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本編

*50* 案ずるより飲むが易し

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 笹舟星凛、22歳。好きな食べ物はジュリのフレンチトースト。
 苦手な食べ物は特になし。何でも美味しくいただけます。
 1日3食にお昼寝つきだと最高だね!

 そうはいってもさ。

「ささ、思いっきりツルッといっちゃって」

「そんな生卵を飲ませるみたいに!」

「何があっても僕がいるから心配ないよ」

「だから『何』があるっていうのさー!」

 おぉ……神よ。
 昨日の夕ごはんから数え、朝ごはん、昼ごはんと3食きっちり抜いたあたしに対する仕打ちが、これですか……

「大丈夫大丈夫、オーナメントをひと飲みした初日は、せいぜい微熱が出て食欲がなくなるくらいさ」

「インフォームド・コンセントもクソもない!」

 サラッと宣告するのやめてくれ! たらふく食べられなくなるってそれ、あたしにとっちゃ死活問題なんですけど!?

「お労しいセリ様……私も夕食は食べません。アンジーにもそう伝えてきます!」

「いやネモちゃんまで抜かなくていいからね、むしろちゃんと食べてね、騎士さんなんだから!」

「いいえセリ様、愛しいひとが苦しまれるやもしれないというのに、どうして己だけ楽ができましょう。あなたと苦しみを分かち合わせていただけないでしょうか」

「ありがとうございますヴィオさん、相変わらず全方位死角なしの超絶イケメンですね!」

 さぁ子作りするぞ! とやる気になった星凛さん。
 頼れるイザナ先生をゲストルームにお招きして今後の説明を受けたはいいけど、なかなか先に進めずにいた。
 いつの間にかわらわらと集まっていた見守り隊のみなさんによる、合いの手が理由である。

 ついひとつひとつにツッコミ返していたから、軽く10分は経過してると思う。
 この間に貴重な体力の大半が消費された感が否めない。

「あらあら。ふたりともセリ様が大好きなんですから」

「ヴィオ、ネモ、気持ちはわかるけれど落ち着いてちょうだい? これじゃあいつまで経っても、セリがオーナメントを口にできないわ」

 けれども女神はあたしを見捨てなかった。
 オリーヴがたしなめてくれたおかげで、代わる代わる熱視線で滅多刺しにしてきた花騎士姉妹(ついさっき命名)が、名残惜しげながらもあたしの手を離してくれたからだ。
 やっぱり持つべきものはママ友だよ。

「ふぃー……グラス1杯の水を飲むのに、どんだけかかってんだか」

「みんな安定だよね」

「ほんとそれな」

「そうそう、安定といえばこっちも」

「セリ様、大丈夫ですか、お水飲めますか」

「ありがとうゼノさん、星凛さんお水飲めます」

 あっちが落ち着いたと思ったらこっちだよ。

 後ろからピタリと身を寄せてきたゼノが、グラスを持つ両手を包み込んでくるというね。ひとりでお水飲めない人だと思われてんのかな。
 いや違う。フラッと行っちゃって後頭部を打ちつけかねない『万が一の事態』を想定して、支えてくれてるんだよきっと。

 いやぁ、あたし専属の騎士さんは気が利くなぁ。一応着席はしてるけどねぇ、あっはっは! ……はぁ。近いです、マジで。

「……恋人でもないドールの分際で」

 おかげさまでスン……と表情が剥がれ落ちたヴィオさんは、すこぶるイケボな低音ボイスを響かせているし。

「どさくさに紛れてまた抜け駆けですか! この卑怯者! ろくでなしー! ネモだってセリ様にお水飲ませてあげられるもーん!」

 何をどう勘違いしたかわからないネモちゃんに、『ひとりでお水飲めない人』認定されて介護を申し出られてるし。

「ジュリくん、へるぷみー」

「もう……みんな静かに! 母さん困ってるでしょ! しつこいと嫌われちゃうよ!」

 女神様の加護だけでは足りないと判断。最終兵器を投入したところ、しんと静まり返るゲストルーム。
 さすがジュリ。オリーヴは優しいからオブラートに包むけど、うちの子はそうはいかないからね。

 魔法の言葉が各々の急所にクリーンヒット。うちの子強い。お母さん涙ちょちょぎれそう。
「ゆっくりで大丈夫ですよ、セリ様」となおもあたしの背後で調子を崩さないゼノさんは、自分のことだと思ってないみたいですけどね。

 半分ほど水で満たしたグラスの中には、小ぶりなブドウ粒大の漆黒の種がひとつ。
 息を吸って、吐く。そのうちに空腹における極限状態も相まって、急に吹っ切れた。
 ええい、案ずるより飲むが易しだ!

「星凛さん行きまーす!」

 声高らかに宣言し、ひと思いにグラスを煽る。

「……んくっ」

 喉の奥でつっかえたものを、口内いっぱいに溜め込んだ水の力を借りて、咽頭のその先へ一気に落とし込む。
 流し込んだそれは、そのまま食道を通って胃へ──

「……ぷはっ……あれ?」

 胃へ、行くことはなかった。
 窮屈な食道を押し進んでいた種の感触が、あるときふっと消えたんだ。
 いや厳密には、星が弾けたような。

 一瞬にして細かな粒子となり、血流に乗って全身を駆け巡った星の欠片たちは、やがてある一点に集束する。
 それこそ無意識に手のひらでふれていた下腹部──ちょうど子宮のある箇所。

「……セリ様」

「母さん……?」

 どれほどそうしていただろう。ふいに長い長い静けさは破られる。
 こがねとオニキスの瞳は、黙りこくったあたしを気遣わしげに覗き込んでいるんだろう。

 ろうそくの火が灯るみたいに、この身の奥底に宿った熱。おのずと震え出す肩。
 自分の身に起こった異変、このときの感情を的確に形容できる言葉を、あたしは知らなかった。

「セリ様、どうなされましたか──」

 依然として反応のないあたしを、最もそばにいる青年が呼ぶ。
 そっと肩にふれられて、気づけば脱力したそのままに彼へもたれかかっていた。

「……そっかぁ……そういうことなんだね……」

「……セリ様?」

 視界がにじむ。どうにも震えが止まらなくなって、夢中で顔を覆った。

「さすがイザナ先生……星凛さん把握です……」

「おやおや」

 何がどうなっているのか。誰もが固唾を飲んで見守る中、はは……とか細い笑いをこぼしたあたしに、イザナくんはすべてを悟ってくれたようで。

「はーい、ちょっとそこ代わってねー」

「しかし、イザナ様」

「代わってねー、ゼノ」

 慣れたようにするりと割り込んできた純白の袖を目にして、安堵からだろう、堪えていたものがあふれ出す。

「……うぷっ」

 そしてその瞬間、この場にいた誰もが、何事かを急激に理解したことだろう。

 ……ごはん、抜いててよかった。
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