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第一章『忍び寄る影編』

第四十九話 うそつきの罪【後】

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「おれは梅姐姐メイおねえちゃんといる。梅姐姐が行くところに行く。いっしょにいるんだ。ずっと、ずっと、ずっと!」

 もし自分が死ぬと言えば、この子も死を選んでしまう。そんな危うさが、無邪気さにかいま見える。
 自分がなにを言おうが、手遅れだったのだ。
 なんて、悪い子だ。

「……痛い、なぁ」

 こらえていた言葉は、か細くふるえて、こぼれでた。
 これにびん、と大きな月白げっぱくの三角耳としっぽを立たせた憂炎ユーエンが、目に見えて焦りはじめる。

「いっ、いたい? やっぱり?」
「痛い。ひとりで起き上がれそうもない」
「わーん! ごめんねぇ!」

 幼い憂炎は、ハヤメの言葉をそのままの意味でとらえてしまう。
 ハヤメの上から飛びのくなり、腕を引き、背を支えながら起こしてくれる。

 憂炎だって、男に斬られた背中の傷は決して浅くないだろうに。
 そんなことはまったく頭にないように、狼の耳としっぽをしゅんと垂れ、「ごめんなさい……」と消沈している。

(憂炎は、ひとの痛みがわかる子だ)

 その純粋なこころこそ、踏みにじられてはいけない。
 涙より、笑顔が見たいとねがってしまう。
 そんな資格はないと、わかっていても。

 うなだれた月白の頭へ伸ばしかけた右手を、その鉄錆くささから戻し、手のひらに爪を食い込ませる。

(……弱味を見せるのは、これきりだ)

 負けるわけにはいかない。
 生きなければならないのだ。

「行こう」

 言葉少なに告げたハヤメは、ひざもとに落ちていた剣を拾い、孔雀緑の裾をひるがえした。
 ともにゆこうと、言外の意図を察した憂炎は、柘榴の瞳をきらめかせて駆けだす。

 まっすぐに伸びる坂道を、無心で駆け上がった。
 夜闇の向こうからヒュルリと吹きつける風に、ハヤメは人知れず唇を噛む。
 
 後戻りはできない。
 これからおのれが成すことは、自己満足。
 決して褒められることのない、横暴だ。

 やがて暗い暗い景色が途切れ、まばゆい月明かりが視界へ飛び込んでくる。

 あまりのまぶしさに、持ち上げた右腕で影をつくる憂炎。
 そっとまぶたをひらくと、二、三歩進み、きょろきょろとあたりを見回したのち、正面へ視線を戻した。

「いきどまり……」

 道が不自然に途切れている。
 たどり着いた先は、崖だったのだ。

 水のにおいがするからには、川が流れているのだろう。
 しかし目下には、月明かりも届かない深淵の闇がひろがるばかり。
 この高さから足を踏みはずしたなら、どうなるかわかったものではない。

「べつの道さがそう」

 ぶるりと身をふるわせた憂炎は一歩後ずさり、とん、と背中にふれた感触に、一瞬の思考停止をした。

「梅姐姐……?」

 すぐ背後で、ハヤメがほほ笑んでいた。
 月光に照らされたその表情は美しく、見惚れてしまうほどだが、なぜだろうか。

 その笑みに、無性に胸がざわついてしまうのは。
 
「憂炎」

 ハヤメに名を呼ばれ、ほほにふれられる。
 それだけで舞い上がってしまうくらいなのに、なぜだか今日に限っては、ちっとも嬉しくない。
 やかましいほどに拍動するおのれの心臓が『なに』を訴えているのか、憂炎は理解できていなかった。

「ひとやすみついでに、おしゃべりをしようか」

 ハヤメはほほ笑んでいる。
 その瑠璃るりの瞳は憂炎を見ているようで、見ていない。

「私は剣とおなじくらい、弓も得意でね。まぁいまさらだろうが」

 きじと黒装束の男を仕留めた腕前は、憂炎もよく知っている。
 だがそのことが、どうしたというのだろうか。

「いつだったかな。狩りに出かけた。ねらいは鹿だったんだが、その日はめずらしい獲物を見つけてね。雪山に溶け込むような、狼の親子だった」
「……まって」

 いやな、予感がする。
 思考を凍てつかせた憂炎をよそに、鈴の音色は鳴りやまない。

「私の顔を見た瞬間、なぜだか急に親が子狼の首ねっこをくわえて、崖下へ落としてしまったけれどね。そうそう、ちょうどこんな崖から」

 びゅうびゅうと、北風がいている。

「残念だ。白い毛並みの狼は貴重だから、いっしょに剥製はくせいにしてしまいたかったんだが。剥製ってわかるかい? 殺した獣の内蔵を取りだして、腐らないようにしてから、きれいに飾るのさ」

 いくら憂炎が幼いこどもであろうとも、なにを言われているのかくらい、わかる。わかってしまう。

「あの子狼はどうしたかなぁ。親に見捨てられたと思ったかなぁ。かわいそうに」
「……やめて、おねえ、ちゃん」
「もしもだよ。もしもあの子狼が、奇跡的に生きていたら」
「やめてッ!!」

 こわばるほほの稜線を、するりと白い指がなぞる。

「私を、殺しに来るだろうかね?」

 ハヤメはほほ笑んでいた。
 口をひらこうとした憂炎のからだが、後ろへかたむく。

「『きれい』な君がすきだったよ、憂炎」

 肩に添えた手へ力を込め、深淵の闇へ押しだす。
 呆然と固まった小柄な少年は、なすすべもなく重力の洗礼を受け。

「梅姐姐ッ──!!」

 何事か叫んだ言葉も、強風にあおられ、無情にかき消された。

 あの子が最後にどんな表情をしていたのか、わからない。
 見ることが、できなかった。

 冷たい冷たい北風にもまれながら、ハヤメはたった独りでたたずんでいた。
 遠い頭上の偃月えんげつを睨みつけながら、血がでるほど唇を噛みしめ、いびつな崖を踏みしめていた。

「……これで、いい……」

 自分へ言い聞かせるように絞りだした声は、情けなくふるえている。

「君は、この物語には必要な存在だから……」

 引き立て役の哀れな令嬢とは違って、君がいなければ、この物語は完結しない。
 だから黒幕にも『生存補正』がはたらくだろうという、お粗末な希望的観測だ。
 だとしても、それでも。

「だいすき……あいしてるよ」

 梅雪メイシェは愛しいひとのために、うそをついた。
 ハヤメも、おなじことをしただけなのだ。

 君の生きる糧となるならば、甘んじて罪を受け入れよう。

「私なんかのために傷つかないで、生きて、しあわせになって……憂炎っ……」

 これは、身勝手な自己満足以外の何物でもない。

 込み上げてきた熱は、歯を食いしばってこらえた。
 泣いている場合では、ない。
 自分にはまだ、やるべきことがある。

 凍てつく夜気を肺いっぱいに取り込んだハヤメは、いまにもくずれそうになる表情さえも凍らせて、左腕を掲げる。
 空中を指先で二度叩けば、ぽう、と光る半透明の画面が出現する。
 右上のメニュー欄からベルマークを呼びだし、一呼吸ののちにタップした。

【接続しています。少々お待ちください──……】

 無機質な光のメッセージがまたたく。
 コール音は、一度しか鳴らなかった。

《はい、クラマです》
 
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