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第一章『忍び寄る影編』

第四十五話 紫紅繚乱【後】

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 絹をまっぷたつに引き裂くような音が、月夜にとどろく。
 疾風が起こり、血をまとった鋼弦いとが緋眼の男の右肩を裂いた。

血功けっこうの使い手か」
「俺に血反吐をはかせたのが間違いだったなァ!!」

 紫月ズーユェは高らかにわらいながら、絹のくつで紫紅の血だまりを叩く。
 すず色の髪と藤色の袖が軽やかになびき、張りつめた戦禍せんかにふさわしくない音色が、あたりを支配する。

 ──ベン、ベンベンベンベン。

 それは琵琶の音だ。
 左手で『糸』をつむぎ、右手で『音』をひびかせる。
 紫月はくるくると廻り踊りながら、いのちを奏でていた。

 ──『白雪小哥妹はくせつしょうかまい ついの章』──

 儚くも鬼気迫る、真愛しんあいの物語。

 縦横無尽に夜闇を舞い狂う紫紅の鋼弦が、細かな網目を織りなして、緋眼の男へ襲いかかり──

 一瞬の、静寂。

 心の臓を貫くは、冷酷なる刃。

「……か、はぁッ……」

 ごふ、と血の塊を吐きだした紫月の指先から、鋼の爪がすべり落ちる。

「無益な悪あがきだ」

 剣も爪も折られ、瀕死の状態。
 たしかに、もう紫月は、なにもできないかもしれない。
 だが、なにも成せなかったわけではない。

「ハッ……余裕綽々とは、結構なこった……」
「なんだと」
「猫の引っ掻き傷を、甘く見ちゃいけねぇなぁ……」

 そこではじめて、緋色のまなざしがゆらぐ。
 武骨な手は、右肩を押さえていた。

「俺に引っ掻かれた! それだけで手前てめぇの負けなんだよ!」

 庶子しょしとはいえ、紫月もザオ一族の血を引く者なのだ。

「愛するこころを知らないやつに、俺たちは屈しない!!」
「卑しい獣の分際で!」

 怒声とともに、ずぷり、と剣を引き抜かれる。
 胸に風穴をあけられたのだ。どうしたって、助からないだろう。
 とうの昔に、痛みも感じなくなっていた。

 いいだろう、どこへなりとも行くがいい。
 凍てつく毒の呪いからは、決して逃れられぬ。

(あぁ……梅雪メイシェ

 視界に紗がかかる。
 思いをはせるのは、当然あの子のこと。

(俺……がんばったよ。ちょっと、しんどかったけど……)

 だけど、すこしくらいは多目にみてほしい。
 こう見えて、めちゃくちゃ痛かったのだ。
 泣きたくなるくらい。

(おまえに会えて、おまえを愛せて、おまえのために、生きることができた……)

 そばにいるという約束は、守れなかったけれど。

(独りには、させない)

 その言葉は、うそではない。

(あぁもう……ねむく、なってきた……)

 伝えたいことは、山ほどあった。
 でもいい加減、くたびれた。

「……なぁ、早梅ハヤメ
 
 なにもかもが曖昧な空間で、そっとつぶやく。

「だいすき、だよ……」

 おやすみ、と。

 最期に言の葉を風へ乗せ、紫月はまぶたをとじる。
 藍玉の双眸からこぼれ落ちた雫が、煌めいて、はじけた。

 は深淵の闇夜を照らす、光となりて。
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