上 下
40 / 70
本編

*39* 想いの代償

しおりを挟む
『青薔薇の間』を訪れるのは、はじめてかもしれない。
 といっても、ローズピンクの壁紙がミントグリーンに変わったくらい。

 ホテルのように規則正しい部屋の配置は『赤薔薇の間』とさほど差異はない。
 イザナくんに手を引かれ訪れた一室で、遂にあの子との対面を果たす。

「ジュリー! 怪我大丈夫? もう痛いところはない?」

「うん、全部治してもらったから」

「よかったー! あっ、きつかったら寝ててもいいからね!」

 ゲストルームで、ジュリはベッドに腰かけていた。その手のひらで「ビヨン、ビヨーン」とわらびが跳ねていたので、癒やし効果抜群の水の妖精さんに遊んでもらっていたらしい。
 微笑ましいやらほっと安心やらでぐっと唇を噛みしめていたら、わらびを呼んだイザナくんが「ごゆっくり」とウインクを残し、部屋を後にした。

 こうしてジュリとふたりきり。
 ベッドに並んで腰かけると、一晩顔を見なかっただけなのに、すごく久しぶりに会う気がする。

 ──外傷は完治したけど、ジュリは魔力を消耗した反動で、一時的に体力が落ちている。
「だから今日1日は経過観察で部屋にいること」というのが、治療をしてくれたイザナくんの言葉だ。

「本当ならずっとここにいたかったんだけど、気づいたら朝でした。後でヴィオさんにひと言物申そうと思う」

 ジュリのそばについていると、あたしが駄々をこねたのは昨晩の話。
 ヴィオさんが物理的にあたしを寝かせることはあり得ないので、「ひと息つかれては?」と淹れてくれたハーブティーが怪しい。
 それで寝落ちた後にお姫様だっこでここから部屋まで運んでくれただろうことを想像して、頭を抱えたのは今朝の話。

「そっか。……みんなに迷惑かけちゃったな。ごめん」

 夜色の視線は、膝の上で硬く組まれた手に落とされる。
 ジュリは悪くないよ。そんなこと、口が裂けても言えない。
 この子が必要としているのは、そんな偽善ではないから。

「オレ……母さんに言わなきゃいけないことが、たくさんある」

「うん」

 声を震わせ、耐え忍ぶようなジュリの姿を、はじめて目にする。
 いつも溌剌と笑顔を弾けさせていた子だから。まぶしい笑みの裏に、どれだけの葛藤を抱え込んでいたことだろう。

 わからない。だから待つ。ジュリが自分の言葉で打ち明けてくれるまで。
 沈黙が流れ、時が止まったみたいだった。

「……オレはさ、母さんが思ってるみたいに純粋なこどもじゃないよ。狡猾で、ずる賢いやつなんだ」

 ややあって開かれた口が絞り出したのは、重苦しい独白。

「母さんは知らないでしょ……添い寝を口実に、オレが何をしていたか。オレはあなたに……キスしてたんだよ」

「……ジュリ」

「オレが知らないひとの名前を呼んで、啜り泣く唇は塞いでしまえって、そう思った。だからあなたが寝入ってから、毎晩、毎晩……」

 どうしてだろう。こどもからショッキングな事実を告げられたはずなのに、不思議と心は落ち着いている。
 いや……大切な我が子だからこそ、か。

「そういえば、エデンに来たばかりの頃は、悪夢ばかりだったなぁ」

 寂しい、帰りたいって。考えないようにしても、深層心理は残酷な幻となって夜な夜なあたしを襲っていた。
 いつの間にか、消え失せていたけど。

「ジュリがいつも、おまじないをかけてくれてたんだよね?」

 ──被呪者との肉体接触は、闇魔法による精神干渉をより強固なものとする。
 これは、闇魔法を扱う魔術師だけが知っていることだけどね──と、イザナくんが教えてくれた。

「ジュリが、あたしから怖いのを取り除いてくれてたんだ」

 その代償として、少しずつ、少しずつ、心が蝕まれて。
 気優しいこの子が時折我を忘れて怒り狂っていたのは、その影響だったんだと、今ならわかる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】星夜に種を

はーこ
恋愛
人が樹から生まれる異世界で、唯一こどもを生むことのできる『マザー』に。 さながら聖女ならぬ聖母ってか? ビビリなOLが、こどもを生んで世界を救う!  ◇ ◇ ◇ 異世界転移したビビリなOLが聖母になり、ツッコミを入れたり絶叫しながらイケメンの息子や絡繰人形や騎士と世界を救っていく、ハートフルラブコメファンタジー(笑)です。 ★基本コメディ、突然のシリアスの温度差。グッピーに優しくない。 ★無自覚ヒロイン愛され。 ★男性×女性はもちろん、女性×女性の恋愛、いわゆる百合描写があります。お花が咲きまくってる。 ★麗しのイケメンお姉様から口説かれたい方集まれ。 ********** ◆『第16回恋愛小説大賞』にエントリー中です。投票・エールお願いします!

彼女の幸福

豆狸
恋愛
私の首は体に繋がっています。今は、まだ。

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

処理中です...