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本編

*3* 花の楽園にて

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 ここはウィンローズ。
 歩けば陽だまりを運ぶそよ風が肩を並べ、見渡せば色とりどりの芸術がそこかしこに咲き誇る、緑豊かな花の楽園。

 今朝方セントへレムを発ち、街でリアンさんと久しぶりの再会を果たしたあたしたちが、彼女の案内のもと、マザーの住むウィンローズ邸へやってきたときのことである。

「そういえば、お伝えし損ねていたことがありました!」

 呆けながら自分の身長の何倍も高い門を見上げていたあたしの意識は、思い出したように両手を打ち鳴らしたリアンさんのほうへ。
 何事かと三者三様に問うまなざしのうち、細まるペリドットの瞳が向けられたのは、あたしを除いた彼らだった。

「大変申し訳ないのですが、我がウィンローズ邸は、原則として男子禁制なんです」

「オレたちは入れないの?」

「もちろん賓客を除き、です。ただ、証明となる入邸許可証を失念しておりまして」

「あれ、リアンさんにしては珍しいですね?」

「うっかりうっかり、です。すぐにお持ちしますので、ジュリ様とゼノ様はここでお待ちいただきますね。あっセリ様はお先にどうぞー」

「それなら、あたしも一緒に待ってま、」

「すぐです、本当にすぐですので、さぁさぁ中へどうぞ! この先を道なりに行かれますとお母様ご自慢の薔薇園がありますから、そちらでごゆるりとお待ちになってくださいな!」

「えっちょっ、リアンさん?」

 門の向こう側へぐぐい、と背中を押し込まれ、びっくりした勢いもそのままに振り返る。

「そうそう、許可証をお持ちでない殿方が敷地内に入られますと、入り口の魔法陣に反応してウィンローズ騎士団が駆けつける仕組みとなっております」

「男子禁制って、そこまでのレベルなの……?」

 ごめんなさーい! と茶目っ気たっぷりに告げられた言葉は、なんとも穏やかではない。
 これにはジュリも苦笑いだ。ゼノは真顔で黙り込んだまま。

「では、またのちほど」

 そんなあたしたちをよそに、花の笑みをほころばせたリアンさんは、オフホワイトの裾をはためかせながら軽やかなステップでも踏むように、屋敷のほうへ姿を消したのだった。


  *  *  *


 広い広敷地内を、薔薇園があるという方角へ向かって、トコトコと歩く。

「屋敷というか、お城だよ」

 外観も、規模も、ヨーロッパとかで有名なお城となんら遜色ない。
 うちとはまるで違うなぁと舌を巻いたところで、そういえばあそこは別邸だったと思い出した。

 何でも、あたしたちの住む別邸はウィンローズにほど近い西側にあるらしく、本邸はセントへレムの中心地とのこと。
 お掃除が大変そうなので、あたしは別に引っ越したいとかはない。
 閑話休題。

「ぼっちになってしまったよ?」

 目下の問題は、予期せずみんなと離れ離れになってしまったこと。
 なんて言うかな……いつもはジュリやゼノやわらびが一緒にいたから、調子狂うっていうか。

「星凛さんあんた何歳よ? もう……」

 久しぶりだな、こういうの。
 代わり映えのないルーティンにパンプスをすり減らして、無音のワンルームで崩れ落ちるように眠りについていた、あの頃みたい。

「……はぁ」

 サァー……と背後から吹き抜けた風が、ため息をさらっていった。

 ──ちらり。

 爪先とレンガ造りの歩道を映した視界に、何かが掠める。
 見ると、純白の鱗粉を散らせる1羽の蝶だった。
 それがどこからともなく──というか、あたしの懐からひらりと舞い出て。

「うん? え…………あっ」

『それ』が何か思い至ったなら、じわじわと身体の芯から込み上げるものを止められない。

「うわぁーーーーーーっ!!!」

 あたしの絶叫もどこ吹く風。
 純白に光る蝶はとっさに突き出した右手をすり抜け、ひらひらと優雅に宙を舞う。

「待ってストップ! ストッププリーズ!!」

 夢中だった。がむしゃらに追いかけるけど、そこは病み上がりの星凛さん。要は短足の鈍足に追いつけるわけがなかった。

「待てぇぇぇえええい!!!」

 もう乙女も何もあったもんじゃない。
 猛然と爆走するあたしは、蝶が姿を消したT字路で、ギュインと方向転換をし──

「……セリ様?」

 呼ばれた、名前。
 だけども、人はすぐには止まれないんです。

「んぇっ? わっちょっ、へぶふっ!」

 そこに居合わせた人影に、はからずもタックルを決め込む事態は免れなかった。……んだけど。
 豪快に顔面からダイブこそすれど、目をつむって覚悟した衝撃は、一向に訪れなかった。
 代わりにむにゅうと、やわらかい感触に包まれる頬。待って、めちゃくちゃいい香りがする。

「セリ様……セリ様なのですか?」

 高い男声とも、低い女声とも取れる中性的な声音が頭上から繰り返しあたしを呼んだなら、もう確信しかなかったよね。

「……ひゃい、しぇりれふぅ」

 にへら。笑って誤魔化そうとしてみた。
 あたしを抱きとめた『彼女』のペリドットが、ふわりとほころぶ。

「ふふ、そんなに急いでどちらへゆかれるのですか? マイ・レディー」

「……ひぇえ」

 自然な仕草で取られた右手に、ちゅ、と落とされるキス。
 片膝をついて見上げる姿は、まさに『王子様』──陽光に煌めくダークブロンドが、花の笑みが、この世のものではないくらいにまぶしい。

「お久しぶりです……ヴィオさん」

「ご無沙汰しております。その後、お変わりありませんか?」

「おかげさまで……あの、しょっぱなからタックルかましてすみませんでした」

「可憐な蝶と戯れていただけです、何を不快に思うことがありましょうか」

「ひぇ……」

「あぁ、せっかくの御髪が乱れていますね。動かないで」

「ふぃ……」

「また風にいたずらをされてしまわないように、私がおまじないをかけておきましょう」

「んぬぅうッ……!」

 いつの間にか脱げてしまったフード。
 さらけ出されたぐしゃぐしゃであろう髪を、ヴィオさんの細くて長い指がそっと梳いた。
 まるで、シルクにでもふれるかのように。

 なんてこった。ちょっとひと月くらい会わなかった間に、イケメン度が爆上がりしてら。
 直視したそばから知能を奪われる。変な声しか出せん。
 だけど星凛さんは頑張った。死ぬ気で頑張って、人語の発声法を思い出すことができたのだ。
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