ポットのためのもう一杯

五条葵

文字の大きさ
4 / 26
本編

しおりを挟む
「シンシアさんはお店の方へ来たことはなかったな」

 お茶会が当たり前の日常となってきたある日、トーマスが突然シンシアに話しかける。夫から妻に話題をふることはあまり多くないので一瞬驚くシンシアだがすぐに平静を取り戻す。

「はい、まずは屋敷のことを覚えないと、と思いまして。でもずっと訪問していないのは不義理でしたよね。ごめんなさい」

 そう言って顔を伏せるシンシアにトーマスはそうではない、とやや慌てた素振りを見せる。

「いや、言ってもシンシアさんがこちらに来て一月も経っていないのだから問題ない。ただ、そろそろお店を案内しても良いかと思っただけで」

 実際、トーマスの妻がお店に来なかったとして残念がる者はいても不義理だと怒る者は一人もいないはずだ。そもそも今でも女性は商売に関わるべきでない、という意見も根強いし(ブラッドリー商会は女性の従業員も雇っているし、トーマス自身紅茶のような女性の消費が多い商品はむしろ女性の目線が大切だと感じているからその限りではないが)トーマスの妻が、古くからある田舎町出身だということも知られているから、商売の場である店を訪れなかったとしても不思議には思わないはずだ。

 ただトーマスが彼女を案内しようと思った理由は、屋敷の中しかない彼女の世界を広げたかったのと、そして、これまでのお茶会で彼女のお茶の知識の深さを知るに連れ、商会の仕事についてもっと詳しく説明するべきだと感じたからである。

 一方懸念材料がとれたシンシアはホッとした顔からさらに嬉しそうな顔に変わる。

 実を言うと国一番のブランドと言われるブラッドリーズの商品を一同に集め、更に最新の商品も揃えるというブラッドリー商会の本店にはとても興味があった。ただ、これまでリーンの街を出たことがなかったシンシアは勿論本店に行ったこともないし、結婚した後も果たして本店を訪れたいと言っていよいものか測りかねていたのだ。リーンでは仕事場は男の場所だと言われていたし、街の店を尋ねる、というのは男性のエスコートなしでは難しかった。そもそも商品は屋敷にやって来る商人から買うことが基本で、近年こそデートで街の店を尋ねるということがトレンドになってきたが、それすら年配の人は庶民じゃあるまいし、と眉を潜めるのだ。

 そんなわけでトーマスの提案が願ったり叶ったりだったシンシアは満面の笑みを浮かべる。

「安心しましたわ。それにとっても嬉しいです。ありがとうございます」

 笑顔で礼を言うシンシアに微笑んだトーマスは、自分の体が空く日はいつだろうか?と机の上の手帳に手を伸ばした。



 それから数日後。シンシアはトーマスにエスコートされ通りを歩いていた。ブラッドリー商会の本店までは歩ける距離だが馬車を出しても良い、という夫にシンシアはぜひ歩いて行きたいと言った。リーンでは街歩きなどしたことがないのだ。

 夫のエスコートを受けつつ、石畳の道、規則正しく植えられた街路樹、そしてひっきりなしに行き交う馬車、と見るもの全てに興味を示し興奮する妻に、年相応の少女らしさを感じて微笑ましく見守りつつ、ともすると石畳の段差でつまずきかねない妻をトーマスは引き寄せる。その仕草にはしゃぎすぎたことに気付いたのかシンシアはバツの悪そうな顔をした。

「あ、ごめんなさい。初めての外出だからって興奮しすぎですわよね。もっと若奥様らしくしますわ」

「別に構わない。これだけ人がいれば注目もされないし、ただ転ばないようにだけしてくれれば」

「気をつけますわ。そうだ、あとドレスもありがとうございます。必要とは言え、あんなにたくさん用意してくださるなんて」

「シンシアさんの言う通り必要経費だから気にすることはない。それに私はミセスローデルにシンシアさんが困らないようにドレスを用意して欲しいと頼んだに過ぎない」

 実際トーマスの言う通り、結婚するとは言え、妻に興味などなかった彼は、ドレスの用意を、それどころか調度品の選定から、部屋の支度まですべて使用人たちに丸投げしていた。もちろん彼らはトーマスの期待に答えてくれていたが、トーマス自身はシンシアがどんなドレスを持っているか全く知らない。なので感謝されると少々罪悪感が湧いた。

 シンシアの素直な言葉を持て余すトーマスだったが幸い程なくがブラッドリー商会の本店に着いたことでこの話も打ち切りとなった。

 トーマスに腕を引かれてレンガ積みの階段をのぼると、サッとドアが開く。シンシアはドアが開くと同時に漂ってきた幾重にお重なった重層的なお茶の香りを吸い込んだ。開店前の店では、すでに多くの従業員たちが開店の準備を進めていた。

 ドアが空いたことで入り口に視線を向けた彼らはトーマスの姿を認めると礼を取る。普段は商会の事務所に直接入ることが多いトーマスがこの時間に来たことで驚く彼らだが、更に彼等を驚かせるのは、トーマスがエスコートする女性の存在だ。結婚式に出席した幹部伝いにシンシアの人となりを聞いていた彼等は、その女性が、ブラッドリー家の若奥様であることはわかったが、それでも噂にしか聞かない彼女の突然の登場にやや戸惑っている様子である。

 従業員たちの視線からやや隠すように半歩前へ進んだトーマスは彼等に声をかける。

「突然訪れて済まない。ちょうど機会があったから紹介しておこうと思って。妻のシンシアだ。皆も知っているだろうレイクトン氏の娘さんだ」

「シンシアですわ。どうぞよろしく」

 そう言って、膝を折る彼女に従業員たちも一斉に礼を返す。彼等が姿勢を戻したのを見てトーマスはパンパンと手を叩いた。

「さて、仕事を中断させて悪かった。皆仕事にもどってくれ。そうだ、ブライトとベリルは少し残ってくれ。あと誰か事務所へ行ってロブソンを呼んできてくれるか」

 その声に二人に注目していた従業員たちが一斉に動き始める。あまり注目される、ということに慣れていないシンシアは少しホッとして息を吐いた。

 程なくすると、執事のブラウンより更に壮年の男性とそれよりは若いがトーマスよりは少し年上らしき男性がトーマスとシンシアの元へと近づく。トーマスがそんな彼等を紹介した。

「彼等が支配人のブライトと副支配人のベリル。ブライトは両親の代から幹部として働いてくれている古参で、ベリルは最近副支配人にだったのだが優秀な人物だ。あと彼はロブソンといって、商会で私の秘書のようなことをしてくれている。今後商会に出入りするときはまず彼らを頼ると良い」

「まぁ、改めまして、ロブソンさんははじめましてですわね。リーンから嫁いでまいりましたシンシアですわ。よろしくどうぞ」

 そう言って礼をとるシンシアに代表してブライトが挨拶する。

「支配人のブライトです。旦那様がようやくご結婚なさると聞いて従業員一同非常に喜んでおります。私かベリルは必ず店におりますからなにか御用がありましたらいつでもお申し付けください。さて、旦那様。今日は店を案内するとのことでしたが、私がご案内いたしますか?」

 最後はトーマスに向けた言葉に彼は首を振る

「いや、今日は急ぎの仕事もないし私が案内しようと思う。三人とも仕事の手を止めて悪かった。また何かあったら呼ぶよ。シンシアはこちらへ」

 そう言ってシンシアの手を引きトーマスは店の奥へと進む。そんな二人の様子に今までのトーマスの恋人とは違う雰囲気を感じた三人は顔を見合わせ微笑んだ。

 そんな三人を始め従業員たちに見守られつつ、トーマスはシンシアに店の商品を紹介していく。

 店のある場所は、ローグスでも上流や中上流の屋敷が集まる一角からすぐ。周囲にはライセルを代表する商会が軒を連ねる。そんな通りに構えるここは、静かで落ち着いた空間に各地から輸入した茶葉や、それをブレンドした商品、さらにはカップやポット、スプーンといった道具類から、ちょっとしたお菓子までお茶にかかわるものが並んでいる。

 トーマスが紹介する品々を興味深そうに眺め、ときに手にとって見ていたシンシアはふと顔を上げた先にあるものに「まぁ」っと声を上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

私が素直になったとき……君の甘過ぎる溺愛が止まらない

朝陽七彩
恋愛
十五年ぶりに君に再開して。 止まっていた時が。 再び、動き出す―――。 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦* 衣川遥稀(いがわ はるき) 好きな人に素直になることができない 松尾聖志(まつお さとし) イケメンで人気者 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

姉妹のお相手はわたくしが見つけますわ ー いき遅れ3姉妹の場合

葉月ゆな
恋愛
「フェリシアが結婚して、フェリシアの子供が侯爵家を継げばいい」 女侯爵である姉が言い出した。 3姉妹が10代のころに両親がなくなり侯爵家の建て直しで、この国では行き遅れと呼ばれる部類に入っているシャルロッテ(長女)、フェリシア(次女)、ジャクリーン(三女)の美人三姉妹。 今日まで3人で頑張って侯爵家を建て直し、落ち着いたからそろそろ後継者をと、フェリシアが姉に結婚を薦めれば、そんな言葉が返ってきた。 姉は女侯爵で貿易で財を成している侯爵家の海軍を取り仕切る男装の麗人。 妹は商会を切り盛りする才女。 次女本人は、家内の采配しかできない凡人だと思っている。 しかしフェリシアは姉妹をけなされると、心の中で相手に対して毒舌を吐きながら撃退する手腕は、社交界では有名な存在だ(本人知らず)。 なのに自慢の姉妹は結婚に興味がないので、フェリシアは姉妹の相手を本気で探そうと、社交に力を入れ出す。 フェリシアは心の中で何か思っているときは「私」、人と喋るときは「わたくし」になるのでご注意を。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...