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第10話

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高梨百合恵たかなしゆりえ 視点◆

母がピアノ好きな人なので物心がついた頃にはピアノ教室へ通わされていて生活もピアノが中心にあり、高校時代までは常に次のコンクールを目標に生活し、将来もピアニストとして生きていきたいと思うくらいだった。

希望通り音大に進学できたけど、周囲のレベルの高さにピアニストとして生きて行くのが現実的ではないと感じ、音楽教師という進路を目指す事となった。

ピアノ一辺倒だったわたしだけど教職というのは性格に合っていて、教員免許取得の勉強も教育実習も取り組めば取り組むほど天職であるように思えたし、無事新卒で秀優しゅうゆう高校の音楽教師になってからも充実した日々を送れていた。


わたしの人生が大きく変わったのは25歳の時に友人に紹介されて春日悠一かすがゆういちさんと出会ったことで、その後すぐに告白されてから交際を始め1年の期間を経てプロポーズを受け、わたしの27歳になる誕生日に合わせて入籍し結婚式を行った。

悠一さんは出会った時から優しく気を使ってくれる人だったけど、結婚をすると同時にそれまで見せてこなかったわたしが働くことに否定的な考えを表に出し、退職するように何度も言ってきた。

私にとって音楽教師は天職なので続けたかったし、それを理由に何度も口論になった。とは言え、夫婦仲は基本的に良好だったので結婚して1年が過ぎたあたりからわたしが30歳になる前にはこどもが欲しいという話になり、危険そうなりやすい日には意識して肌を重ねるようになった。授かりものなのでこどもができるような事をしているからと言って絶対にできるわけではなく、結局30歳どころか33歳になった今でも妊娠すらしていない。

わたしが30歳を過ぎたあたりから悠一さんはこどもを授からないのはわたしが悪いという気持ちを持ち始めたようで、言動の節々にその気持ちを乗せてくるようになってきて、気持ちがささくれることが多くなり、最近では悠一さんと肌を重ねるのもこどもを作るための作業という感じになっていて、したくないと思ってしまっている。更に悠一さんの家族である義父母や義兄姉も同じ様に考えているようで、顔を合わせるたびに小言を言われるようになり、最近は悠一さんの実家へ行くのが苦痛になっている。


仕事は充実しているけどプライベートは陰りがある。それがわたしの現状・・・


ゴールデンウィークが明けてすぐに秀優高校で事件が有った。2年の男子生徒がクラスメイトの女子に襲いかかったというもので、その加害者も被害者も加害者を捕まえた男子生徒も校内では知らない人がいないほどの有名な生徒だったので大きく騒がれた。被害に遭ったとされる二之宮凪沙にのみやなぎささんには最初は同性のわたしと新卒2年目の巳神紗弓みかみさゆみ先生で話を聞いたのだけど、被害を否定し自分が神坂かみさか君に迫って勢い余って触らせて神坂君の手を掴み自分の身体を触らせたところをたまたま近くにいた鷺ノ宮さぎのみや君が取り押さえて事が大きくなったと言っていて、別の先生が話を聞いていた鷺ノ宮君の話が際どい内容だったので、いくら勢い余ってもそこまでさせることはないだろうと思い、二之宮さんに確認をしたところ鷺ノ宮君の証言を裏付ける内容で、センシティブな部分の追加はあったけれど二之宮さんが神坂君の手を掴んで触らせたという主張を変えなかったので神坂君は処罰なしとなった。

しかし、二之宮さんの応答には引っ掛かる点があり、最終的に話を聞いた校長先生・教頭先生・生徒指導の大塚おおつか先生もやはり引っ掛かりを感じられたようで、これ以上は不問としたけど神坂君が二之宮さんへ何か働きかけをしているのではないかという疑念が残るというのが教職員の共通認識となっていた。


事件から数日後の放課後、神坂君がボロボロになった教科書・ノートなどを抱えて歩いていたので声を掛けた。これが神坂君と初めて話をした瞬間だった。様子を見て察した通りクラスメイトからの嫌がらせで私物を破損させられたとのことだったので、第2音楽室用の準備室わたしのへやに彼の私物を置かせてあげることにした。

二之宮さんの不審な証言のことがあったし、神坂君は芸術選択科目で音楽を取っていないため接点がなかったので人柄もわからなかったから最初のうちは警戒していたけど、話す内にすごく魅力的な生徒だということがわかったし、二之宮さんの言っていたことはほとんど事実で、鷺ノ宮君が自分よりも人気者の神坂君を陥れるために弱みを握っている二之宮さんに無理やり被害者役をやらせたらしいということを知った。

鷺ノ宮君は音楽の授業を取っていたので知っていて常に明るく振る舞うクラスの中心にいる好青年という印象だったけど、裏では悪いことをしているようで残念な思いをした。

それにしても神坂君はすごくて、どこからか鷺ノ宮君が悪いことをしている映像を入手していて、影で同級生や後輩に暴力を振るったり脅迫している証拠を手に入れていた。見せてもらった動画はほんの一部らしく、神坂君が言うにはわたしには見せられない程ひどいものもあるとのことだった。その中に二之宮さんが逆らえなかった理由もあるのだろうと察せたけど、真実を知るのが怖かったのもあり目を背けてしまい深く聞くことができずにいた。

神坂君は鷺ノ宮君に対しては憎悪の感情をむき出しにしていたのだけど、それ以外については穏やかで陽だまりのような人柄を感じさせたし、わたしに対しては全力で好意を向けてくれて嬉しくもあり恥ずかしくもあった。

プライベートが充実していない日々の中で神坂君と会話するふたりだけの時がもっとも癒され心安まる時間だった。わたしが高校生の時に神坂君が同じ学校にいたらお付き合いしたいと思ったに違いないと思う。
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