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第一章『忍び寄る影編』
第三話 梅雪
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「なにか刃物はないか、刃物……おっ、ちょうどいいのがあるじゃないか」
紺の布まんじゅうを背負い、どこまでもひろがる雪原を三十分ほど歩いた。
やがてかわりばえのしない銀世界に無人の小屋を見つけ、少々ご厄介になることに。
これから夜になり、急激に冷え込む。
夜風をしのげるだけでもありがたかったが、ねがってもない幸運が舞い降りる。
小屋は『たから』の山だったのだ。
麻縄に使い込んだヤスリ、文字通り炭と化した布きれ、手ごろなサイズのメノウ石に小刀まで。
これだけそろえば、なんとかなるだろう。
* * *
夜闇にともった橙が、煌々とおどっている。
火鉢でぱちぱちと爆ぜる炎を両ひざをかかえて見つめ、どれくらい経ったか。
思いをはせるのは、これまでのこと。
肉体を喪ってひさしいが、この数時間での出来事は、人の身であったとしても壮絶なものだった。
こどもだったとはいえ、襲いかかる白狼を撃退してみせた身のこなし。
火の起こしかたについてもそうだ。自然と必要なものをそろえ、手なれたように石を打っていた。
落ち着いて思い返すほどに、疑問は降り積もってゆく。
これは、肉体のもち主である『彼女』の知識や経験によるもの? それとも──
ジジ……
はじかれたように顔を上げる。
息をとめ、じっと瑠璃色の瞳をこらす。
おどる炎を見やって、不自然なゆらめきをとらえた。
《……す……か……》
ノイズにまじった、だれかの声も。
《……ます、か……きこえますか、ハヤメさん!》
脳内に響く声は、鮮明な男声となって己の名を叫んでいた。
「クラマくん! きこえるよ、私だ!」
かん高い鈴の音が静寂をゆれ動かした。
はっと口をつぐむ。浮かせかけた腰をいそいそと落とし、壁となかよしこよしにもどった。
幸いなことに、向かいに寝かせた少年は目を覚ましていない。
長羽織だけでは寒かろうと、小刀で切りひらいた麻袋をかぶせたのが功を奏したようだ。
ほっと胸をなで下ろした、のだが。
《……ハヤメさん?》
「うん、そうだよ」
《生きてます?》
「私は死んでるけど……」
《生きてるんですね?》
「あっはい、生きてます」
《っっっはぁあ~! マジでいい加減にしろよ、心配かけさせんな!!》
「えぇええ……!」
こっちが声をひそめれば、あっちが爆音でため息をつくという。ちょっと待ってほしい。
「ごめんクラマくん、すこし声を落としてもらえない?」
《なんで? まわりにだれか人でもいるんですか》
「いやぁ……」
人というか、獣というか。
言葉を探してまごついている間に、会話の主導権をとられてしまう。
《いまさらなに言ってんです。俺らの通信は、そっちの住人にはみえないし、きこえないでしょうが》
「あ、それもそうだった」
失念していた。新米でもなかろうに。
《それよりアクセス許可もらえますか。毎回マニュアルでそっちにつなぐの、しんどいんで》
「もちろんだよ。ついでにシステム参照権限をもらえるかい?」
《言われなくても押しつけるわ》
普段はすましたクラマが口調を崩すのは、怒ったり焦ったり、要は冷静でいられなくなったときだ。
(本当に心配してくれてたんだなぁ)
いまどきの若者らしい物言いを甘んじて受けとりながら、なんだか感激してしまう。
「助かるよ、クラマくん」
《は? さっさとシステム参照権限よこせって、言外にせかしてます?》
「そうじゃなくて。独りだと心細かったんだ。君がきてくれて、うれしい」
《……それ、素ですよね?》
「え、お酢?」
《はぁ、この人はもう……なんでもないです》
ほかの社員からは『血も涙もない鬼』と恐れられるクラマである。
そんな彼が唯一ペースを乱される相手がいることを、肝心の天然部下は知るよしもない。
──ピロン。
空中にメッセージウィンドウがあらわれる。
外部、つまり『NPC』サーバーから、社員にわりあてられたIPアドレスへアクセス許可をもとめるものだ。むろん選択肢は一択。
宙に浮いた『許可する』の光る文字列をタップして、ひと息つく。
《アクセス許可を確認しました。モニターにつなぎますね》
「はいなぁ」
肉眼的にはもやでしかない電脳体を映しても意味はないので、この場合、異世界に飛ばされたこちらが一方的にモニタリングされることをさす。
アクセス許可によって、好きなときにリモートでやりとりができるようになった。それだけでハヤメは満足だった。
あとはご随意にどうぞ、というやつだ。
ピロリン。
先ほどとは微妙に異なる通知音は、データの受信をしらせるもの。
メッセージウィンドウにも、【ファイルデータのダウンロードを開始します】との表示がされた。
0%からはじまった数値が上がるごとに、ハヤメのからだが熱に満たされてゆく。
すきま風の凍えなど、忘れてしまうくらいに。
《メインの情報データを優先的に送っておきました。そのからだの主に関する記憶は、ひととおり網羅しているはずです。……それにしても、よりによって梅雪とは》
白湯をのみ下したような、からだの芯からあたたまる感覚にほぅ……と息をもらし、目をあける。
ちょうど【30%ダウンロード完了】と表示されたときだった。これで30%なのか。
「メイシェ、って?」
なんとなくわかってはいたけれども、訊かずにはおれなかった。
《諸々の設定は追々システム画面で確認してもらうとして、要点だけかいつまんで説明しておきましょうか》
クラマも、わかりきった問いを邪険にはしなかった。
《梅雪。ハヤメさんが憑依したその少女の名前で、『氷花君子伝』という武侠小説に登場する、悪役令嬢のことですよ》
紺の布まんじゅうを背負い、どこまでもひろがる雪原を三十分ほど歩いた。
やがてかわりばえのしない銀世界に無人の小屋を見つけ、少々ご厄介になることに。
これから夜になり、急激に冷え込む。
夜風をしのげるだけでもありがたかったが、ねがってもない幸運が舞い降りる。
小屋は『たから』の山だったのだ。
麻縄に使い込んだヤスリ、文字通り炭と化した布きれ、手ごろなサイズのメノウ石に小刀まで。
これだけそろえば、なんとかなるだろう。
* * *
夜闇にともった橙が、煌々とおどっている。
火鉢でぱちぱちと爆ぜる炎を両ひざをかかえて見つめ、どれくらい経ったか。
思いをはせるのは、これまでのこと。
肉体を喪ってひさしいが、この数時間での出来事は、人の身であったとしても壮絶なものだった。
こどもだったとはいえ、襲いかかる白狼を撃退してみせた身のこなし。
火の起こしかたについてもそうだ。自然と必要なものをそろえ、手なれたように石を打っていた。
落ち着いて思い返すほどに、疑問は降り積もってゆく。
これは、肉体のもち主である『彼女』の知識や経験によるもの? それとも──
ジジ……
はじかれたように顔を上げる。
息をとめ、じっと瑠璃色の瞳をこらす。
おどる炎を見やって、不自然なゆらめきをとらえた。
《……す……か……》
ノイズにまじった、だれかの声も。
《……ます、か……きこえますか、ハヤメさん!》
脳内に響く声は、鮮明な男声となって己の名を叫んでいた。
「クラマくん! きこえるよ、私だ!」
かん高い鈴の音が静寂をゆれ動かした。
はっと口をつぐむ。浮かせかけた腰をいそいそと落とし、壁となかよしこよしにもどった。
幸いなことに、向かいに寝かせた少年は目を覚ましていない。
長羽織だけでは寒かろうと、小刀で切りひらいた麻袋をかぶせたのが功を奏したようだ。
ほっと胸をなで下ろした、のだが。
《……ハヤメさん?》
「うん、そうだよ」
《生きてます?》
「私は死んでるけど……」
《生きてるんですね?》
「あっはい、生きてます」
《っっっはぁあ~! マジでいい加減にしろよ、心配かけさせんな!!》
「えぇええ……!」
こっちが声をひそめれば、あっちが爆音でため息をつくという。ちょっと待ってほしい。
「ごめんクラマくん、すこし声を落としてもらえない?」
《なんで? まわりにだれか人でもいるんですか》
「いやぁ……」
人というか、獣というか。
言葉を探してまごついている間に、会話の主導権をとられてしまう。
《いまさらなに言ってんです。俺らの通信は、そっちの住人にはみえないし、きこえないでしょうが》
「あ、それもそうだった」
失念していた。新米でもなかろうに。
《それよりアクセス許可もらえますか。毎回マニュアルでそっちにつなぐの、しんどいんで》
「もちろんだよ。ついでにシステム参照権限をもらえるかい?」
《言われなくても押しつけるわ》
普段はすましたクラマが口調を崩すのは、怒ったり焦ったり、要は冷静でいられなくなったときだ。
(本当に心配してくれてたんだなぁ)
いまどきの若者らしい物言いを甘んじて受けとりながら、なんだか感激してしまう。
「助かるよ、クラマくん」
《は? さっさとシステム参照権限よこせって、言外にせかしてます?》
「そうじゃなくて。独りだと心細かったんだ。君がきてくれて、うれしい」
《……それ、素ですよね?》
「え、お酢?」
《はぁ、この人はもう……なんでもないです》
ほかの社員からは『血も涙もない鬼』と恐れられるクラマである。
そんな彼が唯一ペースを乱される相手がいることを、肝心の天然部下は知るよしもない。
──ピロン。
空中にメッセージウィンドウがあらわれる。
外部、つまり『NPC』サーバーから、社員にわりあてられたIPアドレスへアクセス許可をもとめるものだ。むろん選択肢は一択。
宙に浮いた『許可する』の光る文字列をタップして、ひと息つく。
《アクセス許可を確認しました。モニターにつなぎますね》
「はいなぁ」
肉眼的にはもやでしかない電脳体を映しても意味はないので、この場合、異世界に飛ばされたこちらが一方的にモニタリングされることをさす。
アクセス許可によって、好きなときにリモートでやりとりができるようになった。それだけでハヤメは満足だった。
あとはご随意にどうぞ、というやつだ。
ピロリン。
先ほどとは微妙に異なる通知音は、データの受信をしらせるもの。
メッセージウィンドウにも、【ファイルデータのダウンロードを開始します】との表示がされた。
0%からはじまった数値が上がるごとに、ハヤメのからだが熱に満たされてゆく。
すきま風の凍えなど、忘れてしまうくらいに。
《メインの情報データを優先的に送っておきました。そのからだの主に関する記憶は、ひととおり網羅しているはずです。……それにしても、よりによって梅雪とは》
白湯をのみ下したような、からだの芯からあたたまる感覚にほぅ……と息をもらし、目をあける。
ちょうど【30%ダウンロード完了】と表示されたときだった。これで30%なのか。
「メイシェ、って?」
なんとなくわかってはいたけれども、訊かずにはおれなかった。
《諸々の設定は追々システム画面で確認してもらうとして、要点だけかいつまんで説明しておきましょうか》
クラマも、わかりきった問いを邪険にはしなかった。
《梅雪。ハヤメさんが憑依したその少女の名前で、『氷花君子伝』という武侠小説に登場する、悪役令嬢のことですよ》
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