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スラム街

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 マリーが宿を出たのは早朝だった。

「言い忘れてたけど、私今日は別行動するわよ。ソリティアさんと観劇をする約束をしているの。何でもこの時代では最高の作家が書いた台本で、最高の役者が演じるそうよ。元貴族の娘としては見ないわけにはいかないわ」

 そんな事を言ってさっと出て行ってしまった。
 今日は休みの日だし、予定もなく、暇をするだけだったから何も問題はない。
 しかしマリーの予定が埋まっていても、俺の予定はスカスカで暇をしているのだ。

 王都に来てから買い溜めていた本も、今は読み終えてカバンの底の錘となっている。
 飲み仲間のジョンはあの日から、ほぼ休まずに精力的に金を稼ぎ続けている。
 事情を知っているだけに、ただ酒を飲むために休めとも言いづらい。

「いや、待てよ……この街でまだ行っていない場所があったな」

 宿屋の窓から外を覗く。
 庭の向こうに見える住居裏の、路地の奥の土がむき出しになった汚れた道。
 所謂スラム街と呼ばれ疎まれる区域へ続く道だ。

 人を攫うような悪党は街の中心から離れた郊外に住処を作るが、ただ暴力的なだけのチンピラや違法物を取引する輩はああいった街中の暗がりを好むものだ。
 そこで取引される物に興味はあれど、シャルロからの監視の目が怖くて今まで行ったことはなかった。
 もうすぐ他の国に行くわけだし、勇気を出して行ってみよう。


 臭い。
 スラムに立ち入って最初に抱いた感想はこれだ。
 そもそも王都は人間が集まる場所に特有の、何かしらが混ざった匂いがする。
 だがここは別格だ。
 ろくに手入れをしていない人間や、処理をしていない……老廃物の匂いがする。

「来るんじゃなかった、こんな所……」

 期待していたような珍しい物品は、俺のような新参者が見つけるのは少し厳しいらしい。
 怪しい売人はいるが、見かける度に入り組んだ道に巻かれてしまう。
 彼らもまともそうな相手には、何も売りたくないのだろう。
 
「私もまったく同意見です。というよりも、貴方がここにいるのが驚きですよ。ヒトゥリ様」

「誰だお前っ! ……ってああ、お前はフィランジェット家の執事か」

 薄汚れた路地に似つかわしくない、皴1つない服に整えられた白髪。
 両手を後ろに組み、脚を揃え、微笑している彼は、フィランジェット家の邸宅で見た幸運な執事だった。

「アルベルト、です。しばらくぶりですね。こんな場所に何の御用事ですか? 貴方が必要とする物は、ここにはないでしょうに」

「俺はただの観光だ。というよりもその質問は俺がするべきじゃないか? まさか貴族の御令嬢たちが求めてる物が、スラムになんてあるはずもないだろう?」

「仰る通りです。ですが、ヒトゥリ様。逆はあり得るのですよ」

 逆だと?
 そう言葉に出そうとして、口を開けたまま固まってしまう。
 アルベルトの背後の曲がり角から、ナイフを逆手に持った目のイかれた男が飛び出てきたのだ。

「スラムに棲む者達が貴族の持つ物を奪おうとする。――特に汚い商売になりそうな物ならね」

 アルベルトがそう言って、こちらを向いたまま後ろに組んだ手を動かすと、黒い何かがイかれた男目掛けて飛んでいった。

「死ねえええええ! コッ……」

 どさり、とイかれた男が倒れ伏す。
 その喉にはナイフが突き刺さっていた。
 あの一瞬で飛びかかる男の位置を把握し、その上で振り返らずに後ろ手にナイフを投げて命中させたのだ。

「ナイフを手に持ったまま俺に話しかけてたのか、お見事」

 思わず手を打ってアルベルトを賞賛する。
 彼はまんざらでもなさそうに、手に持った残りのナイフを1回転させコートの内側に隠し衣服を整えた。

「お褒めに預かり光栄でございます、と……さて、本題ですが。私は今ここにソリティア様から授かった命令を遂行しに来ています。不躾なお願いになりますが、私の手伝いをして頂けませんか?」

「それは本当に急だな。そもそもなんで俺やお前にやらせようとするんだ? スラムのチンピラ絡みなら、シャルロ達警備隊に任せればいいじゃないか」

「それはごもっともです。しかしこれは内密にしなければならない事であり、そして貴方にも関係のある事なのですよ」

 そう言ってアルベルトはコートの内から、ネックレスを1つ取り出した。
 銀細工の彫刻が入っているが、見るからに安物で貴族が持つには相応しくない。
 まさかこれがソリティアの物なわけがないし、アルベルトの私物か?
 しかし、どこかで見た覚えのあるネックレスだ……。

「あ、もしかしてそれって俺が『魔工』で作った魔道具か?」

「はい、その通りです。今回狙われているのは、貴方の作った作品達ですよ」

 アルベルトは倒れている男の懐を探り、同じようなネックレスを取り出した。
 しかし、そちらは俺が魔力を籠めた部分である飾りの部分が破壊されていて、既に魔道具としての効果が失われている。

「こちらは貴方の作った魔道具を改造し、依存性と魔力酔いによる快楽を得られるようにした違法物品です」

 確かにアルベルトの言った通りに、魔道具からは籠めたはずの『炎弾』とは似ているようで違う魔力を感じる。
 『炎弾』ように調整したネックレスでは、あの歪んだ魔力に耐えられず一度切りで破壊されてしまうだろう。

「このスラムのチンピラ達はそれを売りつけているのか、そこの男の様な身元が定かでない奴らに」

「はい、そして彼らは少しやり過ぎました。被害はこの浮浪者に限らず、通常の市民にも出始めています。このままでは、警備隊に捕まるのも時間の問題でしょう」

「うん? なら、いいじゃないか。放っておけば、それこそ警備隊達が捕らえてくれるだろうよ」

 俺がそう言うと、アルベルトは首を振った。
 ネックレスを掲げ、俺によく見えるように突き付けてくる。

「ヒトゥリ様。これを作ったのは貴方です。ご丁寧に商会と貴方を示す刻印まで入っています」

「ああ、ブランドになるからってソリティアが入れさせたから……あっ、そう言う事か」

「そう言う事です。警備隊がこれを入手した時に、真っ先に疑われる流通元は我々です。通常時なら真っ当な手続きと捜査が行われますが、今は時期が悪いのです。例の幹部の男は、獄中に居ながらも、我々を失脚させる機会を伺っています。あの男が手を回す前に、流通の大元を潰せなければ、我々はこの街に居られなくなってしまいます」

 裏工作か。
 頑なに名前の出ない幹部の男よ、興味もないから名前を聞きはしないが、アルベルトを使っていた事といい、随分と裏工作が好きなようだな。
 俺だと分かる刻印の入った物品が違法だと知られれば、好ましくない事態になる。

「分かった。それじゃあお前について行こう。場所は分かってるんだよな?」

「勿論です。既に売人を何人か捕らえ場所を吐かせました。こちらです」

 そう言ってアルベルトは路地を曲がる。
 俺は売人の1人も捕まえられなかったというのに……。
 アルベルトは角で鼻を鳴らし、次々と別れ道を進んで行く。

「売人達はネックレスの他にも違法薬物も売っているそうです。だから、こうやって匂いで分かるのですよ」

 こんな酷い匂いのスラムで分かる物なのか?
 疑問を持ったままついて行くと、アルベルトは道端に生い茂った草むらの中に、扉を見つけた。
 そして喉を抑えて2、3度鳴らすと扉をノックした。
 しばらくすると、扉の下から声が聞こえる。

「……誰だ?」

「俺だ。謂われた通りに殺してきた。だから、だから早くあのネックレスをくれよ!」

 アルベルトの喉から出た声は、先程襲い掛かってきた男の声だった。
 その声はほぼ完ぺきで、親しい人物でもなければ聞き分ける事はできないだろう。

「ああ……正直できるとは思ってなかったぜ。ほら、入れ――待て、お前誰だ!」

「相手の姿も確認しないとは不用心だな。次からは気をつけろよ」

 扉が開き、男が出てくると同時にアルベルトのナイフが首に刺さった。
 男の死体が地下への階段を転がり落ちていく。

「嗅ぎ分けに、声真似……器用だな。前は商人で今は執事、それに加えてこんな事もできるなんて、お前なんでもできるんじゃないか?」

 アルベルトは、地下をのぞき込んで敵がいない事を確認し中に入っていく。
 そしてこちらを向かないままに、答える。

「そいういうユニークスキルを持っているんですよ。『浅知浅能せんちせんのう』といって、練習せずとも何でもできてしまうスキルです。商売も家事も魔法も戦術も隠密も、ありとあらゆる全てです。そしてその程度は低く、真の一流には及ばないのです」

 真の一流ではないから、全知全能ではないのか?
 それでも万能すぎるスキルだ。

「しかし、このスキルにもできない事がありました。人を信頼し、打ち明ける事です。それは貴方教えてくれたものですよ」

 アルベルトはそう言って振り返り、微笑んだ。
 何の事かと、一瞬固まったが、すぐにプラムが誘拐された時にした助言の事に思い当たった。

「いや、あれは別にそういう意図があったわけじゃ……」

「知っていますよ。貴方はそれほど人に関心を持っていらっしゃらない。しかし、貴方にどういう意図があろうと、私は救われたんですよ。それが重要な事でした」

 何とも居心地が悪い。
 むしろ俺はアルベルトが追い出されると思って助言した側だ。
 そんな考えを悟られない様に、アルベルトを追い越して先に進む。
 そして1人の男と鉢合わせた。

「しまった! 敵だ、アルベルト……?」

 様子がおかしい。
 男に近づいてみると、完全に瞳孔が開いて息もしていない。
 そっと肩に手を当ててみると、男は壁からずり落ちる様に倒れた。

「死んでいますね。ほら、頭の後ろに血が」

 確かに、壁に血の跡がついている。
 俺達がやったわけではない。
 つまり、ここには先に誰かが侵入している?
 どこから、ここ以外にも出入口があったのか?

「考えても分かりませんよ。こういう時は考えず先に進む事です。さあ行きましょう」

 アルベルトはそう言って、先に進む。

「ああ、確かにその通りだな」

 進んで行くアルベルトを横目に、また倒れている男を見る。
 何か、紐のような物が……髪の毛?

「亜麻色の髪の毛、そしてこの切り口……先に入ったのはあいつか」
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