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第二章『瑞花繚乱編』

第七十一話 春を知る燕【中】

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 唯一の肉親であり、最愛の兄が、行方知れずとなった。
 自分のせいだということは、痛いほどによくわかっていた。

 たいせつだからこそ傷つけたくなくて、うそをついて……その結果、傷つけてしまうだなんて。

(愛していた……ただ愛していただけだったのよ……)

 兄のいない世界など、なんの意味もない。
 吹雪に巻かれたからだが、熱を奪われてゆく。

(もうすこしで、会いにいけるわ……兄さん)

 消えゆく自身の鼓動を感じながら、静燕ジンイェンはまぶたをとじる。

「──なにしてんだ、ばかやろうッ!」

 だがくずれ落ちる静燕を、さらう腕がある。
 だれかが叫んでいた。その声は、焦がれた兄のものに似て。
 手放しかけた意識のなか、静燕は重いまぶたを持ち上げる。

「……にい、さん……?」

 見まごうはずもない。兄だ。晴風チンフォンだ。
 静燕を掻き抱いて、瑠璃の瞳から大粒の涙をとめどなくこぼしている。

「にいさん……ごめんなさい、ゆるして……私はうそつきよ……嫌いなんてうそ、大うそよ……大好きよ、兄さん、兄さん……っ!」

 静燕も涙をあふれさせながら、晴風の首へすがりついた。
 やっと会えた。もう離さない。これからも共に在れることに、静燕は至福を感じていた。

「おまえが幸せなら、それでいいと思ってたのに……これじゃ意味がないじゃねぇか! ばか、ほんっとに、ばかだよ……!」

 だけれども、晴風の声は悲痛にわななく。

「おまえは『こっち』に来んな。普通に暮らして、こどもを生んで、ばあちゃんになるまで笑ってりゃいいんだ」
「そん、な……むりよ、兄さんがいないなんて、私っ……!」
「もう俺に囚われるな」
「いやよ、聞きたくないっ!」
「生きろ、燕燕イェンイェン!」

 氷のごとく体温を失ったからだに、ぬくもりが流れ込む。
 息もできない抱擁。このまま時が止まってしまえばいいのにと思った。
 けれど、静燕にはわかってしまった。これが、最後なのだと。

「俺のほうが愛してるよ……ばぁか」

 だれよりも愛しい兄は、そうささやいて、静燕を手放した。


  *  *  *


「長い長い冬にさいなまれた燕は、そうして、春をむかえたのよ」

 最後にそう結び、静燕は語り終える。

「可笑しな話よね。兄に会うため、死を覚悟して足を踏み入れた雪山で、その兄に追い返されるだなんて」

 あぁ……と。早梅はやめはひと言では形容しがたい熱情に見舞われる。
 決して偶然ではなかった。ここで出会ったふたりが、あの曲の兄妹とおなじ名前だったことも。
 意味があった。晴風だけが若々しい見目のままだったことも。

「私は生きのびたわ。そしてこどもを生んで、おばあちゃんになるまで生き抜いたのよ。でもね、いくら年月を重ねようと、ついぞ兄を忘れることなどできなかった」

 だから晴風を想い、手記を残したのだという。

「娘が琵琶を好んで弾いていたから、それを曲にでもしたのかしら……なんだか、照れちゃうわね」

 そうだ、そうだったのだ。
 早梅の脳裏に、記憶がよみがえる。

 幼き日、梅雪メイシェザオ家の邸宅にある蔵で、古びた琵琶を見つけた。
 だから弾いてほしいと、紫月ズーユェにねだっていたけれど……それだけではなかった。

 その日、梅雪が琵琶とともに手にしたのは、『白雪小哥妹はくせつしょうかまい』の全章を網羅した譜面、そして、その物語を記した書物。静燕の手記そのものだ。

 静燕の手記が、早家に伝えられていた。それはつまり。

「あなたと私たちは、血がつながっているということよ、梅雪ちゃん」
 
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