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第一章『忍び寄る影編』
第一話 電脳無限会社NPC
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「さすが勇者さまですぅ! ありがとうございましたぁ!」
2753回目の笑顔をはじけさせ、軽やかなステップでフレームアウトする。
これにてハヤメは、本日の勤務を終えた。
死後について考えたことはあるだろうか。
そこは案外瘴気うごめく陰湿な世界ではなく、現世とおとなりさんの資本主義社会だったりする。
『電脳無限会社NPカンパニー』──通称『NPC』。
路頭をあてもなくふわふわさまようハヤメに声をかけたのが、平成から令和にかけてうなぎのぼりに業績を伸ばす、この人材派遣会社だった。
その本籍地は、人間がつくりだした電気的な仮想空間、電脳世界にある。
ぶっちゃけると、幽霊とは電磁波みたいなものである。実体のない、ぼんやりとしたもやのようなものでもある。
何者でもないからこそ、何者にもなることができる。
はじまりは、よくあるRPGに人材を派遣したことだった。
それからインターネットの普及とともに市場が拡大。
現在はゲームのみならずアニメやネット小説などなど、いまをときめく人気作品のキャラクターに電脳的に憑依し、その世界観をいろどることを生業としている。
ただし脇役限定、という社則があるが。
エキストラ専門人材派遣会社。『NPC』とは、そういった会社だ。
最寄りの電波塔を経由し、5G回線で帰路につく。
一度電波に乗ってしまえば、クリスマスシーズンに色めく人間たちの喧騒も、イルミネーションも、光の残像となって流れゆく。
《おつかれさまです、ハヤメさん。さすがの定時上がりですね》
ほんのり黒いもやをただよわせて話しかけてきたのは、同じ『NPC』社員のクラマだ。
鼓膜や声帯をもたない電脳体どうしの会話は、電気信号による。
《おつかれさま。運悪く魔物に襲われて間一髪で勇者さまに助けられる名もなき少女の役は、おなかいっぱいかな》
《合いませんでしたか》
《自分で演ってて鳥肌が立った。むろんそういう意味で、だ》
《俺の見てないところで、どうしようもないお人好しを発揮するからですよ》
《繁忙期だもの、すこしでもお手伝いになれたらと思って》
《ハーヤーメさーん?》
《あぁわかったわかった! ごめんよクラマくん、じゃなかった課長!》
ハヤメはぼんやりとさまよっていた年月が長かったせいか、もの忘れがひどい。昭和天皇が即位した年のことは、かろうじて思い出せるのだが。
対してクラマは、平成の終わりごろに生まれ、令和を生きた若者だ。横文字に強い。
そういうわけで、かたや平社員。かたや課長。
社内における地位は彼のほうが上手であった。年下の上司というやつだ。
とはいえ、えばり散らすわけではない。
どこから聞きつけたのか、自分が斡旋していない仕事を終えてこっそり家路につく年上の部下に、チクチクと針のさきっちょで刺すような嫌味を言いにくる。
それがクラマという男だった。
もう短いつきあいでもないので、ハヤメは身のふり方を心得ていた。
次は、クラマの勧める『役』を。
これでうそのように上機嫌になる。いやはや、彼の心情は流れ雲のようだ。嗚呼、諸行無常。
《ところで……ハヤメさん、どうするんです?》
《なにがだい?》
《言わせないでくださいよ》
電波に乗って街に響きわたるクリスマスソング。それを引き裂く、かん高いサイレン。
せわしなく点滅する赤い光のぼうしをかぶった大小の車両が、こぞってどこかへ向かっている。
そのさまを、とある通信線にとどまって見おろしたハヤメは、そっと嘆息をした。
《あぁ、年の瀬はいろんなことが起きるね。若い芽が、うちの人事課に茶摘みのごとく収穫されなければいいのだけど》
《他人のことはどうでもいいです。俺は、ハヤメさんのことをきいてるんです》
《といってもねぇ》
とくにたいそうな志もない。
それをいだくに足る経験も、記憶も、ハヤメにはない。
正しくは、とほうもない昔になくしてしまった。
《私は私だよ。脇役としていきてゆくだけさ。いままでも、これからも》
だから、いつもの決まり文句を返す。
不満げな黒い揺らめきは、そしらぬふりで。
それでいいのだと思っていた。
* * *
死してなお神に選ばれし者とそうでない者がいるとするなら、ハヤメは後者だ。
不慮の事故で生涯を終えたいのちを、神は哀れんだ。
輪廻の理を無視して、現世でも幽世でもない電脳世界へと導いた。
そうして選ばれし者たちは、勇者となり、聖女となり、ときには起死回生をねらう悪役なんかになったりして、彼ら自身の物語をつむいでいった。
どれも、まばゆい光景だった。
だからこそ、いまの仕事をえらんだのだ。
取るにたりない端役でも、その輝かしい世界にほんのちょっとお邪魔させてもらうだけでよかった。
選ばれなかったハヤメには、主役を影でささえる名もなき役がお似合いなのだ。
一方でクラマは、現状に満足してはいなかった。
(立派なもんだねぇ、私と違って)
そもそも幽霊である以上、なにかしら心残りがあってこの世にとどまっているというのに、それを忘れてしまった。
やはり生前の自分は、取るにたりないちっぽけな人間だったのだろう。
残っているのは、『ハヤメ』という名前の響きだけ。
夜が深まる。
漠然とした日々のなかで、居住する家電量販店へとたどりついた。
ハヤメのすまいは4K。なかなか上等な液晶テレビだ。
【現品限り!】と赤や黄の配色がさわがしいミラーコート素材ののれんをくぐり、ようやくひと息つける。
(年末までには、新居を見つけなきゃだなぁ)
すっかり消灯した沼底のような店内で、沈むように意識を手放す。
眠らぬ街のどこかで、サイレンが鳴り続いていた。
《……メ……さ……ハヤ……ん!》
なんだろう。呼び声が聞こえる。
《ハヤメさん、起きてください、ハヤメさん!》
これは、クラマの声だろうか。
《目を覚まして、このままじゃ……!》
なにかをしきりに訴えているが、ノイズに邪魔をされて、よく聞きとれない。
《起きろ! 起きて逃げろ! 早く!!》
怒号のような響きさえ、曇った窓ガラスに隔てられたように遠い。
どうしたんだい、そんなにあわてて。
問い返すハヤメの言葉は、ついぞシグナルにはならなかった。
──速報です。
都内某所にて交通事故が発生。
暴走した大型トラックが道路脇の歩道に突っ込み、通行人をはねました。
この事故で20代の男性ひとりが心肺停止の重体。
また電信柱がなぎ倒された影響により、付近で電波障害が発生しています。
くり返しお伝えいたします。
都内某所にて交通事故が発生──
2753回目の笑顔をはじけさせ、軽やかなステップでフレームアウトする。
これにてハヤメは、本日の勤務を終えた。
死後について考えたことはあるだろうか。
そこは案外瘴気うごめく陰湿な世界ではなく、現世とおとなりさんの資本主義社会だったりする。
『電脳無限会社NPカンパニー』──通称『NPC』。
路頭をあてもなくふわふわさまようハヤメに声をかけたのが、平成から令和にかけてうなぎのぼりに業績を伸ばす、この人材派遣会社だった。
その本籍地は、人間がつくりだした電気的な仮想空間、電脳世界にある。
ぶっちゃけると、幽霊とは電磁波みたいなものである。実体のない、ぼんやりとしたもやのようなものでもある。
何者でもないからこそ、何者にもなることができる。
はじまりは、よくあるRPGに人材を派遣したことだった。
それからインターネットの普及とともに市場が拡大。
現在はゲームのみならずアニメやネット小説などなど、いまをときめく人気作品のキャラクターに電脳的に憑依し、その世界観をいろどることを生業としている。
ただし脇役限定、という社則があるが。
エキストラ専門人材派遣会社。『NPC』とは、そういった会社だ。
最寄りの電波塔を経由し、5G回線で帰路につく。
一度電波に乗ってしまえば、クリスマスシーズンに色めく人間たちの喧騒も、イルミネーションも、光の残像となって流れゆく。
《おつかれさまです、ハヤメさん。さすがの定時上がりですね》
ほんのり黒いもやをただよわせて話しかけてきたのは、同じ『NPC』社員のクラマだ。
鼓膜や声帯をもたない電脳体どうしの会話は、電気信号による。
《おつかれさま。運悪く魔物に襲われて間一髪で勇者さまに助けられる名もなき少女の役は、おなかいっぱいかな》
《合いませんでしたか》
《自分で演ってて鳥肌が立った。むろんそういう意味で、だ》
《俺の見てないところで、どうしようもないお人好しを発揮するからですよ》
《繁忙期だもの、すこしでもお手伝いになれたらと思って》
《ハーヤーメさーん?》
《あぁわかったわかった! ごめんよクラマくん、じゃなかった課長!》
ハヤメはぼんやりとさまよっていた年月が長かったせいか、もの忘れがひどい。昭和天皇が即位した年のことは、かろうじて思い出せるのだが。
対してクラマは、平成の終わりごろに生まれ、令和を生きた若者だ。横文字に強い。
そういうわけで、かたや平社員。かたや課長。
社内における地位は彼のほうが上手であった。年下の上司というやつだ。
とはいえ、えばり散らすわけではない。
どこから聞きつけたのか、自分が斡旋していない仕事を終えてこっそり家路につく年上の部下に、チクチクと針のさきっちょで刺すような嫌味を言いにくる。
それがクラマという男だった。
もう短いつきあいでもないので、ハヤメは身のふり方を心得ていた。
次は、クラマの勧める『役』を。
これでうそのように上機嫌になる。いやはや、彼の心情は流れ雲のようだ。嗚呼、諸行無常。
《ところで……ハヤメさん、どうするんです?》
《なにがだい?》
《言わせないでくださいよ》
電波に乗って街に響きわたるクリスマスソング。それを引き裂く、かん高いサイレン。
せわしなく点滅する赤い光のぼうしをかぶった大小の車両が、こぞってどこかへ向かっている。
そのさまを、とある通信線にとどまって見おろしたハヤメは、そっと嘆息をした。
《あぁ、年の瀬はいろんなことが起きるね。若い芽が、うちの人事課に茶摘みのごとく収穫されなければいいのだけど》
《他人のことはどうでもいいです。俺は、ハヤメさんのことをきいてるんです》
《といってもねぇ》
とくにたいそうな志もない。
それをいだくに足る経験も、記憶も、ハヤメにはない。
正しくは、とほうもない昔になくしてしまった。
《私は私だよ。脇役としていきてゆくだけさ。いままでも、これからも》
だから、いつもの決まり文句を返す。
不満げな黒い揺らめきは、そしらぬふりで。
それでいいのだと思っていた。
* * *
死してなお神に選ばれし者とそうでない者がいるとするなら、ハヤメは後者だ。
不慮の事故で生涯を終えたいのちを、神は哀れんだ。
輪廻の理を無視して、現世でも幽世でもない電脳世界へと導いた。
そうして選ばれし者たちは、勇者となり、聖女となり、ときには起死回生をねらう悪役なんかになったりして、彼ら自身の物語をつむいでいった。
どれも、まばゆい光景だった。
だからこそ、いまの仕事をえらんだのだ。
取るにたりない端役でも、その輝かしい世界にほんのちょっとお邪魔させてもらうだけでよかった。
選ばれなかったハヤメには、主役を影でささえる名もなき役がお似合いなのだ。
一方でクラマは、現状に満足してはいなかった。
(立派なもんだねぇ、私と違って)
そもそも幽霊である以上、なにかしら心残りがあってこの世にとどまっているというのに、それを忘れてしまった。
やはり生前の自分は、取るにたりないちっぽけな人間だったのだろう。
残っているのは、『ハヤメ』という名前の響きだけ。
夜が深まる。
漠然とした日々のなかで、居住する家電量販店へとたどりついた。
ハヤメのすまいは4K。なかなか上等な液晶テレビだ。
【現品限り!】と赤や黄の配色がさわがしいミラーコート素材ののれんをくぐり、ようやくひと息つける。
(年末までには、新居を見つけなきゃだなぁ)
すっかり消灯した沼底のような店内で、沈むように意識を手放す。
眠らぬ街のどこかで、サイレンが鳴り続いていた。
《……メ……さ……ハヤ……ん!》
なんだろう。呼び声が聞こえる。
《ハヤメさん、起きてください、ハヤメさん!》
これは、クラマの声だろうか。
《目を覚まして、このままじゃ……!》
なにかをしきりに訴えているが、ノイズに邪魔をされて、よく聞きとれない。
《起きろ! 起きて逃げろ! 早く!!》
怒号のような響きさえ、曇った窓ガラスに隔てられたように遠い。
どうしたんだい、そんなにあわてて。
問い返すハヤメの言葉は、ついぞシグナルにはならなかった。
──速報です。
都内某所にて交通事故が発生。
暴走した大型トラックが道路脇の歩道に突っ込み、通行人をはねました。
この事故で20代の男性ひとりが心肺停止の重体。
また電信柱がなぎ倒された影響により、付近で電波障害が発生しています。
くり返しお伝えいたします。
都内某所にて交通事故が発生──
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