上 下
48 / 264
第一章『忍び寄る影編』

第四十四話 紫紅繚乱【前】

しおりを挟む
 胸がゴロゴロする、と感じたときには、咽頭からせり上がった鮮紅色の液体を地面にまき散らしていた。

(……肺まで、やられたか……)

 折れた肋骨が突き刺さったのだ。
 腹部の臓物はひしゃげ、体内の血液供給もままならない。
 吐血とけつ喀血かっけつをくり返す紫月ズーユェのからだは、もう限界に達していた。
 鮮やかな紅と、変色した紫の血だまりのなか、か細い呼吸を続ける。
 常人であれば、二本足で立つことすら叶わないだろう。
 まぁ常人でなくとも、この出血量ならば、どのみち助からないが。

「くくっ……ふはっ」
「こいつ……」

 突如わらい始める紫月。幾度となく斬り結んだ黒装束の男は、その異様な光景に薄ら寒さをおぼえる。

「死に際にイカれやがったか」

 がしかし、残る四人の仲間のひとりが、苛立ちをあらわに大股で踏みだすではないか。

「おい、やめろ!」

 制止の甲斐もなく、どん、と蹴り飛ばされた華奢な体躯が後方へかしぐ。
 はだけたふじ色の襦裙じゅくんから、ひらりとなにかがこぼれでた。
 折りたたんでだいじに胸もとへしまわれていた、料紙の束だ。

 結ばれていた朱の刺繍糸が切れ、ひらり、はらりと夜風に舞い上げられる。
 顔に飛んできたそれを鬱陶しげに払った男は、ふと違和感をおぼえ、右手を見た。
 するとなぜだろう、指と関節が、

「はっ……?」

 錯覚などではなかった。手指が関節ごとに細断されていたのだ。
 それからピ……と赤い線が入り、手首、ひじ、肩、足首、ひざ、ももがこま切れになる。

「ひッ! ぎゃあああッ!!」

 全身から噴き上がる鮮血に、絶叫する男。

 紫月の繊細なには、重厚な鋼の爪がはめられている。
 左右の細腕が地面に振り下ろされ、叩きつけられた鋼弦いとが鞭のごとくしなる。
 血まみれの男の胴、そして首が、刹那に消し飛んだ。

「そら、ふれれば切れるぞ、ぐちゃぐちゃに死にさらせ! ほらほらほらッ!!」
「みな退けっ! 下がるんだ!」

 いまさら気づいたとて、遅い。

「一緒に地獄へ堕ちようじゃないか! ハハッ、アハハハハッ!」

 ひとり、またひとりと、極彩色の鋼弦に切り刻まれる。

「まさに修羅のごとき、か。化け物め。らちが明かんな」

 人がばらばらに刻まれゆく惨状を目の当たりしながら、緋眼の男は命からがら退避した黒装束の男を見やった。

「なにをしている」
「し、しかし、師弟おとうとたちが、また……!」
「くだらん。役目を果たせ」

 役立たずは不要。言外の意図を察した男に、選択肢などなかった。

「御意……っ!」

 張り巡らされる鋼弦から逃れるように、男は身をひるがえして闇へ飛び込む。
 これで残るは、緋眼の男のみ。
 最大の敵と対峙しながら、なおも紫月はわらっていた。

「追わないのか」
「あんな鼠が一匹消えたところで、なにが変わるって?」

 これは虚勢ではない。確信だ。
 あの子たちが、あんな下衆に負けるはずがないと。

 だから紫月は、背を向けることをしない。
 希望ひかりをうしなわない藍玉らんぎょくの双眸で、緋眼へ食らいつくのだ。

(……裏切られたと、思い込んでいた)

 だが真実は違った。兄は妹を愛し、妹も兄を愛するがゆえに、うそをついた。

 ──あの曲には、続きがあるんです。

 ──あまりの難度に演奏できる弾き手がおらず、いつしか忘れ去られてしまったようですが。

(いいや、恋文の内容を忘れるやつなんていない。そうだろ? 梅雪メイシェ

 なにものよりも代えがたい兄妹の絆を描いたこの曲は、自分たちそのものだ。

(忘れない。忘れさせない)

 一目見た譜面は、なにひとつたがわずおぼえている。
 このこころに、焼きついている。

(これで、最後だ)

 足もとから舞い上がった紫と紅の血が絡まり合い、左の義甲ゆびからぴんと伸びた鋼弦をまたたく間に極彩色へ染め上げた。

「冥土の土産に、一曲贈りましょう」

 つむがれたのは、美しい女の声か。いや。
 三日月を描いた真っ赤な唇で、紫月はわらう。

「──『千紫万紅せんしばんこう白雪小哥妹はくせつしょうかまい』」
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

処理中です...