社則でモブ専ですが、束縛魔教主手懐けました〜悪役武侠女傑繚乱奇譚〜

第一章『忍び寄る影編』

第三十一話 蒼炎【後】

「私の師弟おとうとたちが……許さん、決して許すまいぞ！」
「他人ひとのだいじなものを奪っておいて言えた義理か？　面の皮が厚いにもほどがあるだろ」

　紫月ズーユェは身をひるがえすと、ハヤメたちの前へおどりでる。
　火花を散らし、衝突する刃と刃。

「紫月兄さまッ！」
「かまうな！　おまえは小僧を止めろ。このままだと『千年翠玉せんねんすいぎょく』に飲み込まれるぞ」

　はたと我に返る。紫月の言葉は真しんだ。
『千年翠玉』は、体内の気を爆発的に増幅させるもの。

（いまでこそ敵を圧倒しているが……あんな無茶を続ければ、酷い反動を受けてしまう！）

　最悪の事態が頭をよぎる。
　憂炎ユーエンか、明林ミンリンか。
　迷っている時間など、どこにもなかった。

　ぐっと顔を上げ、明林を背に、一歩を踏みだす。

「梅姐姐メイおねえちゃん……なんで、そいつをかばうの……？」

　温度をなくしていた声音が、そこではじめてゆらぐ。
　ひとつ呼吸をして見据えたなら、自身を射る瑠璃るりのまなざしに、憂炎がうろたえた。

「憂炎、そ・れ・は駄目だろう。わからないのか」
「わかんないよ！　哥哥おにいちゃんだっていってた！　悪いやつになさけはかけるなって！」
「やめるんだ、憂炎！」
「死んじゃえばいいんだよ！　梅姐姐を傷つけるやつは、みんなみんな！」

　駄々をこねる幼子のように、いやいやと激しくかぶりをふる憂炎。
　その絶叫に呼応した蒼炎が、またたく間に燃え上がる。

「くっ……！」

　紫月も黒皇ヘイファンもいない。
　ここには、ハヤメしかいない。

（私にしか成せないことは）

　まぶたを閉じ、おとずれた暗闇へ問いかける。
　自問の答えは、そう遠くない場所にあった。

「真白き乙女よ。祝福の音色を」

　かかげた左手が、熱を帯びゆく。
　右手を伸ばし、中指にはめられた二連の指輪へふれ。

「詠い舞え──白姫パイヂェン」
　
　鈴の声音がひびわたった刹那、まばゆい光が月光を塗りつぶした。
　白魚のような指によって引き抜かれた指輪と、左手に残る指輪が、それぞれ細かい光の粒子となって風に舞い上がる。

　ひとつは蛍のように右手にじゃれつき、五本の指をつつみ込む。
　もうひとつは無数の粒子が集束し、光の雫を形成して、細腕へおさまる。

　目のくらむ閃光が闇夜にとけたとき、ハヤメの左腕には、ひと張りの琵琶がいだかれていた。

「白漆しろうるしに、翠あおい梅花ばいかの螺鈿らでん細工……」

　いまのいままでおのれをいろどっていた指輪と、意匠をおなじくする一品だ。
　紫月が曲を奏でていた、あの白琵琶に違いなかった。

　ハヤメは地面へ腰を落とし、足を横へくずすと、太ももに白琵琶をのせる。
　まっすぐに立て、胸と左腕で支えたなら、親指を添えて。

「力をかして、白姫」

　白い義甲をはめた指が、銀河を閉じ込めた梅花をなで、そっと弦をはじく。

（私の内功は、氷の性質をもつ氷功ひょうこう。憂炎の炎功とは相反するもの。なら！）

　細い弦から、太い弦へ。
　一音一音をたしかめるように爪弾つまびく指先が、あるとき動きを止めた。

（相殺そうさいする……！）

　ひとときの静寂を経て、四本の弦をさらう。

「序じょの章」

　風が鳴き叫ぶ夜を、駆けぬける音階。
　軽やかな音運びは、宙を跳ねる粉雪のよう。

　否、比喩などではない。

　ハヤメを取りまく空間が急激に気温を低下させ、きらきらと月光を反射する。
　雲のない半月夜に、真白き六花りっかが舞い上がった。

　この旋律は、物語にもならない音の羅列かもしれない。
　そうだとしても、爪弾くことをやめはしない。

「ひびけ、とどけ──『音吹雪おとふぶき』」

　この音で、こころを震わせてみせる。

　──ベン。

　胸もとで弦をかき鳴らす。
　純白の粉雪をまとった旋律が月夜を伝播でんぱし、蒼き炎を巻き上げた。

「……えっ……」

　呆けた柘榴のまなざしの先で、真白き風にもまれた蒼炎が霧散する。
　あとには、ぱっとはじけた粉雪が、星のように煌めくだけで。
　細かな光の粒子が、ふたたび左の中指へ舞いもどる。

「憂炎」

　名を呼ばれたと、我に返ったのもつかの間。
　無防備な憂炎の左ほほを、乾いた音が襲う。

　衝撃に耐えきれず、しりもちをつく。
　遅れて熱がやってきて、憂炎はほほを叩かれたのだと理解した。

「おねえ、ちゃ……」
「憂炎」
「やだ、きらわないで……おれをきらいにならないで！　おねがい、おねがい……っ！」
「憂炎！」

　錯乱する憂炎の細い手首を、乱暴にさらう。

「私が君を、好きで傷つけているわけがないだろう！」

　だけどこうでもしないと、きいてくれないから。

「私を見て。私の声を聞いて。憎悪に飲み込まれないで、憂炎」

　引き寄せた憂炎の耳を、胸へ押しあてる。
　痛いくらいに抱きしめたら、いやでも鼓動がきこえるだろう。
　生きている、あかしだ。

「……おれは、梅姐姐が、すきだから、だいすきだから……まもり、たくて」
「うん、そうだよね。憂炎はやさしい子だもの。ちゃんと知ってる」
「……でも、梅姐姐が怪我してるのみたら……あたまが、かっとなって……どうにもできなくて……ごめ、なさっ」
「もういいよ。……もういい」
「ごめんなさい、梅姐姐っ、ごめんなさいっ……う、あ、うぁあ！　わぁああん！」
「いいこ、いいこ……」

　胸にしがみついて泣きじゃくる憂炎につられ、目頭が熱くなってしまう。
　あぁ……ここには、なにもない。

「私は、ここにいるから」

　腕のなかの子以上に、だいじなものなんて。