共鳴の彼方

月柳ふう

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第二章 迷宮

クスノキ

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 遼と約束した通り、知紘の夢の中で起こった事件――誘拐事件――の手がかりを大学の図書館で探すことにした。

 「双子、子供、誘拐事件っと」

 遼がパソコンに検索語を入力しリターンを押す。

 検索結果が数百件と表示された。世界中でこんなにも事件が起きている。いまだに行方不明の子供たちだっているだろう。もし夢での出来事が事実なら、あの双子や家族の気持ちを知紘は考えた。

 「ごめん……ちょっと気分が……」
 
 「無理すんなって。続きは、明日にしよっか?」
 
 「大丈夫だから、続けて」

 遼から、夢で見た時の服装や大人の髪型なんか覚えてるかと聞かれ、できる限り思い出してみる。

 二人の専攻が犯罪捜査や心理学というのも幸いし、事件について情報を絞り込むことができた。ただ、誘拐事件の数はあるが、双子で絞ると結果は0件となった。

 事件がないということは嬉しいことだが、この時ばかりは手詰まりになり、遼も肩を落として落ち込んだ。

 「ダメだな、出ない……誘拐っていったら大事件だし、絶対ヒットすると思ったのに。それに被害者がし……」

 遼の言おうとしていたことが分かり、手首がジンと痛んだ。

 それに事件のことを思い出そうとすると、寒気がしてくる。それを察したのか遼が静かに肩をたたき、気持ちを落ち着かせてくれた。遼の手は暖かくて気持ちがやすらぐ。

 この気持ちは夢の中でも感じたことだ。そう、兄が抱きしめてくれたときや、手を繋いでいたときだ。
 
 「別の角度から探そう。例えば、幼稚園とか、住んでいた家とか。建物の外装や場所なんか。何か思い出せそう?」

 知紘は、記憶の奥を掘り起こそうとした。夢の中で見た場所を思い出そうとするが、曖昧なイメージしか浮かばない。ただ、幼稚園の遊具の色や、かすかに漂う花の香りが心の中に残っていた。

 「うーん、何かあったような気がするけど、思い出せない……」

 遼がキーボードを叩きながら、考え込んだ表情を浮かべている。彼はまるで真剣な探偵のように、画面の情報を見つめていた。

 「遊具……幼稚園の外装って、具体的にどんな風に思い出せる? 色とか、形とか、周りの景色とか?」

 知紘は目を閉じ、集中する。幼稚園の庭で遊んでいる子供たち、元気に遊び回る声、そして周囲の大きな木々。そういえば、木の下には何かがあったような気がする。その記憶が曖昧な中で、心がキュンと疼く。

 「そうだ! 幼稚園の庭に、大きなクスノキがあった。そこにベンチがあったような……」

 遼は目を輝かせ、画面を見つめ直す。

 「それだ! その場所を特定できれば、何か手がかりが見つかるかもしれない!」

 知紘は少しだけ希望が湧いてきた。夢の中で感じた不安が、少しずつ薄れていくようだった。二人は再び情報を絞り込むために、検索を続けた。心の中で、兄への思いが強くなる。

 「兄に会えたら、何を話そうか……」
 
 「知紘、なんだか嬉しそうだね」

 遼に揶揄われ、顔に熱が集まるのを感じた。

 「なに言ってんだよ!」

 頭が良くて、優しくて頼り甲斐のある兄は、憧れそのものだった。紫の瞳に見つめられると胸がドキドキするくらいに高鳴る。

 「見つけた! この幼稚園じゃね? うっ、ここって上流階級の子弟が行くとこじゃん?」

 パソコンの画面に表示された写真には、園庭の中に大きなクスノキと木の下に黄色いベンチがあった。しかも大学から程近く、時間的に今から訪ねて行っても間に合いそうだった。

 「行こう、遼。今すぐ行こう!」

 知紘の心の中に急激な期待感が湧き上がった。胸が高鳴り、幼稚園に向かう道すがら、夢の中の出来事が頭の中を駆け巡る。隠れんぼした時の兄の笑顔、優しい手の温もりが鮮明に思い出される。けれども、その反面、夢の中の不安も消えない。

 「でも、もし何も見つからなかったら……」

 心のどこかで不安が広がる。遼がその不安を察したのか、知紘の肩に手を置いた。

 「大丈夫だよ、知紘。何か見つかるさ。二人でいるんだから」

 その言葉に少しだけ安心感を覚えながら、知紘は頷いた。

 「うん、ありがとう。遼と一緒なら、何があっても大丈夫だよ」

 幼稚園に到着すると、思い出の場所が目の前に広がった。大きなクスノキが、まるで知紘を歓迎しているかのように、その枝を大きく広げている。知紘は思わず息を呑んだ。まるで夢の中の情景が現実になったかのような、不思議な感覚に包まれた。

 「本当にここが存在するなんて……」

 知紘は、夢の中で見たクスノキの前に立ち尽くしていた。風が吹くと、木の枝がかすかに揺れ、その音がまるで夢の中のささやきを思い出させる。足元に目をやると、黄色いベンチが実際に存在している。かつては兄と一緒に座ったはずだ、そう強く感じるのだが、記憶はもどかしいほど曖昧だ。

 「知紘、大丈夫か?」遼が優しく声をかけてくれる。

 「うん、大丈夫……ただ、全部が……あまりにも夢と似すぎてて……」

 知紘の声は震えていた。現実が夢に飲み込まれていくような感覚が胸を締めつける。遼の温かい手が再び自分の手を包み込むと、その震えは少しだけ和らいだ。

 「ここで、兄と一緒に遊んだんだ……」

 知紘は目を閉じ、過去の記憶を辿る。

 だがその瞬間、頭の中に閃光のように走った別の映像――手を繋いで歩いていたはずの兄が、突然何かに引き離されるような映像が一瞬浮かんだ。心臓が凍りつくような恐怖に襲われ、その場に立ちすくむ。

 「知紘!」

 遼が慌てて知紘を支える。

 「兄が……何かに……」

 自分の曖昧な記憶は、再び混乱と共に霧の中へと消えていった。

 クスノキの前で立ちすくんでいると、背後から低い声が聞こえた。振り向くと、制服を着た年老いた警備員が鋭い目つきでこちらを見ていた。

 「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ! まったく、最近の若い者は礼儀がなっとらん」

 知紘の心臓が跳ね上がった。急に声をかけられ、胸を締めつけられるような感覚が知紘を襲った。

 「どうも、すみません!」

 すかさず遼が冷静に大学の実習の一環だと説明し始めた。知紘はその後ろに立ち、なんとか落ち着こうとするが、手のひらに冷や汗がにじむのを感じた。学生証を見せた遼に対し、警備員はしばらく怪しげな表情で二人を見比べた後、何も言わずにその場を去った。

 詰所に戻ってどこかへ電話をかけている様子が、遠くから聞こえてきた。その電話の内容が何か、知紘は気になって仕方がなかった。心の中で「園長先生」という言葉が響き、何か重要な情報が得られるかもしれないという期待と、同時に不安が混ざり合う。

 数分後、再び現れた警備員は、「園長先生が来るから、ここで待ちなさい」と告げた。

 遼と知紘が待っていると、園長先生と思しき人物が近づいてきた。品の良い感じのご婦人で、にこやかな表情はこちらの緊張した気持ちを和らげてくれた。

 「警備員の山田さんがおっしゃっていた学生さんですね。園長の一ノ瀬と申します。ようこそ、楠幼稚園へお越しくださいました」

 丁寧にお辞儀をする園長先生につられて二人もお辞儀した。実習の一環だと信じてくれたことに罪悪感を感じながら、簡単に自己紹介をして、実習の狙いとやらを説明した。

「矢島さんと影山さんは、犯罪心理学を学んでいらっしゃるんですね。それで特に子供の行動について詳しくお知りになりたい、ということで良いでしょうか?」

 「はい。あと可能であれば、双子という括りでもお願いできますでしょうか?」

 さりげない遼に対して、園長の顔色が少し曇ったように見えた。

 「双子……ですか」

 「こちらの園は設立も長いですし、園長先生でしたら、ご経験も豊かだと思ったので。もちろん無理にとは言いませんので、差し支えない範囲で教えていただければ、今後の勉学にも役立つので助かります」

 こんな時の遼は、弁が立つというか、驚かされる。ほぼ突撃で訪問したにも関わらず、幼稚園が古くからあるのを知っているなんて関心するばかりだ。

 「そうですねぁ……」

 園長はしばらくクスノキを見つめていた。『ちひろ……』と静かに声を落としながら、遠い記憶をたどるように話し始めた。

 「影山さん、でしたっけ?」

 「あ、はい」

 「えっと……、下のお名前……」

 「……知紘です」

 「『ちひろ……』。あなたと同じ名前の子がいました。その子には双子の兄がいて、いまでもはっきり覚えています」

 「えっ……」

 「苗字は申せませんが、あるお家柄のご子息で……」

 いきなり核心をつく話に、知紘は眩暈を感じはじめていた。

 園長の話によると、双子は一卵性双生児で、瞳の色が違う以外は、見た目はほぼ同じ。ただ性格が正反対だったそうだ。兄は大人しくて、園の部屋でいつも本を読むタイプ。弟のほうは活発で、友達と園庭で遊ぶのが大好きだということ。

 性格は反対でもいつも一緒にいる仲の良い兄弟だったと教えてくれた。そして知紘が夢で見た隠れん坊のエピソードを園長が話し終えた瞬間、胸の中に広がる期待と不安が一気に襲い、知紘の視界がぼやけた。気づけば、体が重く、意識が遠のいていった……。

 知紘が目を覚ますと、そこは薬品の匂いが充満していた。病院? かと思ったが、すぐに園長先生と遼の話し声が聞こえ、幼稚園の保健室にいると気がついた。体を起こしていると、カーテンが開け放たれ、「知紘、気分は?」と遼が聞いてきた。

 「もう大丈夫。ごめん」

 倒れてしまった自分に情けないのと、このまま話を進めるのは悪いと思い、園長先生に事情を説明して、遼と幼稚園を後にした。別れ際「お勉学の為になるのであれば、いつでも来てくださいね」と申し出てくれた。嘘をついていたことに胸が痛む。笑顔で見送ってくれる園長先生に対して、思わず目を逸らしてしまった。

 帰り道、自分が寝ている間に遼が園長先生と話した内容について聞かせてくれた。

 「何度か双子の名前や苗字について、聞いたんだけど、教えてもらえなかった。ただ、知紘と同じ読みの「ちひろ」っていう子については、園長先生は感極まったのか、涙を流しちゃってさ。はっきり口にしなかったけど、ある事件に巻き込まれて命を落とした……っていうニュアンスだったなぁ」

 ある事件……やはり誘拐事件か。

 「でもこれで知紘の前世が、その『ちひろ』って子のに間違いないな。名前の読みが一緒っていうのも、なにか因縁めいてるし。マジすげえよ」

 たしかに遼の言う通りだ。「ちひろ」と言う名前が偶然とは言い切れない。よほど未練があるんだろうか。兄に謝りたい一心で生まれ変わった……か。前世の『ちひろ』のように、今の自分にはそれほどの想い、みたいのはあるのだろうか。

 「そうだ! あと、双子のご両親は非常に尊敬される方で、特に父親は……大きな正義を貫いた……とかなんとか言ってた」

 大きな正義? なんのことだろう。

 「それで知紘。俺考えたんだけど、やっぱり、お兄さんの名前覚えてないの? あと家族の、苗字とかさ」

  「……んー……あんま記憶ないんだよね。幼稚園児ってそんなもんだろ?」

  「でも……兄ちゃんのこと大好き、だったんだろ?」

 大好き、と言われて徐々に顔に熱が集まってくるのを感じた。動揺したのがバレたのか、「知紘、顔真っ赤」とまたしても遼にからかわれた。それでなくても兄の名前を思い出したくても集中できない。遼のことは無視して、なんとか思い出したのは、『ちか』と言う単語だけだった。

『ちか』と小声でつぶやくと、幼い頃の兄の優しい笑顔が頭に浮かんだ。彼の紫色の瞳はいつも穏やかで、どんなときも自分を包み込んでくれるようだった。

 「えっ? ちか?」

  「うん、兄のことを『ちか』って呼んでたような……」

  「『ちか』……女の子だったらありだと思うけど、男だよな。それとも愛称とか、あだ名とかかな? ちなみにどんな漢字……って聞いても無駄だよな」

  「……悪い」

  「でも幼稚園が見つかったんだから、他にも手がかり見つかるよ」

 遼が笑顔を向けてきたが、知紘は「そうだね……」と力なく答えた。それでも親友の言葉に少しずつ希望が芽生え始めていた。
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