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本編
*24* 君がいない空白(挿絵あり)
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その瞬間、思考も、呼吸すらも止まる。
手元の液晶画面へ釘づけになった視線が、逸らせない。
『そんなに繰り返さなくても、聞こえてます』
『あ、子供っぽいって思ったでしょ!』
『思ってません』
『うそつけー!』
『貴女らしいなとは、思いましたけど』
若い男女の会話。騒がしい声の主は、あたしだ。そして呆れているようで穏やかな声は──
雑踏。信号機。クラクション。
ノイズの混じった音声の中で、その声をはっきりと拾うことができる。
『だって……暁人が』
『僕が?』
『暁人が……変な顔、してるから』
『その変顔を隠し撮りする星凛も、星凛ですけどね』
『ああ言えばこう言うわねー!』
可笑しくなって、たまらず笑みがこぼれた。
他愛ない言い合いだ。
この後、あたしはなんて言ったんだっけ。彼はなんて返したんだっけ。
あぁ……そうだ。
『なんかいいことでもあったの?』
『考え事をしていたんです』
濡れ羽の猫っ毛に映える粉雪。
振り返った漆黒の瞳から、液晶越しに捉えられる。
『雪にはしゃぐ星凛も、可愛いなって』
信号待ち。白に染まり始めた景色の中で佇む背に見惚れて、雪を撮るふりをして。
そしたらさ、滅多に見せない微笑みと、お得意の殺し文句にまんまとやられてさ。
──君はいつだって、何度だって、あたしの心臓を鷲掴む。
『寒いんでしょう? 手を繋ぎましょう。ほら、もっと近寄って』
『ちょっと待ってストップストップ……ストーップ!』
動画は、いたずらっぽく口元をゆるめた確信犯のせいでテンパったあたしの絶叫と共に、大きく画面をガタつかせて終わっている。
……沈黙。一定期間操作のなかった液晶画面が、自動的に消灯する。
「今の彼は、ドールの……いや、でも」
うわ言のような少年のつぶやきが、静寂を波立たせた。
「……大丈夫?」
「ありがとう……オリーヴ……」
そっとあたしの肩を抱いたオリーヴは、心配そうに覗き込んでいるんだろう。
ペリドットの視線を感じながらも、ひと言返すので精一杯。語尾は震えてしまった。
「やっぱさぁ……無理だったんだよね。考えないようにとか、忘れよう、とか……」
ぽたり、ぽたり。
握りしめたスマホに大粒の雨が降る。視界がにじんで、息が詰まって、もう言い訳はできないなって思った。
会えないのが寂しかった。思い出すのが辛かった。
堪らなくなって想い出のアルバムから消して、カラフルなスイーツを敷き詰めて、記憶の奥底に仕舞い込んだ。
ばかだよね。未練たらしく手放せなくなってる時点で、無駄なことなのに。
「会いたいよ……暁人……あきと……っ」
この傷は、君がいない空白は、もう埋められない。
生まれ変わったとしても、絶対に。
「ごめん、急に……」
「いいのよ」
「ごめんっ……」
「我慢しなくていいの」
「うっ……あぁ……!」
もういい、頑張らなくていい。そんなことを言われたら、せっかく堰き止めていたものがあふれる。
「これってもしかして……僕が泣かせちゃったってことになるかな?」
「ひくっ……そうだよぜんぶ、イザナくんのせいー!」
「わーっ! セリちゃんごめんね!?」
やけくそだった。やつあたりもいいところなのに、わっと飛びついてきたイザナくんが、あたふたとあたしの手を握って律儀にも謝ってくれる。
「僕ったらつい勝手なことしちゃって……ほんとにごめんね。嫌な思いさせちゃったね。殴ってもいいよ。ひと思いにどうぞ、はいっ!」
「どの顔が言うかー!」
「えぇ! ダメなの!?」
美少女も真っ青な綺麗なお顔にビンタとか、どんな無理ゲーだよ。ふざけてんだろうか。善意の塊すぎて心配になってくるわ。
「うそ、ごめん…………ありがと」
「セリちゃん……?」
「あたしの、大切なもの……大切な、ひとだったの……ありがとう……イザナくん……ありがとう……っ」
嗚咽に邪魔されながら絞り出した言葉は、届いただろうか。黙り込んだ彼は、何を思っただろうか。
「君の心は……とても綺麗だね」
すぐに落ち着きなんか取り戻しちゃって、また褒め倒そうとしてくるんだから、もう。
「泣きたいときは、泣きなさい」
ふわりと、視界が純白に染まる。
長い長いローブの袖に包み込まれたことを理解したのは、プラチナブロンドが、頬をくすぐったから。
「セリちゃんはいいこだ。よしよし」
リアンさんとそんなに身長差はなかった。小柄なほうのイザナくんだろう。
でも華奢な腕は意外にも力強くて、男の子なんだなって、当たり前のことに気づかされた。
あたしに『お兄ちゃん』はいなかったけど、もしいたとしたら、こんな感じだったのかなぁ。
繰り返し背と頭を撫でられながら、ほっとして、胸がギュッとして、また泣けてくる。
「イザナくん──」
「うん?」
感謝は、何度伝えても足りないくらい。それでも懲りずに、優しく細められたアメシストを見上げた。
ありがとうって紡ごうとした言葉が、ふいに揺らいだ影に引き戻される。
「──さわらないで。離して」
あれだけ近かったぬくもりが、遠い。
世界を占めていた白銀が遠ざかる代わりに、映り込む青藍。
「もう一度だけ言うよ。──母さんを離せ」
歪んだ空間から現れた少年が、純白の袖ごと、あたしへ伸ばされた細い手首を掴んでいる。
「──よくもオレの母さんを泣かせたな」
あたしを背に庇ったジュリは、ぞっとするほど冷たいひと言で、対峙するイザナくんを射抜いた。
手元の液晶画面へ釘づけになった視線が、逸らせない。
『そんなに繰り返さなくても、聞こえてます』
『あ、子供っぽいって思ったでしょ!』
『思ってません』
『うそつけー!』
『貴女らしいなとは、思いましたけど』
若い男女の会話。騒がしい声の主は、あたしだ。そして呆れているようで穏やかな声は──
雑踏。信号機。クラクション。
ノイズの混じった音声の中で、その声をはっきりと拾うことができる。
『だって……暁人が』
『僕が?』
『暁人が……変な顔、してるから』
『その変顔を隠し撮りする星凛も、星凛ですけどね』
『ああ言えばこう言うわねー!』
可笑しくなって、たまらず笑みがこぼれた。
他愛ない言い合いだ。
この後、あたしはなんて言ったんだっけ。彼はなんて返したんだっけ。
あぁ……そうだ。
『なんかいいことでもあったの?』
『考え事をしていたんです』
濡れ羽の猫っ毛に映える粉雪。
振り返った漆黒の瞳から、液晶越しに捉えられる。
『雪にはしゃぐ星凛も、可愛いなって』
信号待ち。白に染まり始めた景色の中で佇む背に見惚れて、雪を撮るふりをして。
そしたらさ、滅多に見せない微笑みと、お得意の殺し文句にまんまとやられてさ。
──君はいつだって、何度だって、あたしの心臓を鷲掴む。
『寒いんでしょう? 手を繋ぎましょう。ほら、もっと近寄って』
『ちょっと待ってストップストップ……ストーップ!』
動画は、いたずらっぽく口元をゆるめた確信犯のせいでテンパったあたしの絶叫と共に、大きく画面をガタつかせて終わっている。
……沈黙。一定期間操作のなかった液晶画面が、自動的に消灯する。
「今の彼は、ドールの……いや、でも」
うわ言のような少年のつぶやきが、静寂を波立たせた。
「……大丈夫?」
「ありがとう……オリーヴ……」
そっとあたしの肩を抱いたオリーヴは、心配そうに覗き込んでいるんだろう。
ペリドットの視線を感じながらも、ひと言返すので精一杯。語尾は震えてしまった。
「やっぱさぁ……無理だったんだよね。考えないようにとか、忘れよう、とか……」
ぽたり、ぽたり。
握りしめたスマホに大粒の雨が降る。視界がにじんで、息が詰まって、もう言い訳はできないなって思った。
会えないのが寂しかった。思い出すのが辛かった。
堪らなくなって想い出のアルバムから消して、カラフルなスイーツを敷き詰めて、記憶の奥底に仕舞い込んだ。
ばかだよね。未練たらしく手放せなくなってる時点で、無駄なことなのに。
「会いたいよ……暁人……あきと……っ」
この傷は、君がいない空白は、もう埋められない。
生まれ変わったとしても、絶対に。
「ごめん、急に……」
「いいのよ」
「ごめんっ……」
「我慢しなくていいの」
「うっ……あぁ……!」
もういい、頑張らなくていい。そんなことを言われたら、せっかく堰き止めていたものがあふれる。
「これってもしかして……僕が泣かせちゃったってことになるかな?」
「ひくっ……そうだよぜんぶ、イザナくんのせいー!」
「わーっ! セリちゃんごめんね!?」
やけくそだった。やつあたりもいいところなのに、わっと飛びついてきたイザナくんが、あたふたとあたしの手を握って律儀にも謝ってくれる。
「僕ったらつい勝手なことしちゃって……ほんとにごめんね。嫌な思いさせちゃったね。殴ってもいいよ。ひと思いにどうぞ、はいっ!」
「どの顔が言うかー!」
「えぇ! ダメなの!?」
美少女も真っ青な綺麗なお顔にビンタとか、どんな無理ゲーだよ。ふざけてんだろうか。善意の塊すぎて心配になってくるわ。
「うそ、ごめん…………ありがと」
「セリちゃん……?」
「あたしの、大切なもの……大切な、ひとだったの……ありがとう……イザナくん……ありがとう……っ」
嗚咽に邪魔されながら絞り出した言葉は、届いただろうか。黙り込んだ彼は、何を思っただろうか。
「君の心は……とても綺麗だね」
すぐに落ち着きなんか取り戻しちゃって、また褒め倒そうとしてくるんだから、もう。
「泣きたいときは、泣きなさい」
ふわりと、視界が純白に染まる。
長い長いローブの袖に包み込まれたことを理解したのは、プラチナブロンドが、頬をくすぐったから。
「セリちゃんはいいこだ。よしよし」
リアンさんとそんなに身長差はなかった。小柄なほうのイザナくんだろう。
でも華奢な腕は意外にも力強くて、男の子なんだなって、当たり前のことに気づかされた。
あたしに『お兄ちゃん』はいなかったけど、もしいたとしたら、こんな感じだったのかなぁ。
繰り返し背と頭を撫でられながら、ほっとして、胸がギュッとして、また泣けてくる。
「イザナくん──」
「うん?」
感謝は、何度伝えても足りないくらい。それでも懲りずに、優しく細められたアメシストを見上げた。
ありがとうって紡ごうとした言葉が、ふいに揺らいだ影に引き戻される。
「──さわらないで。離して」
あれだけ近かったぬくもりが、遠い。
世界を占めていた白銀が遠ざかる代わりに、映り込む青藍。
「もう一度だけ言うよ。──母さんを離せ」
歪んだ空間から現れた少年が、純白の袖ごと、あたしへ伸ばされた細い手首を掴んでいる。
「──よくもオレの母さんを泣かせたな」
あたしを背に庇ったジュリは、ぞっとするほど冷たいひと言で、対峙するイザナくんを射抜いた。
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