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本編
*28* ひとひらの青空
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軋む音を立てて閉じられたドア。廊下に反響する乱れた足音が、何とも息苦しい。
「恐れながらジュリ様、その手をお離し願います」
「うぁっ!?」
いくら一流の魔術師であるジュリでも、ウィンローズ最高の騎士に身のこなしで勝つことはできない。
コツリとヴィオさんが1歩前に出たと思ったら、一瞬だった。まばたきも終わらないうちに、大きく体勢を崩す。
「いっ……たぁ……今手加減しなかったでしょ……」
「ではセリ様の細い手首を折られるおつもりですか。力任せにレディーへ無理を強いることは、とても紳士のなさることではありませんよ」
「ヴィオさんはぶれないね……あたた」
右手をひねり上げられたジュリの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。
静かな口調だけど、それだけヴィオさんが怒っているということだ。
「ジュリ、話せばわかってくれるって信じてるから、ヴィオさんもジュリのこと怒ってくれてるんだよ」
「わかってるよ、無茶苦茶なことしてるってことくらい」
「じゃあなんで、あんな態度取るの? イザナくんがジュリに何かした?」
「してるね。現在進行形で。彼もわかっててやってる……だから嫌になるんだよ」
「だから、一体何を……!」
「瞳が気に食わない」
「瞳……!?」
「何もかもを見透かして、ずけずけと個人の感情に土足で踏み込んでくる瞳だ。そのくせ、自分の腹のうちは明かさない。のんきにヘラヘラ笑ってるただの陽気者なんかじゃないよ、あの人は」
たしかにイザナくんは時々、にこにこ笑っていたかと思えば、静かに凪いだまなざしをすることがある。
それを不快だと思ったことはない。あたしが暁人のことで取り乱したときだって、優しく慰めてくれた。
あたしの心情を敏感に感じ取って寄り添ってくれたイザナくんに感謝はしても、土足で踏み込まれているとか、そんなことは思うわけがない。
でも、ジュリは違ったんだね。
「っはは……オレの『星』は、母さんに悪いことをもたらすんだって」
乾いた笑いをもらしながらつぶやくジュリだけれど、オニキスの瞳は笑っていない。
「……イザナくんがそう言ったの?」
「実際は違う。でも意味合いとしてはそういうことだよ」
「イザナ先生は占術師としての高い実績もお持ちでいらっしゃいます。先生がそう星を読まれたならば、そうなのでしょう」
「ヴィオさ……」
「──だから? それが何だとおっしゃいなさる?」
厳しくも曇りなきひと言。それは研ぎ澄まされた剣そのもの。
あたしが入り込む隙など、微塵もなかった。
「あなたはその未来を変えようとしましたか。抗おうとしましたか。いいえ。悲観して、目を背けているだけです」
「違う……オレはただ、母さんのためにっ……」
「セリ様のためだというなら、何故セリ様の瞳をご覧になられないのです。あなたのそれは口だけだ。心は別のところにある」
「違う……」
「何か、セリ様に黙っていることがおありですね」
「やめろッ!!」
ぐん、と視界がぶれる。
とたん、信じられない重圧に見舞われる。
尋常ではない引力に、身体を引っ張られているみたいに。
「セリ様、私の手を」
「ヴィオさん……っ」
床に倒れ伏す寸前で、抱きとめられる。
あたしはただ、ヴィオさんの腕にしがみつくことしかできなくて。
「違う、違うんだ、母さん……こんなはずじゃなかった……たいせつな、だけなのに、オレは……」
ぶわりと冷や汗が噴き出る。バクバクと、脈動が近づく。
まずい。本能が警鐘を打ち鳴らす。
ダメだよジュリ……それ以上は。
「ごめん、母さん、ごめん……ゆるして」
重力に支配された空間に渦巻く黒い光が、暗く影を落とした漆黒の瞳を覆い隠す。
「セリ様はこちらで、お動きになられないよう」
「っ、ヴィオさっ……」
翻る黒の軍服。伸ばした右手は虚空を掻き、くらりと目眩を催す。
こんな状況で、満足に立ち上がる気力すら残っていないのに、あたしが崩れ落ちることはなくて。
ぐっと引き寄せられ、ぼやけた視界に映り込む濡れ羽。
「……ゼノ」
「行ってはいけません」
「はなし、て……ジュリが、」
「離しません」
「どうして……なんでっ……」
──ジュリ。
たったひと言、名前を呼んであげるだけでいいのに。どうして、声にならないの。
「……ごめん、ごめんね……オレは……いらないこだ……」
──刹那、何も聞こえなくなる。
静寂の中、真っ白な世界が、黒に染まって。
鮮烈な光景が網膜に焼きついた、そのとき。
……はらり。
ひとひらの青空が、舞い込んだ。
「恐れながらジュリ様、その手をお離し願います」
「うぁっ!?」
いくら一流の魔術師であるジュリでも、ウィンローズ最高の騎士に身のこなしで勝つことはできない。
コツリとヴィオさんが1歩前に出たと思ったら、一瞬だった。まばたきも終わらないうちに、大きく体勢を崩す。
「いっ……たぁ……今手加減しなかったでしょ……」
「ではセリ様の細い手首を折られるおつもりですか。力任せにレディーへ無理を強いることは、とても紳士のなさることではありませんよ」
「ヴィオさんはぶれないね……あたた」
右手をひねり上げられたジュリの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。
静かな口調だけど、それだけヴィオさんが怒っているということだ。
「ジュリ、話せばわかってくれるって信じてるから、ヴィオさんもジュリのこと怒ってくれてるんだよ」
「わかってるよ、無茶苦茶なことしてるってことくらい」
「じゃあなんで、あんな態度取るの? イザナくんがジュリに何かした?」
「してるね。現在進行形で。彼もわかっててやってる……だから嫌になるんだよ」
「だから、一体何を……!」
「瞳が気に食わない」
「瞳……!?」
「何もかもを見透かして、ずけずけと個人の感情に土足で踏み込んでくる瞳だ。そのくせ、自分の腹のうちは明かさない。のんきにヘラヘラ笑ってるただの陽気者なんかじゃないよ、あの人は」
たしかにイザナくんは時々、にこにこ笑っていたかと思えば、静かに凪いだまなざしをすることがある。
それを不快だと思ったことはない。あたしが暁人のことで取り乱したときだって、優しく慰めてくれた。
あたしの心情を敏感に感じ取って寄り添ってくれたイザナくんに感謝はしても、土足で踏み込まれているとか、そんなことは思うわけがない。
でも、ジュリは違ったんだね。
「っはは……オレの『星』は、母さんに悪いことをもたらすんだって」
乾いた笑いをもらしながらつぶやくジュリだけれど、オニキスの瞳は笑っていない。
「……イザナくんがそう言ったの?」
「実際は違う。でも意味合いとしてはそういうことだよ」
「イザナ先生は占術師としての高い実績もお持ちでいらっしゃいます。先生がそう星を読まれたならば、そうなのでしょう」
「ヴィオさ……」
「──だから? それが何だとおっしゃいなさる?」
厳しくも曇りなきひと言。それは研ぎ澄まされた剣そのもの。
あたしが入り込む隙など、微塵もなかった。
「あなたはその未来を変えようとしましたか。抗おうとしましたか。いいえ。悲観して、目を背けているだけです」
「違う……オレはただ、母さんのためにっ……」
「セリ様のためだというなら、何故セリ様の瞳をご覧になられないのです。あなたのそれは口だけだ。心は別のところにある」
「違う……」
「何か、セリ様に黙っていることがおありですね」
「やめろッ!!」
ぐん、と視界がぶれる。
とたん、信じられない重圧に見舞われる。
尋常ではない引力に、身体を引っ張られているみたいに。
「セリ様、私の手を」
「ヴィオさん……っ」
床に倒れ伏す寸前で、抱きとめられる。
あたしはただ、ヴィオさんの腕にしがみつくことしかできなくて。
「違う、違うんだ、母さん……こんなはずじゃなかった……たいせつな、だけなのに、オレは……」
ぶわりと冷や汗が噴き出る。バクバクと、脈動が近づく。
まずい。本能が警鐘を打ち鳴らす。
ダメだよジュリ……それ以上は。
「ごめん、母さん、ごめん……ゆるして」
重力に支配された空間に渦巻く黒い光が、暗く影を落とした漆黒の瞳を覆い隠す。
「セリ様はこちらで、お動きになられないよう」
「っ、ヴィオさっ……」
翻る黒の軍服。伸ばした右手は虚空を掻き、くらりと目眩を催す。
こんな状況で、満足に立ち上がる気力すら残っていないのに、あたしが崩れ落ちることはなくて。
ぐっと引き寄せられ、ぼやけた視界に映り込む濡れ羽。
「……ゼノ」
「行ってはいけません」
「はなし、て……ジュリが、」
「離しません」
「どうして……なんでっ……」
──ジュリ。
たったひと言、名前を呼んであげるだけでいいのに。どうして、声にならないの。
「……ごめん、ごめんね……オレは……いらないこだ……」
──刹那、何も聞こえなくなる。
静寂の中、真っ白な世界が、黒に染まって。
鮮烈な光景が網膜に焼きついた、そのとき。
……はらり。
ひとひらの青空が、舞い込んだ。
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