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第一章『忍び寄る影編』

第五十七話 芒のごとく【後】

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 時の都、天陽てんよう
 先に皇妃が亡くなられてからというもの、後宮でもっとも大きな東の宮の主は、そう年端もいかぬ皇子となった。

 皇子は幼少より、一日のほとんどを病床ですごしていた。
 どこぞの陰謀に巻き込まれて毒を盛られるより、喘息をこじらせてころりとほうが早いのでは、と陰でささやかれたほど。

 そんな唯一の皇位継承者が、ある真冬の早朝、あやまって池に落ちたという。
 宮廷内は震撼。専属の医官たちは、みずからの死をも覚悟した。
 そして、だれもが予想し得ない出来事が起こる。

「──剣を持て」
「へっ、け、剣でございますか?」

 三日三晩生死の境をさまよった皇子が、むくりと起き上がり、たっぷりの無言を経たのち、うなるように発語したのだ。

「おそれながら殿下、剣よりも、まずは薬湯を……」
「はやく持て!」
「ひッ……し、しばしお待ちを!」

 医官はすくみ上がり、皇子の私室から転がりでていった。
 ひろいへやに残された皇子は、寝台から降り立つ。

「……はぁああ!」

 そして、盛大なため息とともに、壁へ頭を激突させた。

「しっかり痛いわ……」

 要するに、夢ではない、ということだ。
 そのうちに、なぜ真冬の池に落ちる失態をおかしたのかが、こめかみの痛みをともなってじわりじわりと思いだされる。
 薄氷うすらいの張った水面に映る自分の顔を見て、おどろいてしまったのだ。

 一体なんのことかと思うだろう。
 実際、なんのことはなかったはずだ。
 皇子であったなら。皇子本人であったなら。

(艶のある黒髪に、あかい瞳……)

 きわめつけは、専属の医官やら世話役の宦官かんがんやらが、口々に呼んでいた自分の肩書き。

「殿下って皇子のことだよな。ここ・・での皇子って、つまり……ルオ暗珠アンジュ? 現皇帝飛龍フェイロンの息子の、暗珠……?」

 ぶつぶつぶつぶつと、もはや怨念の声音で独り言をもらしていた『少年』が、一変。

「主人公なんですけどぉーっ!?」

 発狂。鬼気迫るその絶叫は、まさに正気の沙汰ではない。

「なんつーキャスティングだよ、しかも中学生だよな? どう見ても中学生だろ、これ。はいはい原作軸ガン無視きましたー!」

 人が変わったかのごとく病弱な皇子が吠えるのも、当然のこと。
 なぜなら『彼』は皇子であって、皇子ではないのだから。

「あーもういいや、なんでも。どうせ才能はあるんだし、剣でもなんでもちゃっちゃと修行してしまおう」

 よく言えば順応が早い。
 悪く言えばただのやけくそ。
 開き直った『彼』の行動は早かった。

「そして俺が来たからには、覚悟してくださいよ……」

 主人公らしからぬ黒笑を浮かべ、『彼』は声高らかに宣言する。

「とっとと見つけて俺のよめにしてやりますからね! ハヤメさん!!」

『電脳無限会社NPCエヌピーシー
 ノンプレイヤー課課長──クラマ。

 社則でモブ専ではあるけれども。

 武侠小説『氷花君子伝』における主人公として、このたび特例で現場復帰をした次第だ。

 ちなみに羅暗珠皇子殿下。
 このときよわい十三歳である。


【第一章 忍び寄る影編 完】
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