共鳴の彼方

月柳ふう

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第六章 悪夢

混濁

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 知紘の意識は波のように揺れ、薄暗い部屋の中にぼんやりとした映像が浮かび上がっていた。アメトリンの実験台に縛り付けられ、頭の中に過去の記憶が渦巻く。だが、それは現世のものではない――千光として生きていた前世の記憶だ。千影と共に誘拐されたあの日の出来事が、鮮明に蘇る。

「千影……」

 声にならない呟きが唇を震わせる。記憶の中で、冷たい海に飲み込まれ、暗い水の底へと沈んでいく。水が身体を包み込み、冷たさが恐怖となって全身を突き刺す。千影と離れ離れになる、その恐怖が胸を締め付ける。

 海底の暗闇が目の前に広がり、千影の笑顔が、水面に浮かんだ泡のように消えていく。

『見つける……必ず見つける。生まれ変わっても、お前を見つける』

 強い祈りが心の中に湧き上がる。どんなに遠く離れても、千影を見つけ出す――それだけが、自分を支える力だった。だが、過去の記憶が次々と押し寄せ、現実との境界がぼやけていく。記憶の波に呑まれ、現世の思い出も溶け込んでしまいそうだった。

「やめろ……やめてくれ……」

 知紘の視界にぼんやりと、男の不気味な影が浮かぶ。

「ふん、アメトリンの反応が悪いな……こうなるとは思わなかった。次はこれを試すか」

 腕にチクリとした痛みが走る。何かが注射された。目の前の男が耳元で低く囁く。

「薬を打ったよ。これで気分が良くなる……さぁ、自分を曝け出して、アメトリンの本当の力を見せてみろ」

 その言葉の後、徐々に体が熱を帯び、感覚が研ぎ澄まされていく。

「……あぁ……」

 理性が崩れ去り、感情が溢れ出す。精神が崩壊寸前にまで追い詰められた瞬間、千影の顔が頭に浮かぶ。

「千影が欲しい……欲しい……」

 千影との思い出が、理性の最後の糸を繋ぎとめる。誕生日の夜に交わしたキス、アメトリンの謎を解き明かした時に抱きしめ合った感触。それだけが、今の自分を支える最後の砦だ。

「……千影」

 頬を涙が伝う。千影がいなければ、自分はもう壊れてしまっていただろう。彼が支えであり、彼がいれば、自分はまだ立っていられる。だが、呼びかけは虚しく、ただ空虚な声だけが響くだけだ。

「千影……!」

 その時、不意に、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 ――千影? それともただの幻?

 混乱した意識の中で、目の前に千影の姿がぼんやりと浮かび上がる。だが、それが現実なのか、それとも過去の幻影なのか、判断がつかない。

「知紘! しっかりしろ」

「千影……本当に?」

 手を握られた瞬間、体中に温かな感触が広がる。けれど、それは本物だろうか。それともまた幻なのだろうか?

 意識が揺れ動き、心の奥深くで焦燥感が募る。千影の存在だけが、心を繋ぎ止め、理性を保つ唯一の糸だ。だが、彼は本当にここにいるのか、それとも記憶の中で作り上げた幻影なのか。答えが見つからないまま、混乱は深まっていく。

「千影……助けて……」

 目の前の彼が本物であって欲しい――その思いだけが、胸を締め付ける。手を握り返し、心の中で叫ぶ。しかし、視界は揺らぎ続け、周囲の景色は霧の中へと消え去ろうとしていた。

「知紘、俺だ……千影だ」

「……本当に、千影?」

 その声は歪んで聞こえる。違う、これは千影じゃない。

「やだ、もう……やめて……くれ」

 知紘は、強く握られていた手を振り解いた。

「知紘!」

 違う……違う……これは千影じゃない。

 知紘は台の上から無理やり体を起こし、ふらつきながら立ち上がった。

「知紘、危ない!」

 誰かの手が体に触れたが、知紘は拒絶するように「触るな!」と叫んだ。腕を振り払い、壁伝いに歩き始めた。

「知紘、俺だ、千影だ……」

 千影が知紘の腕を強く掴み、力強く抱きしめてきた。

 知っている温もり……優しく髪を撫でる感触。

「……本当に、千影?」

「ああ、そうだ」

 その瞬間、周囲の暗闇が揺れ動き、知紘の心の中で何かが解き放たれる予感がした。心の中で渦巻いていた欲望が、千影の存在を強く求める。

「千影……」

 知紘は千影の頬をそっと両手で包み込み、そっと顔を近づけた。

「千影、早く逃げろ!」

 夏目先生の声が、まるで頭の中でこだましているかのように聞こえた。あの夜、暗闇に包まれた感触が急に蘇り、知紘は思わず頭を抱えて床に座り込んだ。

「知紘?」

「やだ……いやだ」

 知紘は首を何度も激しく振った。過去の記憶と現実が混ざり合い、夏目先生の声や手が体中を触っているかのような感覚に襲われ、胸の鼓動が早まり、息が詰まっていく。

 突然、体がふわりと浮き上がり、視界が揺れた。

「俺につかまってろ」

 知紘を横抱きにした千影が、何も言わずに走り出した。肩越しに夏目先生と櫂塚の怒鳴り声が聞こえたが、遠ざかっていく。

「遅くなって、すまない」

 千影の言葉に知紘は首を横に振るのが精一杯だった。目を閉じて彼の胸に顔を埋めると、早鐘を打つ鼓動が耳に心地よく響いた。

「助けに来てくれて……ありがとう」

 千影の存在が再び自分を救ってくれたことを感じながら、知紘はゆっくりと安堵の息を吐いて、目を閉じた。
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