晴風の想像以上に深刻なものだった。
黒俊の訴えによると、ある日突然、黒皇がしゃべらなくなったらしい。
もともと寡黙な男ではあったが、必要以上の会話を、どことなく避けているようだと。
あまり食事もとらず、夜も充分に休めているとは言いがたい状況。
そのくせ、日々の仕事は抜かりなくこなそうとする。
このままでは、からだを壊す以前に、こころが死んでしまう。
けれど、一体なにが兄をそうさせているのか、黒俊たち兄弟は皆目見当がつかず、晴風に泣きつくほかなかったのだ。
「どうしたもんかねぇ……」
青涼宮にある私室にて、晴風は腕を組み、しかめっ面でうなる。
心当たりが、ないわけではない。だからこそ、これが無闇にふみ込んでもよい状況ではないと理解すらできるのだが。
「背に腹はかえられねぇよな。よっし、俺に考えがある」
「ほんとうですか、青風真君!」
「おう。ちょっくらサシで話してくるわ。まかせとけ」
じぶんが、じぶんこそが行くべきなのだろう。
黒俊を安心させる笑みを返し、晴風はひざを叩いて、勢いよく立ち上がった。
* * *
「やい、そこのシケた面した陰鬱烏」
背後からの無遠慮な呼びかけに、黒皇は一拍を置いてふり返る。
「……顔は生まれつきですが」
「くそ真面目な返しすんじゃねぇよ。根暗か?」
答えはない。ひと言のみを返したきり、黒皇は顔をそむけて黙り込む。
あるとき瓏池からもどって様子がおかしくなっていたという烏は、なんの冗談か瓏池に入り浸っていた。
ほとりに座り込み、うなだれている。
ため息をついた晴風は、こちらを見ようともしない黒皇の視界に無理やり入り込み、手にした瓢箪を目前へ突きだす。
「俺特製の茘枝酒だ。付き合えよ。拒否は受けつけん」
晴風は、こうと言いだしたら聞かない性格だ。
それを嫌というほど知っている黒皇は、たっぷりと沈黙を経て、不承不承うなずいた。
言質はとったとぞばかりに、黒皇のとなりでどかりと胡座をかく晴風。
瓢箪の栓をぬき、持参したさかずきに茘枝酒を注ぐ。
承諾した手前、口をつけないわけにはいかない黒皇は、なめるようにひとくちだけを含み、つぶやいた。
「あまいです」
「果実酒だかんな。そりゃ甘いわ」
黒皇の声には抑揚がなく、表情も無きに等しいため、口に合ったのかそうでないのか、判断に苦しむ。とりあえず前者だろうと、晴風は結論づけた。
「おまえさぁ、まさかとは思うけどよ。前に話してた女の子に、なんかあったのか?」
回りくどい真似は好かないと、晴風は単刀直入に懐へ入り込むことにした。
すると、瓢箪をのせた盆へ叩きつけるようにさかずきが置かれ、酒が跳ねた。
温和で超がつくほど礼儀ただしい黒皇らしからぬ、乱雑な仕草だった。
「青風真君には、関係のないことです」
「そうかい。つくづくらしくねぇぜ、黒皇」
「私らしいとはなんですか? 愛するひとを喪って……目の前で殺されて、どうやってじぶんらしくいればよいのですか!?」
黒皇の怒号をはじめて耳にしながら、あぁ、こいつは泣いてるんだ、と晴風は思った。
想いびとを守れなかったのはじぶんのせいだと、自責の念に駆られ、苦しんでいるのだ。優しすぎるから。
「傷口をつつき回す真似はしねぇけどよ、これだけは言えるぞ」
事の仔細を聞かずとも、わかることがある。
それはきっと、晴風だからこそ。
「愛するひとを喪う哀しみは知ってる。世の中にはクソみたいな野郎がいるってこともな。なんてったってな、俺ぁ元人間サマだぞ。そういう愛とか欲とか憎悪とかに揉みくちゃにされて、それでもあがいたから、ここにいんだよ」
黒皇はきっと、はじめていだく負の感情に、戸惑っているのだろう。
どうしたらいいのかわからずに、迷子になっているのだ。
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