上 下
8 / 264
第一章『忍び寄る影編』

第四話 反撃の狼煙【前】

しおりを挟む
 ──もっ義侠ぎきょうを重んじる──

 武侠ぶきょう小説は、武術の達人たちが悪をくじき、弱き者を助けるという、中国で王道のジャンルだ。

 修行によって得られる超常能力、武功ぶこう
 臨場感のあるアクションシーン。
 登場人物たちをとりまく恋愛もよう。

 日本でいう時代劇のような風格をもちながら、幼心や乙女心をくすぐるようなファンタジー、恋愛要素を絶妙に共存させており、子供からお年寄りまで根強い人気を誇る。

梅雪メイシェ』は、そうした武侠小説のひとつ『氷花君子伝ひょうかくんしでん』に登場するキャラクターだ。

(梅雪といえば、西北の地、翠海すいかいで権力をもつ名門家の嫡女だったはず)

 芸事の達者な瑞山美人で、後宮入りしてからというもの、またたく間にその地位を築き上げた。
 そのころ皇帝が崩御ほうぎょ皇子おうじとの婚姻が急がれた。
 が、当の次期皇帝はこれを拒否。理由を要約すると、

「世継ぎ? 喪が明けてないのにそんなこと考えられません。それより修行の旅に行ってきます」

 だそう。武功という絶技に魅せられた、武術剣術バカだった。要は「え、いま?」的なタイミングで逃亡した。
 これに驚きおののいたのは臣下だが、怒り狂ったのは梅雪だった。
 なぜなら彼女が後宮入りした目的は、皇子にこそあったのだから。

 後宮をいろどる蝶であり花であった少女は、この瞬間に愛憎あいぞうのとぐろを巻く蛇へと変貌へんぼうしてしまったのだ。

【55%ダウンロード完了】──泥濘ぬかるみにはまったかのごとくにぶくなった数値の推移を見つめながら、ハヤメはため息まじりに左右へ首を振り、こきりと鳴らした。

「ははぁ。さては最近はやりの『悪役令嬢モノ』とかいうやつだな?」
《話がはやくて助かります。そうです、ハヤメさんは悪役なんです》
「社則でモブ専なんですが」
《悪役なんです》
「これ私のせい?」
電波障害バグのせいです。特別手当あってもいいくらいですよ。てかなかったら終わりだぞ、この会社》

 さらりと毒づくクラマだが、ハヤメはたしなめない。必要性を感じないのだ。

《脇役じゃないからって腐らないでくださいね。吐き気がするほど嫌でしょうけど》
「私もそこまで仕事をりすぐりしないけど」
《はいはいそうですか。……俺は吐き気がしますけどね。あなたを守れなかった自分に》

 クラマの原動力は、純粋な正義感にある。
 長いこと幽霊なんぞやっているとスレてくる者が大半なのだが、この子はいつまでも瑞々みずみずしい。
 太陽を見上げるような心地を、何度おぼえただろう。

 ──大規模な交通事故。それに伴う電波障害。
 思いがけないかたちで巻き込まれたハヤメが異世界転移してしまったいきさつは、うなるクラマからとっくに聞かされている。

「予測不能なエラーだった。運が悪かったのさ。君のせいじゃない」
《そんななぐさめは要りません! わかってるんですか? 俺たちにとってその世界での『死』は、本当の『死』なんですよ!?》
「……あぁ、わかっているとも」

 役を演じる──ひとときでも『人』として存在することで、存在意義が生まれる。現世にとどまることができる。
 それが『働き』に支払われる『報酬』で、なくしたものを求めてさまよう幽霊たちの糧そのものだった。

 ハヤメは『転移者』なのだ。
 神によって選ばれ生まれかわった『転生者』ではない。

 聖なる加護などない、肉体すらもたないもやにすぎない。魂の質がまるで違う。
 異世界での死は魂そのものの破壊、来世に生まれかわる未来が絶たれることをさす。

 だというのに、ハヤメが憑依した梅雪の運命はどうだろう。
 自身を袖にした皇子への愛執あいしゅうに駆られ狂った末に、毒殺をくわだてた計画が失敗して捕らえられてしまう。

 いうまでもなく、皇族の殺害は未遂だとしても重罪。
 絶対に死んではいけないハヤメの憑依先が、絶対に死ぬ運命にある傾国の悪女ときた。
 もうわらうしかない。

《ハヤメさん、死んだらゆるしませんからね。地獄の果てまで追いかけて、ぶっとばします》
「おやまぁ、怖い怖い」

 のらりくらりとかわす一方で、返す鈴の音はやわらかい。

「君まで死なせたくないから、生きるとしようか」

 あぁ……と。
 クラマは心のうちで感嘆する。
 飾りけのないその言葉こそ、もっとも欲したものだった。
 すっきりと、それでいてしみわたる充足感は、天邪鬼あまのじゃくな心をときほぐす。

《死ぬ気で生きてください。死ぬ気でサポートしますから。……約束ですよ》
「もちろんさ。約束しよう」

 突っぱねる理由などどこにもない。
 ハヤメはほほ笑みを返した。春を告げる蕾がほころぶように。

「さてと! そうと決まれば提案がある」

 ぱんっと景気よく両手を打ち鳴らしたハヤメは、美少女の顔にあくどい笑みを浮かべる。

「この状況を解決できる方法がひとつだけある。そうだよね? クラマくん」
《えぇ。われわれ『転移者』は異世界での物語が完結すれば、現世へ帰ることができます》
「そこで考えたんだがね、ボイコットしたらどうだろう」
《詳しいお話をうかがいましょうか》
「梅雪は毒殺未遂をしたから断罪されるんだろう? ならしなければいい話で、もっといえば皇子と出会わなければいいわけだ」
《ほう》
「だから、後宮入りする前にバックレる! 新皇帝がよく国をおさめました、めでたしめでたしってなるまで、おとなしくしてようって寸法だ!」
《小学生かあんたは》
「えぇ!」

 一刀両断された。名案だと思ったのに! と食い下がることを、圧のかかった電気信号がゆるさない。

《ハヤメさんの言い分は一理あります。けど現実はそんなに簡単じゃないんです》
「というと」
《お家事情ってやつですよ。梅雪のことは、もうハヤメさんのほうが詳しいのでは?》

 貴族の娘の結婚には、政治的な思惑がからむもの。
 そんな月並みなことを、なぜ忘れていたんだろう。

(そうだ、梅雪は……)

 梅雪として記憶をめぐらせ、その半生が走馬灯のように流れ込んでくる。
 思わず、袖で顔を覆ってしまった。

梅雪わたしの生家は……ザオ一族は)

 ──あるとき故郷を追われ、みな殺しにされる。年若い少女を独りのこして。

 どうしていままで疑問に思わなかったのだろう。
 身ぎれいな名門家の息女が、家族も供もなく、こんなさびれた雪原に放りだされていたことを。

 ──わたしは、愛してはいけない御仁ひとを愛してしまった!

 もやがかかったような少女の嘆きに、床板のきしむ音が重なる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

転生からの魔法失敗で、1000年後に転移かつ獣人逆ハーレムは盛りすぎだと思います!

ゴルゴンゾーラ三国
恋愛
 異世界転生をするものの、物語の様に分かりやすい活躍もなく、のんびりとスローライフを楽しんでいた主人公・マレーゼ。しかしある日、転移魔法を失敗してしまい、見知らぬ土地へと飛ばされてしまう。  全く知らない土地に慌てる彼女だったが、そこはかつて転生後に生きていた時代から1000年も後の世界であり、さらには自身が生きていた頃の文明は既に滅んでいるということを知る。  そして、実は転移魔法だけではなく、1000年後の世界で『嫁』として召喚された事実が判明し、召喚した相手たちと婚姻関係を結ぶこととなる。  人懐っこく明るい蛇獣人に、かつての文明に入れ込む兎獣人、なかなか心を開いてくれない狐獣人、そして本物の狼のような狼獣人。この時代では『モテない』と言われているらしい四人組は、マレーゼからしたらとてつもない美形たちだった。  1000年前に戻れないことを諦めつつも、1000年後のこの時代で新たに生きることを決めるマレーゼ。  異世界転生&転移に巻き込まれたマレーゼが、1000年後の世界でスローライフを送ります! 【この作品は逆ハーレムものとなっております。最終的に一人に絞られるのではなく、四人同時に結ばれますのでご注意ください】 【この作品は『小説家になろう』『カクヨム』『Pixiv』にも掲載しています】

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...