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本編
*39* 想いの代償
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『青薔薇の間』を訪れるのは、はじめてかもしれない。
といっても、ローズピンクの壁紙がミントグリーンに変わったくらい。
ホテルのように規則正しい部屋の配置は『赤薔薇の間』とさほど差異はない。
イザナくんに手を引かれ訪れた一室で、遂にあの子との対面を果たす。
「ジュリー! 怪我大丈夫? もう痛いところはない?」
「うん、全部治してもらったから」
「よかったー! あっ、きつかったら寝ててもいいからね!」
ゲストルームで、ジュリはベッドに腰かけていた。その手のひらで「ビヨン、ビヨーン」とわらびが跳ねていたので、癒やし効果抜群の水の妖精さんに遊んでもらっていたらしい。
微笑ましいやらほっと安心やらでぐっと唇を噛みしめていたら、わらびを呼んだイザナくんが「ごゆっくり」とウインクを残し、部屋を後にした。
こうしてジュリとふたりきり。
ベッドに並んで腰かけると、一晩顔を見なかっただけなのに、すごく久しぶりに会う気がする。
──外傷は完治したけど、ジュリは魔力を消耗した反動で、一時的に体力が落ちている。
「だから今日1日は経過観察で部屋にいること」というのが、治療をしてくれたイザナくんの言葉だ。
「本当ならずっとここにいたかったんだけど、気づいたら朝でした。後でヴィオさんにひと言物申そうと思う」
ジュリのそばについていると、あたしが駄々をこねたのは昨晩の話。
ヴィオさんが物理的にあたしを寝かせることはあり得ないので、「ひと息つかれては?」と淹れてくれたハーブティーが怪しい。
それで寝落ちた後にお姫様だっこでここから部屋まで運んでくれただろうことを想像して、頭を抱えたのは今朝の話。
「そっか。……みんなに迷惑かけちゃったな。ごめん」
夜色の視線は、膝の上で硬く組まれた手に落とされる。
ジュリは悪くないよ。そんなこと、口が裂けても言えない。
この子が必要としているのは、そんな偽善ではないから。
「オレ……母さんに言わなきゃいけないことが、たくさんある」
「うん」
声を震わせ、耐え忍ぶようなジュリの姿を、はじめて目にする。
いつも溌剌と笑顔を弾けさせていた子だから。まぶしい笑みの裏に、どれだけの葛藤を抱え込んでいたことだろう。
わからない。だから待つ。ジュリが自分の言葉で打ち明けてくれるまで。
沈黙が流れ、時が止まったみたいだった。
「……オレはさ、母さんが思ってるみたいに純粋なこどもじゃないよ。狡猾で、ずる賢いやつなんだ」
ややあって開かれた口が絞り出したのは、重苦しい独白。
「母さんは知らないでしょ……添い寝を口実に、オレが何をしていたか。オレはあなたに……キスしてたんだよ」
「……ジュリ」
「オレが知らないひとの名前を呼んで、啜り泣く唇は塞いでしまえって、そう思った。だからあなたが寝入ってから、毎晩、毎晩……」
どうしてだろう。こどもからショッキングな事実を告げられたはずなのに、不思議と心は落ち着いている。
いや……大切な我が子だからこそ、か。
「そういえば、エデンに来たばかりの頃は、悪夢ばかりだったなぁ」
寂しい、帰りたいって。考えないようにしても、深層心理は残酷な幻となって夜な夜なあたしを襲っていた。
いつの間にか、消え失せていたけど。
「ジュリがいつも、おまじないをかけてくれてたんだよね?」
──被呪者との肉体接触は、闇魔法による精神干渉をより強固なものとする。
これは、闇魔法を扱う魔術師だけが知っていることだけどね──と、イザナくんが教えてくれた。
「ジュリが、あたしから怖いのを取り除いてくれてたんだ」
その代償として、少しずつ、少しずつ、心が蝕まれて。
気優しいこの子が時折我を忘れて怒り狂っていたのは、その影響だったんだと、今ならわかる。
といっても、ローズピンクの壁紙がミントグリーンに変わったくらい。
ホテルのように規則正しい部屋の配置は『赤薔薇の間』とさほど差異はない。
イザナくんに手を引かれ訪れた一室で、遂にあの子との対面を果たす。
「ジュリー! 怪我大丈夫? もう痛いところはない?」
「うん、全部治してもらったから」
「よかったー! あっ、きつかったら寝ててもいいからね!」
ゲストルームで、ジュリはベッドに腰かけていた。その手のひらで「ビヨン、ビヨーン」とわらびが跳ねていたので、癒やし効果抜群の水の妖精さんに遊んでもらっていたらしい。
微笑ましいやらほっと安心やらでぐっと唇を噛みしめていたら、わらびを呼んだイザナくんが「ごゆっくり」とウインクを残し、部屋を後にした。
こうしてジュリとふたりきり。
ベッドに並んで腰かけると、一晩顔を見なかっただけなのに、すごく久しぶりに会う気がする。
──外傷は完治したけど、ジュリは魔力を消耗した反動で、一時的に体力が落ちている。
「だから今日1日は経過観察で部屋にいること」というのが、治療をしてくれたイザナくんの言葉だ。
「本当ならずっとここにいたかったんだけど、気づいたら朝でした。後でヴィオさんにひと言物申そうと思う」
ジュリのそばについていると、あたしが駄々をこねたのは昨晩の話。
ヴィオさんが物理的にあたしを寝かせることはあり得ないので、「ひと息つかれては?」と淹れてくれたハーブティーが怪しい。
それで寝落ちた後にお姫様だっこでここから部屋まで運んでくれただろうことを想像して、頭を抱えたのは今朝の話。
「そっか。……みんなに迷惑かけちゃったな。ごめん」
夜色の視線は、膝の上で硬く組まれた手に落とされる。
ジュリは悪くないよ。そんなこと、口が裂けても言えない。
この子が必要としているのは、そんな偽善ではないから。
「オレ……母さんに言わなきゃいけないことが、たくさんある」
「うん」
声を震わせ、耐え忍ぶようなジュリの姿を、はじめて目にする。
いつも溌剌と笑顔を弾けさせていた子だから。まぶしい笑みの裏に、どれだけの葛藤を抱え込んでいたことだろう。
わからない。だから待つ。ジュリが自分の言葉で打ち明けてくれるまで。
沈黙が流れ、時が止まったみたいだった。
「……オレはさ、母さんが思ってるみたいに純粋なこどもじゃないよ。狡猾で、ずる賢いやつなんだ」
ややあって開かれた口が絞り出したのは、重苦しい独白。
「母さんは知らないでしょ……添い寝を口実に、オレが何をしていたか。オレはあなたに……キスしてたんだよ」
「……ジュリ」
「オレが知らないひとの名前を呼んで、啜り泣く唇は塞いでしまえって、そう思った。だからあなたが寝入ってから、毎晩、毎晩……」
どうしてだろう。こどもからショッキングな事実を告げられたはずなのに、不思議と心は落ち着いている。
いや……大切な我が子だからこそ、か。
「そういえば、エデンに来たばかりの頃は、悪夢ばかりだったなぁ」
寂しい、帰りたいって。考えないようにしても、深層心理は残酷な幻となって夜な夜なあたしを襲っていた。
いつの間にか、消え失せていたけど。
「ジュリがいつも、おまじないをかけてくれてたんだよね?」
──被呪者との肉体接触は、闇魔法による精神干渉をより強固なものとする。
これは、闇魔法を扱う魔術師だけが知っていることだけどね──と、イザナくんが教えてくれた。
「ジュリが、あたしから怖いのを取り除いてくれてたんだ」
その代償として、少しずつ、少しずつ、心が蝕まれて。
気優しいこの子が時折我を忘れて怒り狂っていたのは、その影響だったんだと、今ならわかる。
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