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第一章『忍び寄る影編』

第五十五話 芒のごとく【前】

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 泣きじゃくった。自分が赤ん坊のときですら、こんなに愚図ったかどうか。

 かなしいやら、腹が立つやら、安心やらで、ぐちゃぐちゃに泣きべそをかいていたら、いつの間にか胡座をかいた黒皇ヘイファンの足の間にすっぽりおさまっていた。
 脳天に顎をのせ、長い両腕をしっかりと巻きつけられているため、逃げられそうもない。

「……立派な翼だね」
「烏ですので。空を飛べる程度には立派です」
「……足が一本足りなくない?」
「仕舞っております。二本で充分です」
「足って収納できるものなんだ……」
「獣人族のみなさまの耳やしっぽだって、だしたり引っ込めたりできるではありませんか」
「言われてみれば」
「はい。ですので翼も引っ込みます」

 そのへんに放っておいた疑問を、あらためてぶつけてみた。
 すると見目のととのった精悍せいかんな青年へとすがたを変えた八咫烏やたがらすが、流暢な人語でもれなく答えてしまう。

 これにて早梅はやめの照れ隠しは、不発に終わる。
 折りたたんだ翼はいずこに。手品か。

 応答の口調は淡々としていても、くり返し早梅の背をなでるやさしい仕草は、慈愛の情を隠しきれていなかった。
 ずっと昔に転んで泣いてしまったとき、父も──桃英タオインもこうして抱きしめて、なでてくれた気がする。

「ねぇ、黒皇」

 もたれたたくましい胸もとから、顔を上げる。
 腕の力をゆるめた黒皇は、わずかに首をかしげ、上目遣う瑠璃るりのきらめきをじっと見つめ返した。

「痛かったでしょう。ごめんね」

 白魚のごとき指が、赤黒い血のにじむ包帯の上から右のまぶたへふれようとして、きゅっとこぶしをつくる。

「おひさまみたいに、きれいな黄金の瞳だったのに」
「ひとつで充分です。太陽が多すぎても、困るでしょうから」
「そういうものかな?」
「そういうものです」

 黒皇の言い回しは、いつも独特だが、

「片眼をうしなっても、梅雪メイシェお嬢さまがご無事でいてくだされば、せつの世界は変わらずあかるいのです」

 ──お嬢さまのせいではありません。

 深いひびきをもった声音は、そう断言している。

 宙に浮いたままのこぶしが、大きな手のひらに包み込まれる。
 指の稜線をなでる親指の動きにこわばりをほどかれ、花ひらいた手に黒皇の右のほほがすり寄せられた。

 日向ぼっこが好きなこの烏は、羽毛をなでてやると、よくおひさまのにおいをさせながらすり寄ってきたなぁ、と胸がこそばゆくなる。

「ありがとう……黒皇」

 たったのひと言では伝えきれないから、両腕をめいっぱいに伸ばした抱擁を交わして、からだを離した。
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