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第一章『忍び寄る影編』
第三十八話 愛故に堕つ【後】
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紫月は夢中で駆けていた。
一睡もしていないことなど忘れ、ひたすらに邸宅を駆けぬけた。
太陽すら起きだしていない早朝に、慌ただしく扉を開け放つ。
寝台に、やはり梅雪の姿はなかった。
寝間着のまま、窓の外の雪をながめている。
「紫月? どうし──」
たまらず、両腕を伸ばした。
閉じ込めたからだは、ちいさくなっていた。
正確には、紫月が大きくなっていたのだけれど。
「梅梅……あぁ、梅梅」
これから、どうしよう。
胸にほとばしるこの感情を、どう形容したら。
「……すきだ」
結局は、そんな陳腐な言葉しかつむげない。
でもなんだっていい。
この想いを、伝えられるのなら。
「すきだ」
はっと、息をのむ気配がある。
「お父さまたちから、きいたのね」
それは、紫月より先に『真実』を知っていたゆえの言葉だ。
梅雪がどこかうわの空だったのは、当然のことだったのだ。
「おれたち、兄妹なんだって」
「うん」
「血がつながった、家族なんだって」
「……うん」
「だから、結婚できるんだって」
「……そうね」
「我慢、しなくていいんだな、梅梅……おれの梅梅……!」
昨晩告げられた、衝撃の『真実』は。
「──彼女を愛していた」
「──彼女が大好きだったわ」
なにを言われたのか、すぐには理解できなかった。けれど。
「紫月、私が、おまえの父親だ」
「四宵はね、私の親友だったのよ」
梅雪の父が、自分の父でもあった。
あぁ、だから、無性に胸がざわついたのか。
父が男として愛していたのは、自分の母。
父が兄として愛していたのは、梅雪の母。
「早一族は、実のきょうだいで夫婦となり、子を成さなければならない。そんなことを強いる慣習など、馬鹿げている」
「もしかしたら、私たちは絶望の果てに、梅雪を手にかけていたかもしれない」
「だが四宵がいたから、私たちは人の道を外さずにすんだ」
「血の呪いに屈しない彼女の強さにふれて、微力でも、あがいてみようと思えたの」
よく似た顔のふたりが、口をそろえて告げた。
だから梅雪を愛すことができるのだ、と。
宿命にさいなまれた三人の若者が出会い、数奇な運命をもたらした。
なんて歪んでいて、美しい愛のかたちなのだろう。
「おまえたちのことを見つけられなかった。つらい思いをしてきたろう。至らぬ父ですまない」
人間と獣人の愛。
道は険しく、敵も多かったろう。
いいんだ、母が、自分が、愛されていたことがわかったのだから。
「紫月、あなたには、幸せになる権利がある。それをとやかく言う権利は、私たちにはありません」
自分にとっての幸せとはなにか。
とっくの昔に知っていた。気づかないふりをしていたけれど。
「おまえは梅雪の兄だ。それを思う存分、利用してくれ」
「大切なひとを想う気持ちは、だれであっても、罪になど問えないわ」
何度も何度も脳裏に呼び起こした言葉をなぞって、わらいが止まらない。
「『おともだち』なんかじゃ足りないよ。本当の家族になろう。おれが一生愛してあげる。ね、梅梅」
だって自分は、この子の兄なのだから。
* * *
獣人は成人をむかえると、劇的に姿かたちをかえる。
猫族の男にとってのそれは、十三を数える年のことをいう。
ある朝に目を覚ますと、寝間着の裾がやけに短くなっていて、のどに違和感。
おあつらえむきに用意されていた藤色の袍へ袖を通し、象牙の櫛で錫色の髪を梳く。
それから髪を半分結い上げて髷をつくり、翡翠玉の簪でとめたら、のこる半分は背に流した。
「おはよう」
「あ、おは、よ──」
その日はじめてあいさつを交したときの、妹の表情といったら。
可笑しくて可笑しくて、忘れられない。
「なんだ、俺に見惚れたか? 可愛いやつだ」
男とも女ともつかぬ美貌をたたえた妖艶な青年が、ちいさな少女を抱き上げて、情愛のままに、そのほほをやわく食んだ。
「愛してるよ、梅梅。可愛い可愛い、俺の梅雪」
一睡もしていないことなど忘れ、ひたすらに邸宅を駆けぬけた。
太陽すら起きだしていない早朝に、慌ただしく扉を開け放つ。
寝台に、やはり梅雪の姿はなかった。
寝間着のまま、窓の外の雪をながめている。
「紫月? どうし──」
たまらず、両腕を伸ばした。
閉じ込めたからだは、ちいさくなっていた。
正確には、紫月が大きくなっていたのだけれど。
「梅梅……あぁ、梅梅」
これから、どうしよう。
胸にほとばしるこの感情を、どう形容したら。
「……すきだ」
結局は、そんな陳腐な言葉しかつむげない。
でもなんだっていい。
この想いを、伝えられるのなら。
「すきだ」
はっと、息をのむ気配がある。
「お父さまたちから、きいたのね」
それは、紫月より先に『真実』を知っていたゆえの言葉だ。
梅雪がどこかうわの空だったのは、当然のことだったのだ。
「おれたち、兄妹なんだって」
「うん」
「血がつながった、家族なんだって」
「……うん」
「だから、結婚できるんだって」
「……そうね」
「我慢、しなくていいんだな、梅梅……おれの梅梅……!」
昨晩告げられた、衝撃の『真実』は。
「──彼女を愛していた」
「──彼女が大好きだったわ」
なにを言われたのか、すぐには理解できなかった。けれど。
「紫月、私が、おまえの父親だ」
「四宵はね、私の親友だったのよ」
梅雪の父が、自分の父でもあった。
あぁ、だから、無性に胸がざわついたのか。
父が男として愛していたのは、自分の母。
父が兄として愛していたのは、梅雪の母。
「早一族は、実のきょうだいで夫婦となり、子を成さなければならない。そんなことを強いる慣習など、馬鹿げている」
「もしかしたら、私たちは絶望の果てに、梅雪を手にかけていたかもしれない」
「だが四宵がいたから、私たちは人の道を外さずにすんだ」
「血の呪いに屈しない彼女の強さにふれて、微力でも、あがいてみようと思えたの」
よく似た顔のふたりが、口をそろえて告げた。
だから梅雪を愛すことができるのだ、と。
宿命にさいなまれた三人の若者が出会い、数奇な運命をもたらした。
なんて歪んでいて、美しい愛のかたちなのだろう。
「おまえたちのことを見つけられなかった。つらい思いをしてきたろう。至らぬ父ですまない」
人間と獣人の愛。
道は険しく、敵も多かったろう。
いいんだ、母が、自分が、愛されていたことがわかったのだから。
「紫月、あなたには、幸せになる権利がある。それをとやかく言う権利は、私たちにはありません」
自分にとっての幸せとはなにか。
とっくの昔に知っていた。気づかないふりをしていたけれど。
「おまえは梅雪の兄だ。それを思う存分、利用してくれ」
「大切なひとを想う気持ちは、だれであっても、罪になど問えないわ」
何度も何度も脳裏に呼び起こした言葉をなぞって、わらいが止まらない。
「『おともだち』なんかじゃ足りないよ。本当の家族になろう。おれが一生愛してあげる。ね、梅梅」
だって自分は、この子の兄なのだから。
* * *
獣人は成人をむかえると、劇的に姿かたちをかえる。
猫族の男にとってのそれは、十三を数える年のことをいう。
ある朝に目を覚ますと、寝間着の裾がやけに短くなっていて、のどに違和感。
おあつらえむきに用意されていた藤色の袍へ袖を通し、象牙の櫛で錫色の髪を梳く。
それから髪を半分結い上げて髷をつくり、翡翠玉の簪でとめたら、のこる半分は背に流した。
「おはよう」
「あ、おは、よ──」
その日はじめてあいさつを交したときの、妹の表情といったら。
可笑しくて可笑しくて、忘れられない。
「なんだ、俺に見惚れたか? 可愛いやつだ」
男とも女ともつかぬ美貌をたたえた妖艶な青年が、ちいさな少女を抱き上げて、情愛のままに、そのほほをやわく食んだ。
「愛してるよ、梅梅。可愛い可愛い、俺の梅雪」
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