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本編
*46* 月夜の祈り
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「愚かな僕を、どうか許して、星凛……」
カーペットに蹲り、悲痛な懇願を繰り返す暁人の手は、何かを握り込んでいる。
それが何なのか、震える肩越しに……見えた。
ころりと手のひらにおさまる、ちいさなちいさな、漆黒の種だ。
「……お願い」
懇願は続く。
その身からあふれるすべてをぶつけるように、彼は祈っていた。
「僕の代わりに星凛を守って。彼女が傷つかないように、笑顔でいられるように……!」
ぽたぽたと、染みを広げるカーペット。
残酷なほど静かな月夜に、嗚咽が響く。
「こんな歪んだかたちでも、僕はずっとそばにいるのだと……意地汚く、縋りつかせて……っ」
──守りたかったんだ。
しきりにジュリが言っていたその理由が、真実が、こんな……
「ん…………あき、と……?」
ふいの呼び声。あたしの声だけど、あたしのものじゃない。
「…………どうしたんですか、星凛?」
しばしの沈黙を経て紡がれた声音は、穏やかなものだった。哀しみを押し殺した、やさしいものだった。
暁人は壊れ物でも扱うような手つきで、ベッドに横たわる『あたし』の頭を撫でている。
「んむぅ……!」
「ご機嫌ななめですね。起こしちゃったからかな」
「にげ、たぁ、つかまえ、てぇ」
「何をですか?」
「まぼろしの、さいこーきゅー、ぶどー!」
「ブドウに足が生えて逃げられる夢でも見てるんですかね」
「あたしの、おやつぅ~!」
「はいはい」
くすりと笑い声がした。肩を震わせた暁人がどんな顔をしていたかは、後ろ姿で見えない。
寝ぼけて手足をばたつかせる『あたし』を宥め、シーツを整えた暁人は、おもむろにベッドサイドへ右手を伸ばす。
……とぽん。
テーブル上のグラスに、漆黒の種が沈む。
それをひと思いに煽り、そっと抱き起こした『あたし』へと口づけた。
「んむっ……!」
「……噛んじゃ駄目です。そのまま飲み込んで」
「ん……く……」
「そう……いいこですね」
暁人は『あたし』の喉が上下したことを見届けると、口元を覆っていた手のひらを離し、再びベッドへ横たえる。
「よくがんばりました」
ちゅ……とリップ音。額やまぶた、目じりに頬。暁人は顔中にキスを落としながら、『あたし』の下腹部に当たる場所へ、シーツ越しにふれていた。
何度か撫ぜて、ぴたりと動きを止める広い手のひら。
「──『時が来るまで、安らかに』」
闇ばかりの空間に、ぽう……と光が灯る。
静かに瞬く金色のそれは、イルミネーションのようで、じゃれつく蛍たちのようで。
ふわり、ふわりと漂って、『あたし』にふれて、溶けてった。
取り残される静寂。遅れて衣擦れが凪いだ空間を波立たせた。
「……約束を守れなくて、ごめんね……」
再び震える語尾は、ほかに聞く者がないと思い込んでいるから。
いいや。ここにはたしかに、彼しかいないのだろう。
「愛しています。たとえ、そばにいられなくても……」
慟哭を押し殺しながら吐露する青年を、じっと見守る月明かり以外は。
「星凛……僕の星凛。心から……愛してる」
最後に口づけを残した彼の横顔が、白い光に照らし出される。
微笑んでいたのは、漆黒の夜空だったか。
「何をしてでも、どんなに時間がかかっても、絶対に、断ち切ってみせるから」
……違う。こがね色に輝く、月だ。
「……っう、あ……!」
「母さん!」
頭が、いたい。殴られたみたいにガンガンする。
とっさに抱きとめてくれたジュリの腕の中で、冷や汗が噴き出る。手足の震えが止まらない。
「どう、して……なんでっ……!」
これは記憶。幻ではなく現実。
だというなら、あぁ。
「わかることがあるとすれば……金色の、琥珀の瞳を持つ彼は、マザー・セントへレムの血を引くエデンの人間だということ」
ジュリの見解は、真だ。
──彼が、異世界から来たひとだった?
それじゃあ、異世界から召喚されたあたしが、マザー・セントへレムに選ばれた意味って。
──星の導きとは、すべてが必然だ。
あたしたちの出会いは、偶然じゃなかった。
「……きと……あきと、暁人っ……!」
ままならない身体に鞭を打って、手を伸ばす。
「答えて……教えてよ、ねぇ……!」
あたしたちが一緒にいちゃいけないってどういうこと?
そばにいてくれるって、約束したのに……あたしの前からいなくなったのは、暁人自身の意思だったの?
『何』を知って、『何』を背負っているの? 『何』からあたしを守ろうとしていたの?
「断ち切るって何? 教えてよ、ねぇ暁人……!」
あたしは、ここにいるよ!
いくら泣き叫ぼうとも、彼が振り向くことはない。
月夜の静寂がこの声を届けることは、ない。
「暁人、暁人っ……あきとぉっ……!」
無意味なことだと知りながら、手を伸ばすことをやめられない愚かなあたし。
聞くに堪えない叫びが反響する夢の中で、唇を噛みしめて抱きすくめるジュリの腕の感触だけが、痛くて、苦しかった。
カーペットに蹲り、悲痛な懇願を繰り返す暁人の手は、何かを握り込んでいる。
それが何なのか、震える肩越しに……見えた。
ころりと手のひらにおさまる、ちいさなちいさな、漆黒の種だ。
「……お願い」
懇願は続く。
その身からあふれるすべてをぶつけるように、彼は祈っていた。
「僕の代わりに星凛を守って。彼女が傷つかないように、笑顔でいられるように……!」
ぽたぽたと、染みを広げるカーペット。
残酷なほど静かな月夜に、嗚咽が響く。
「こんな歪んだかたちでも、僕はずっとそばにいるのだと……意地汚く、縋りつかせて……っ」
──守りたかったんだ。
しきりにジュリが言っていたその理由が、真実が、こんな……
「ん…………あき、と……?」
ふいの呼び声。あたしの声だけど、あたしのものじゃない。
「…………どうしたんですか、星凛?」
しばしの沈黙を経て紡がれた声音は、穏やかなものだった。哀しみを押し殺した、やさしいものだった。
暁人は壊れ物でも扱うような手つきで、ベッドに横たわる『あたし』の頭を撫でている。
「んむぅ……!」
「ご機嫌ななめですね。起こしちゃったからかな」
「にげ、たぁ、つかまえ、てぇ」
「何をですか?」
「まぼろしの、さいこーきゅー、ぶどー!」
「ブドウに足が生えて逃げられる夢でも見てるんですかね」
「あたしの、おやつぅ~!」
「はいはい」
くすりと笑い声がした。肩を震わせた暁人がどんな顔をしていたかは、後ろ姿で見えない。
寝ぼけて手足をばたつかせる『あたし』を宥め、シーツを整えた暁人は、おもむろにベッドサイドへ右手を伸ばす。
……とぽん。
テーブル上のグラスに、漆黒の種が沈む。
それをひと思いに煽り、そっと抱き起こした『あたし』へと口づけた。
「んむっ……!」
「……噛んじゃ駄目です。そのまま飲み込んで」
「ん……く……」
「そう……いいこですね」
暁人は『あたし』の喉が上下したことを見届けると、口元を覆っていた手のひらを離し、再びベッドへ横たえる。
「よくがんばりました」
ちゅ……とリップ音。額やまぶた、目じりに頬。暁人は顔中にキスを落としながら、『あたし』の下腹部に当たる場所へ、シーツ越しにふれていた。
何度か撫ぜて、ぴたりと動きを止める広い手のひら。
「──『時が来るまで、安らかに』」
闇ばかりの空間に、ぽう……と光が灯る。
静かに瞬く金色のそれは、イルミネーションのようで、じゃれつく蛍たちのようで。
ふわり、ふわりと漂って、『あたし』にふれて、溶けてった。
取り残される静寂。遅れて衣擦れが凪いだ空間を波立たせた。
「……約束を守れなくて、ごめんね……」
再び震える語尾は、ほかに聞く者がないと思い込んでいるから。
いいや。ここにはたしかに、彼しかいないのだろう。
「愛しています。たとえ、そばにいられなくても……」
慟哭を押し殺しながら吐露する青年を、じっと見守る月明かり以外は。
「星凛……僕の星凛。心から……愛してる」
最後に口づけを残した彼の横顔が、白い光に照らし出される。
微笑んでいたのは、漆黒の夜空だったか。
「何をしてでも、どんなに時間がかかっても、絶対に、断ち切ってみせるから」
……違う。こがね色に輝く、月だ。
「……っう、あ……!」
「母さん!」
頭が、いたい。殴られたみたいにガンガンする。
とっさに抱きとめてくれたジュリの腕の中で、冷や汗が噴き出る。手足の震えが止まらない。
「どう、して……なんでっ……!」
これは記憶。幻ではなく現実。
だというなら、あぁ。
「わかることがあるとすれば……金色の、琥珀の瞳を持つ彼は、マザー・セントへレムの血を引くエデンの人間だということ」
ジュリの見解は、真だ。
──彼が、異世界から来たひとだった?
それじゃあ、異世界から召喚されたあたしが、マザー・セントへレムに選ばれた意味って。
──星の導きとは、すべてが必然だ。
あたしたちの出会いは、偶然じゃなかった。
「……きと……あきと、暁人っ……!」
ままならない身体に鞭を打って、手を伸ばす。
「答えて……教えてよ、ねぇ……!」
あたしたちが一緒にいちゃいけないってどういうこと?
そばにいてくれるって、約束したのに……あたしの前からいなくなったのは、暁人自身の意思だったの?
『何』を知って、『何』を背負っているの? 『何』からあたしを守ろうとしていたの?
「断ち切るって何? 教えてよ、ねぇ暁人……!」
あたしは、ここにいるよ!
いくら泣き叫ぼうとも、彼が振り向くことはない。
月夜の静寂がこの声を届けることは、ない。
「暁人、暁人っ……あきとぉっ……!」
無意味なことだと知りながら、手を伸ばすことをやめられない愚かなあたし。
聞くに堪えない叫びが反響する夢の中で、唇を噛みしめて抱きすくめるジュリの腕の感触だけが、痛くて、苦しかった。
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