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第一章『忍び寄る影編』

第十一話 熱を甘噛む【前】

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「『用』があるのは、そっちの坊やかしら」

 いよいよもって、憂炎ユーエンはわけがわからなくなった。
 ハヤメの思惑もそうだが、先ほどの店主の言い方は、まるで。

「『獬豸かいち』を知っているかい、憂炎」
「カイチ……ううん」
「ここ央原おうげんの伝説に登場する、獣のことだよ」

 一説には、羊に似ているとされる一角獣だ。
 あらそいが起きたとき、筋の通っていないほうをその角で突き刺すという。
 ハヤメはおとぎ話でも聞かせるように、不安げな憂炎の月白をやさしくなでる。

「『獬豸』は善を真理とする、瑞獣ずいじゅうよ。その意志を継ぎ、正義にもとづいて、たがいに助けあう。それがあたしたち獣人による互助組織、『獬幇かいほう』なのよ」

 それまで静観をしていた店主が、腰を上げる。
 からだつきは華奢ながら、思いのほか上背がある。
『獬幇』は独自の武術をつたえる武人集団でもあるからして、妥当かと、ハヤメは首を反らしながらうなずいた。

「自己紹介がまだだったね。私は──梅梅メイメイだ。彼は憂炎という。ラン族の子でね」
紫霞ズーシャマオ族長の補佐をしているわ。めったになつかない狼族を手懐けるなんて、やるのね」
「ありがとう!」
「褒めてないんだけど。おめでたい頭なのかしら」
梅姐姐メイおねえちゃんをばかにするな」

 無遠慮な物言いが気にさわったのだろう、憂炎がキッと紫霞をにらみつける。
 柘榴の奥では瞳孔がひらき、いまにも食らいつかんばかりの形相だ。

「まぁまぁ! ちょっとしたごあいさつだよ。そんなに怒らないで、憂炎」

 憂炎はともかく、ハヤメ──梅雪メイシェは人間だ。
 獣人である紫霞からすれば、天敵が握手を求めているようなもの。
 あえてかき回して、見定めているのだろう。逆の立場ならハヤメだってそうする。
 危険因子は早急に判別しておきたい。

「お嬢ちゃんがなにを望んでいるのかはわかるわ。その上でお答えしましょう。保留にさせて頂戴ちょうだい
「それはなぜだか、きいても?」
「みなまで言わなきゃわからない? 自覚がないなら重症よ、あんた」

 そのひと言は、心底落胆したひびきを含んでいた。
 起伏のすくない声音だが、それだけはハヤメにもわかった。
 紫霞がなぜにそこまで哀れみを向けてくるのかまでは、わからずじまいだが。

(いつまでも私といるより、おなじ獣人の仲間といるほうが、安心できると思ったんだけどなぁ)

 ──憂炎を『獬幇』へ。

 路銀調達で紫霞と出会ったのは、うれしい誤算だった。
 これは運命かとも思ったが、はやくも行き詰まってしまう。となれば、仕方がない。

「果報は寝て待とうか。とその前に、腹ごしらえをしたいね。この街一番の名物はなんだい?」
「冬の深谷しんこく名物といえば、グツグツと煮えたぎる地獄の麻辣マーラー火鍋よ。彼岸に旅行希望なら、挑戦してみなさい」
「わー、ありがとー、みてみるー」

 カップラーメンもびっくりな即席笑顔を貼りつけて、全力で目を逸らした。
 激辛、ダメ、ゼッタイ、と本能が叫んでいる。
 これが梅雪の本能かハヤメの本能かは、この際重要ではない。

(深谷か……たしか、翠海すいかいの東の端にある街だな)

 ひとまず、現在地は判明した。
 梅雪の生まれ故郷はもっと西北の山奥であるから、南下してきていたらしい。

(私が憑依する以前……梅雪はやはり、天陽てんように向かっていたのか?)

 皇帝のおわす都へ、後宮の門を叩くために。

(なんとしても、後宮に入るわけにはいかない)

 これからどうするか。どこへ向かうか。
 家族をうしない、なんの後ろ楯もない若い娘が、平穏に生きていくためにはどうすれば。
 それを考えるのは、今日はやめよう。一朝一夕に決められるものではない。

「おなかペコペコだねぇ。ようし憂炎、うわさの麻辣火鍋とやらを見に行こうか、見るだけだよ」

 粟粥しか口にしてこなかったからだに、突然の刺激物は遠慮したい。
 雉をもっていけば、きれいに羽をむしって鍋にしてもらえるだろうから、白湯パイタンでいただこう。茶とほかに数品を注文して。

「私たちはここらでおいとましよう。数日は滞在する予定だから、よい知らせをお待ちしているよ、紫霞殿」

 辞去の意をつげ、きびすを返す。

「賢いお嬢ちゃん、あんたにいいことを教えてあげる」

 しかしながら、憂炎の手をとったハヤメの背へ投げかけられた言葉は、なんとも奇妙なもので。

「この街一番の料理屋は、まずいお茶をだすわよ」
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