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2巻
2-2
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2 白狼と狼獣人
僕らは雪山の洞窟で寄り添いながら朝を迎えた。
入り口の隙間から外を覗き込む。吹雪はやんでいなさそうだ。多少弱まったようにも見えるが、冷たい風が吹き続けている。
「どうしましょう。もう少し待ってみますか?」
僕はホロウに頷いてみせた。
「そうだね、弱まるまで待ってみようか。これじゃ視界が悪くて進めないだろうし」
現在の時刻は朝の六時半。
太陽が昇ったばかりで、日没までは時間が残されている。
体の震えは止まっているし、焦る必要もない。僕らは暖を取りながら、吹雪が弱まるまで待った。
二時間後――
目論見通り吹雪が弱まってきた。
まだ多少は雪が舞っているけど、もう吹雪とは呼べないくらいだ。
視界も良好で、これなら方向を見失わずに進める。そう判断した僕たちは、腰を上げて外へ出た。ユノは引き続き僕がおぶっている。
「うぅ……やっぱり外は一段と寒いね」
慣れたといえど、洞窟の外は依然として耐え難い寒さだった。
ユノをおぶっているおかげで背中は多少マシだけど、露出している頬は今にも凍ってしまいそうだ。
「案内頼むよ、ホロウ」
「はい、お任せください」
僕はホロウの先導に従って山道を進む。
昨日の吹雪で新しく積もった雪は軽くて柔らかい。
足を一歩踏み出すたびにズボッと沈むから、とても歩きにくい。
これだけでも十分に体力が削られる。そんな道をスイスイと歩いていくホロウを見て、感心しながら僕は言う。
「昨日もそうだったけど、すごいよね、ホロウは。疲れないの?」
「すごくなんかないですよ。このくらいの雪なら私の一族は、子供でも走り回れちゃいますからね」
「走り回るか……ホロウもそうだったの?」
「はい。こう見えて私、狩りも得意なんですよ?」
「そうなの? というか、こんな雪山に生き物がいるのかい?」
「もちろんいますよ。雪兎に熊、狸とか鹿もいましたよ」
「熊は結構危険そうだな。一人で狩ってたの?」
「まさか。熊を狩るときは一人じゃなかったですよ。他の皆もいたし、それから――」
そのとき、視線を感じた僕らは立ち止まった。
話しながらで今まで気付かなかったけど、吹雪はすっかりやんでいる。
道もまっさらな雪道から、岩や倒木がゴロゴロしているような悪路になっていた。その岩陰から、複数の生き物の気配を感じる。
「ホロウ」
「はい」
僕とホロウは身を寄せ合い、視線を感じるほうを見つめながら数歩後ずさる。
この気配は人じゃない。
野生動物か……もしくは魔物か。
敵意は今のところ感じないけど、警戒はしているみたいだ。岩陰から僕らを観察しているらしい。場所は大体把握できているけど、姿までは確認できないな。
さて、どうする? まだ襲ってはこないけど、もし魔物だったら戦いになる。ユノをおぶって、ホロウを守りながら戦えるか。いいや、やれるやれないは問題じゃない。僕はごくりと息を呑む。
そして――岩陰から隠れていた彼らが顔を出した。
雪景色に同化するほど真っ白な毛並みと、鋭い牙を持った獣。一匹、二匹、三匹……どんどん数を増やしていく。
「あれは――狼?」
現れた白い狼たちは、ちょうど十匹。
魔物ではなかったようだ……と、安心してる場合でもない。
狼は人を襲う獣の一種だ。
僕らを獲物と認識しているのなら、今にも襲ってくるかもしれない。彼らは一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。僕は警戒を強める。
「ホロウ、僕の後ろに隠れるんだ」
「待ってください! あれは……」
ホロウは目を凝らして一匹の狼を見つめた。
僕には何を確認しているかわからないけど、視線の先は一番前にいる狼だ。ホロウはしばらく眺めた後、はっと何かに気付いたような反応を見せる。
「もしかして!」
「ホロウ!?」
彼女は僕の前に出て、無防備に狼に近づいていく。
「危ないよ!」
「大丈夫です」
引き止めようとした僕に、ホロウはそう応えた。いざというときのために変換魔法を準備していたけど……
ホロウが近づくと、一匹の狼が進み出て、優しい声で鳴きながら擦り寄った。
「やっぱり……お前だったんだね、ラビ」
「クゥ~ン」
ホロウと狼の様子に、僕は困惑する。
「えっ……えぇ? どういうこと?」
「安心してください、ウィル様。この子は野生の白狼じゃないです」
白狼というのがこの狼の種類らしい。
しかし、野生でないというのは?
「えっと、簡単に説明させていただくと、この子たちは私の故郷で一緒に暮らしている仲間なんですよ」
ホロウによると、彼女の故郷では、白狼を狩猟のパートナーとして飼いならしているらしい。
僕らの前に現れたのもその一部で、ホロウにじゃれているのがラビという名前のようだ。ラビはホロウが幼い頃に生まれた白狼で、彼女が故郷を出るまではずっと一緒にいたという。
「でも、どうしてここに?」
「おそらく見回りの最中だったんだと思います。もう村が近いですからね」
「そうだったのか!」
話に夢中になっていて、自分がどのくらい歩いていたのか気付いていなかった。
ホロウはラビに優しく話しかける。
「久しぶりだね、ラビ。ずっと会いたかったよ」
ラビの顔に頬ずりするホロウ。
ラビも嬉しそうに尻尾を振っている。
微笑ましい光景に、寒い外気に反して温かさを感じた。
僕らはラビと一緒に、彼らがやってきた道を行く。
この頃には天気もすっかり良くなり、空には太陽が見えるようになっていた。岩と岩の間を抜け、固く踏み込まれた雪道を進む。
そしてついに――
「ウィル様、ここが私の故郷――ウェスト村です」
ホロウが右手を村のほうに掲げて紹介するように言った。
漆を塗ったような黒い柵に囲まれ、赤茶色の木造建築が立ち並ぶ。
真っ白な雪景色ばかり見続けたせいもあって、建物や柵の色がより濃く見える。
ラビが帰還を知らせるように吼えた。
すると、建物の中からゾロゾロと人影が現れた。ホロウと同じ灰色の髪をした狼人の男性や女性、子供や老人。
彼らは、僕らの存在に気付いて目を見開いた。
「……ホロウ? ホロウなのか?」
「おじさん!」
一人の男性が驚いたようにホロウの名を口にした。ホロウも彼を見つけ、声を上げる。
男性はホロウの隣に立つ僕の存在にも気付いたみたいだ。
「あなたは……」
「初めまして。僕はウィリアム、見ての通り人間です」
「人間……」
「突然で恐縮なのですが、少し僕の話を聞いてはもらえないでしょうか?」
男は険しい表情を見せた。
人間という単語に反応したのがよくわかる。
こんな人里離れた雪山に住んでいるのは、過去に人間と大きく揉めたからではないか。
そういう予想もしてはいたけど、この反応を見る限り、当たっていたらしい。
僕は隣にいるホロウへ視線を向け、その表情を確認して息を呑む。
「ひとまず中へどうぞ。まずは暖まってください」
「ありがとうございます」
男性は僕らを警戒しつつも、室内へ案内してくれた。部屋へ一歩入った瞬間に、外との違いを実感する。
「暖かい……こんなに違うものなのか」
「木が特別なんですよ、ウィル様」
「木? この赤茶色の木のこと?」
確かにこんな色をした木は見たことがない。
「レッドウッドという木です。ここからふもとへ下っていくとたくさん生えていますよ」
「レッドウッド……やっぱり聞いたことないな」
「すごい木なんですよ。とっても頑丈だし、保温作用もあるんです」
保温作用?
そうか、だから床がこんなにも暖かいのか。
暖炉の温もりが部屋の中に広がって、天井や壁がそれを閉じ込めている。この部屋の中なら、コートもいらないんじゃないかな。
「こちらへおかけください」
僕らは案内された椅子に腰かける。
若い狼人が人数分の温かい飲み物を持ってきてくれた。
ユノはまだ起きないけど、この環境ならしばらくすれば目覚めるだろう。ユノには僕らが村民と話をしている間、ベッドで横になってもらうことにした。
全員が落ち着くと、最初に先ほどの男性が口を開いた。
「本当に……ホロウなんだね?」
「はい」
「そうか、そうか……またこうして会える日が来るとはなぁ」
彼はしんみりと言った。彼女が村を出てからの三年間を、じっくり感じているようだった。
「また会えて嬉しいよ」
「私もです。セレクおじさん」
ホロウによれば、彼はこの村を治めている村長さんで、ホロウの育ての親らしい。
ホロウは今日までの経緯を彼に話した。
セレクはそれを時に悲しそうな表情を浮かべ、時に嬉しそうに微笑みながら聞いていた。
「大変だったんだね。だが、こうして元気な姿を見られて良かったよ」
「うん。それも全部、ウィル様のおかげなんだよ」
ホロウが僕に視線を送る。
それを追うように、セレクが僕に目を向ける。
「ウィリアムさん……でしたね。ホロウを助けていただき、ありがとうございました」
「頭を上げてください。僕はただ好きでやっているだけですから」
「そう言えるあなたは、とても優しい心の持ち主なのでしょうね」
セレクが頭を上げ、僕と視線を合わせる。
ああ、良かった。最初は警戒されていたようだけど、ホロウと話したおかげか、その警戒心もなくなっている。
セレクの目がとても穏やかになった。
「それでお話というのは?」
「はい。少し長くなりますが、聞いていただけますか? 僕の目指す街について」
それから僕は、亜人と人間が共生する街を造るという理想を語った。それが冗談でもなんでもなく、本気だということを強調しながら。
セレクは驚く様子もなく、なぜか納得したような表情で聞いていた。僕が全て話し終えると、彼はこう口にする。
「やはりあなたは特別な人間のようですね。そんな理想は、我々でも考えたことがありませんでした」
彼らはかつて、暮らしていた集落を人間に奪われた経験があるそうだ。
それ以来、数十年にわたってこんな雪山の厳しい寒さに耐えながら生活している。人間を恨む気持ちがあるのだと申し訳なさそうに口にするセレクに、僕はそれでも言う。
「僕の理想は、絵空事に聞こえるかもしれません。だけど必ず実現させてみせます。どうか……皆さんにもご協力していただけないでしょうか?」
「もちろんですよ。あなたの理想が叶うなら、我々にとっても最高の環境になる」
セレクはあっさりと了承した。
あまりに簡単に返答するから、僕のほうが驚いてしまった。
「我々も、好きでこんな場所で暮らしているわけではありませんからね。皆にとっても良い話だと思います」
簡単に口にしたようで、色々な葛藤があるのだろう。セレクの声音からは迷いを振り払うような決意が感じられた。
村を率いる長として、最善の行動はなんなのか。
それを考えての決断だったのかもしれない。ならば僕は、その決断が正しかったと思えるように、精一杯の努力をするべきだろう。
3 青憐華
セレクの承諾は得たものの、眠っているユノは依然目を覚まさない。
寒さにさらされていた時間が長かったせいだろう。
もしかすると夕方くらいまで目覚めないかもしれないな。
そういうわけで屋敷へ戻れない僕らは、雪山での暮らしについてセレクから教えてもらうことにした。
これから僕の領地も寒くなるし、色々聞いておいて損はないだろう。
「食料はどうしているんですか? 狩猟だけじゃ限界があると思うんですが」
「その通りです。ここは極寒の地ですから、生息している動物にも限りがありますし、狩りつくすわけにはいきませんからね。さすがに魔物は食べられませんし」
「やっぱり魔物もいるんですね……ここは襲われたりしないんですか?」
「今のところはありませんね。村を囲っている柵は見てもらえましたか? あれが魔物避けになっているんですよ」
柵に塗られていたのは漆だという。
ただ、漆に魔物避けの効果があるのではなく、この地域の魔物は漆黒という色を嫌うらしい。しかし、理由は定かではないそうだ。
それでも、とセレクは続ける。
「さすがにドラゴンには通じないと思いますが」
「ドラゴン!? この辺りにはドラゴンがいるんですか?」
「はい。もっと山頂付近に行けば、氷を司るドラゴンが生息しています」
ドラゴン――現存する魔物の中でも最上位に位置する化け物。
僕も資料でしか見たことがないけど、ワイバーンとは比較にならないくらい大きくて、一匹で王都を壊滅させられる個体もいるという。恐ろしいと感じる一方で、一度で良いからこの目で見てみたいとも思っていた。
「おっと、話がだいぶそれてしまいましたね。食料について、でしたか?」
「あっ、はい。そうですね。狩猟が駄目なら、どうしているのかと」
「畑で野菜も栽培していますよ」
「野菜? こんなに寒くても育つんですか?」
「ええ、野菜にも色々種類がありますから」
白菜、キャベツ、ネギ、ホウレンソウなど。強烈な寒さにも耐えうる野菜を選んで栽培しているらしい。
ラインナップだけ見ると、よく鍋で活躍する野菜ばかりだ。
なるほど、それなら僕らの畑でも同じようなものを栽培していこうかな。そうすれば現在育てているものとあわせて、一年を通して色んな野菜を収穫できるし。
「あとで畑を見せてもらえませんか?」
「もちろん構いませんよ。よければ、収穫したものを一緒にそちらへ持っていきます」
「助かります」
きっとソラたちが喜ぶぞ。料理の幅が広がるってね。
そんな話をしていると、奥の部屋から足音が聞こえてくる。
扉が開いて姿を見せたのは、寝起きのユノだった。
僕は目をこすりながら歩いてくるユノに声をかける。
「おはよう、ユノ。珍しく寝ぼすけだったね」
「うむ……おは……よう?」
どうやらまだ寝ぼけているらしいユノは、僕の隣に座った。僕らはうとうとしている彼女がちゃんと目覚めるまで待つことに。
「本当にスマンかった……今回のワシは、完璧に足手纏いじゃったな」
徐々に意識がはっきりしてきた彼女の第一声は謝罪だった。とても申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「謝らないでよ。普段は君に頼りっきりだし、このくらいはおあいこだからさ」
「いや情けない……ワシともあろうものが、寒さ程度に負けてしまうとは……ホロウ、主にも迷惑をかけたな」
「迷惑だなんてそんな! ウィル様のおっしゃる通り、開拓ではユノさんに助けられてばかりでしたから、それに比べれば些細なことですよ」
「うぅ……そう励まされると逆に恥ずかしいのじゃぁ……」
頬を赤くするユノ。
ともかく、これでようやく帰れるな。
早速ユノに扉を生成してもらい、僕らは一旦屋敷へ戻ることにした。セレクたちの移動は、一週間ほど準備してから行うという話でまとまった。
「では行こ……っくしゅん!」
「大丈夫?」
「まだ寒気が少し残っているようじゃ……くしゅん!」
「風邪を引いてしまったのでは?」
「かもしれんな」
ホロウの質問にユノが鼻水を啜りながら答えた。
神祖でも風邪って引くんだ……と思いつつ、僕の頭にちょっとした疑問がふと浮かぶ。
「セレクさん、病気になったときはどうされているんですか?」
風邪に限らず、世の中には様々な病気が存在する。
軽いものなら魔法でなんとかできるけど、重い病気は難しい。
こんな山奥では、薬を買いに行くことはできない。
自分たちで調合するにも、この環境で素材採取は厳しいだろう。
「軽い風邪や疲労なら、ふもとまで下りれば薬草が生えていますから、それを採取して使うんです。もっと重い病気の場合は、これを使っています」
セレクは棚から小瓶を取り出した。
小瓶には美しい水色をした液体が入っている。
「これは?」
「いわゆる万能薬です。この山の山頂に、珍しい青い花があって、それを元に作ったものなんですよ。まだ数十本は残っていますが」
「そんなに? 珍しい花なのに?」
青い花というのは、そこまで大きな花なのだろうか。
僕はセレクに尋ねる。
「大きさは手のひらに載るくらいですよ。ですが一輪あれば、この万能薬が百本は作れますから」
一輪で百本も……それは中々お得なのでは? と思った僕は、セレクに重ねて質問した。
「ちなみに、最近は採取できましたか?」
「いいえ」
なるほど。これはどうやら、帰るにはまだ早いらしい。
僕らは雪山の洞窟で寄り添いながら朝を迎えた。
入り口の隙間から外を覗き込む。吹雪はやんでいなさそうだ。多少弱まったようにも見えるが、冷たい風が吹き続けている。
「どうしましょう。もう少し待ってみますか?」
僕はホロウに頷いてみせた。
「そうだね、弱まるまで待ってみようか。これじゃ視界が悪くて進めないだろうし」
現在の時刻は朝の六時半。
太陽が昇ったばかりで、日没までは時間が残されている。
体の震えは止まっているし、焦る必要もない。僕らは暖を取りながら、吹雪が弱まるまで待った。
二時間後――
目論見通り吹雪が弱まってきた。
まだ多少は雪が舞っているけど、もう吹雪とは呼べないくらいだ。
視界も良好で、これなら方向を見失わずに進める。そう判断した僕たちは、腰を上げて外へ出た。ユノは引き続き僕がおぶっている。
「うぅ……やっぱり外は一段と寒いね」
慣れたといえど、洞窟の外は依然として耐え難い寒さだった。
ユノをおぶっているおかげで背中は多少マシだけど、露出している頬は今にも凍ってしまいそうだ。
「案内頼むよ、ホロウ」
「はい、お任せください」
僕はホロウの先導に従って山道を進む。
昨日の吹雪で新しく積もった雪は軽くて柔らかい。
足を一歩踏み出すたびにズボッと沈むから、とても歩きにくい。
これだけでも十分に体力が削られる。そんな道をスイスイと歩いていくホロウを見て、感心しながら僕は言う。
「昨日もそうだったけど、すごいよね、ホロウは。疲れないの?」
「すごくなんかないですよ。このくらいの雪なら私の一族は、子供でも走り回れちゃいますからね」
「走り回るか……ホロウもそうだったの?」
「はい。こう見えて私、狩りも得意なんですよ?」
「そうなの? というか、こんな雪山に生き物がいるのかい?」
「もちろんいますよ。雪兎に熊、狸とか鹿もいましたよ」
「熊は結構危険そうだな。一人で狩ってたの?」
「まさか。熊を狩るときは一人じゃなかったですよ。他の皆もいたし、それから――」
そのとき、視線を感じた僕らは立ち止まった。
話しながらで今まで気付かなかったけど、吹雪はすっかりやんでいる。
道もまっさらな雪道から、岩や倒木がゴロゴロしているような悪路になっていた。その岩陰から、複数の生き物の気配を感じる。
「ホロウ」
「はい」
僕とホロウは身を寄せ合い、視線を感じるほうを見つめながら数歩後ずさる。
この気配は人じゃない。
野生動物か……もしくは魔物か。
敵意は今のところ感じないけど、警戒はしているみたいだ。岩陰から僕らを観察しているらしい。場所は大体把握できているけど、姿までは確認できないな。
さて、どうする? まだ襲ってはこないけど、もし魔物だったら戦いになる。ユノをおぶって、ホロウを守りながら戦えるか。いいや、やれるやれないは問題じゃない。僕はごくりと息を呑む。
そして――岩陰から隠れていた彼らが顔を出した。
雪景色に同化するほど真っ白な毛並みと、鋭い牙を持った獣。一匹、二匹、三匹……どんどん数を増やしていく。
「あれは――狼?」
現れた白い狼たちは、ちょうど十匹。
魔物ではなかったようだ……と、安心してる場合でもない。
狼は人を襲う獣の一種だ。
僕らを獲物と認識しているのなら、今にも襲ってくるかもしれない。彼らは一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。僕は警戒を強める。
「ホロウ、僕の後ろに隠れるんだ」
「待ってください! あれは……」
ホロウは目を凝らして一匹の狼を見つめた。
僕には何を確認しているかわからないけど、視線の先は一番前にいる狼だ。ホロウはしばらく眺めた後、はっと何かに気付いたような反応を見せる。
「もしかして!」
「ホロウ!?」
彼女は僕の前に出て、無防備に狼に近づいていく。
「危ないよ!」
「大丈夫です」
引き止めようとした僕に、ホロウはそう応えた。いざというときのために変換魔法を準備していたけど……
ホロウが近づくと、一匹の狼が進み出て、優しい声で鳴きながら擦り寄った。
「やっぱり……お前だったんだね、ラビ」
「クゥ~ン」
ホロウと狼の様子に、僕は困惑する。
「えっ……えぇ? どういうこと?」
「安心してください、ウィル様。この子は野生の白狼じゃないです」
白狼というのがこの狼の種類らしい。
しかし、野生でないというのは?
「えっと、簡単に説明させていただくと、この子たちは私の故郷で一緒に暮らしている仲間なんですよ」
ホロウによると、彼女の故郷では、白狼を狩猟のパートナーとして飼いならしているらしい。
僕らの前に現れたのもその一部で、ホロウにじゃれているのがラビという名前のようだ。ラビはホロウが幼い頃に生まれた白狼で、彼女が故郷を出るまではずっと一緒にいたという。
「でも、どうしてここに?」
「おそらく見回りの最中だったんだと思います。もう村が近いですからね」
「そうだったのか!」
話に夢中になっていて、自分がどのくらい歩いていたのか気付いていなかった。
ホロウはラビに優しく話しかける。
「久しぶりだね、ラビ。ずっと会いたかったよ」
ラビの顔に頬ずりするホロウ。
ラビも嬉しそうに尻尾を振っている。
微笑ましい光景に、寒い外気に反して温かさを感じた。
僕らはラビと一緒に、彼らがやってきた道を行く。
この頃には天気もすっかり良くなり、空には太陽が見えるようになっていた。岩と岩の間を抜け、固く踏み込まれた雪道を進む。
そしてついに――
「ウィル様、ここが私の故郷――ウェスト村です」
ホロウが右手を村のほうに掲げて紹介するように言った。
漆を塗ったような黒い柵に囲まれ、赤茶色の木造建築が立ち並ぶ。
真っ白な雪景色ばかり見続けたせいもあって、建物や柵の色がより濃く見える。
ラビが帰還を知らせるように吼えた。
すると、建物の中からゾロゾロと人影が現れた。ホロウと同じ灰色の髪をした狼人の男性や女性、子供や老人。
彼らは、僕らの存在に気付いて目を見開いた。
「……ホロウ? ホロウなのか?」
「おじさん!」
一人の男性が驚いたようにホロウの名を口にした。ホロウも彼を見つけ、声を上げる。
男性はホロウの隣に立つ僕の存在にも気付いたみたいだ。
「あなたは……」
「初めまして。僕はウィリアム、見ての通り人間です」
「人間……」
「突然で恐縮なのですが、少し僕の話を聞いてはもらえないでしょうか?」
男は険しい表情を見せた。
人間という単語に反応したのがよくわかる。
こんな人里離れた雪山に住んでいるのは、過去に人間と大きく揉めたからではないか。
そういう予想もしてはいたけど、この反応を見る限り、当たっていたらしい。
僕は隣にいるホロウへ視線を向け、その表情を確認して息を呑む。
「ひとまず中へどうぞ。まずは暖まってください」
「ありがとうございます」
男性は僕らを警戒しつつも、室内へ案内してくれた。部屋へ一歩入った瞬間に、外との違いを実感する。
「暖かい……こんなに違うものなのか」
「木が特別なんですよ、ウィル様」
「木? この赤茶色の木のこと?」
確かにこんな色をした木は見たことがない。
「レッドウッドという木です。ここからふもとへ下っていくとたくさん生えていますよ」
「レッドウッド……やっぱり聞いたことないな」
「すごい木なんですよ。とっても頑丈だし、保温作用もあるんです」
保温作用?
そうか、だから床がこんなにも暖かいのか。
暖炉の温もりが部屋の中に広がって、天井や壁がそれを閉じ込めている。この部屋の中なら、コートもいらないんじゃないかな。
「こちらへおかけください」
僕らは案内された椅子に腰かける。
若い狼人が人数分の温かい飲み物を持ってきてくれた。
ユノはまだ起きないけど、この環境ならしばらくすれば目覚めるだろう。ユノには僕らが村民と話をしている間、ベッドで横になってもらうことにした。
全員が落ち着くと、最初に先ほどの男性が口を開いた。
「本当に……ホロウなんだね?」
「はい」
「そうか、そうか……またこうして会える日が来るとはなぁ」
彼はしんみりと言った。彼女が村を出てからの三年間を、じっくり感じているようだった。
「また会えて嬉しいよ」
「私もです。セレクおじさん」
ホロウによれば、彼はこの村を治めている村長さんで、ホロウの育ての親らしい。
ホロウは今日までの経緯を彼に話した。
セレクはそれを時に悲しそうな表情を浮かべ、時に嬉しそうに微笑みながら聞いていた。
「大変だったんだね。だが、こうして元気な姿を見られて良かったよ」
「うん。それも全部、ウィル様のおかげなんだよ」
ホロウが僕に視線を送る。
それを追うように、セレクが僕に目を向ける。
「ウィリアムさん……でしたね。ホロウを助けていただき、ありがとうございました」
「頭を上げてください。僕はただ好きでやっているだけですから」
「そう言えるあなたは、とても優しい心の持ち主なのでしょうね」
セレクが頭を上げ、僕と視線を合わせる。
ああ、良かった。最初は警戒されていたようだけど、ホロウと話したおかげか、その警戒心もなくなっている。
セレクの目がとても穏やかになった。
「それでお話というのは?」
「はい。少し長くなりますが、聞いていただけますか? 僕の目指す街について」
それから僕は、亜人と人間が共生する街を造るという理想を語った。それが冗談でもなんでもなく、本気だということを強調しながら。
セレクは驚く様子もなく、なぜか納得したような表情で聞いていた。僕が全て話し終えると、彼はこう口にする。
「やはりあなたは特別な人間のようですね。そんな理想は、我々でも考えたことがありませんでした」
彼らはかつて、暮らしていた集落を人間に奪われた経験があるそうだ。
それ以来、数十年にわたってこんな雪山の厳しい寒さに耐えながら生活している。人間を恨む気持ちがあるのだと申し訳なさそうに口にするセレクに、僕はそれでも言う。
「僕の理想は、絵空事に聞こえるかもしれません。だけど必ず実現させてみせます。どうか……皆さんにもご協力していただけないでしょうか?」
「もちろんですよ。あなたの理想が叶うなら、我々にとっても最高の環境になる」
セレクはあっさりと了承した。
あまりに簡単に返答するから、僕のほうが驚いてしまった。
「我々も、好きでこんな場所で暮らしているわけではありませんからね。皆にとっても良い話だと思います」
簡単に口にしたようで、色々な葛藤があるのだろう。セレクの声音からは迷いを振り払うような決意が感じられた。
村を率いる長として、最善の行動はなんなのか。
それを考えての決断だったのかもしれない。ならば僕は、その決断が正しかったと思えるように、精一杯の努力をするべきだろう。
3 青憐華
セレクの承諾は得たものの、眠っているユノは依然目を覚まさない。
寒さにさらされていた時間が長かったせいだろう。
もしかすると夕方くらいまで目覚めないかもしれないな。
そういうわけで屋敷へ戻れない僕らは、雪山での暮らしについてセレクから教えてもらうことにした。
これから僕の領地も寒くなるし、色々聞いておいて損はないだろう。
「食料はどうしているんですか? 狩猟だけじゃ限界があると思うんですが」
「その通りです。ここは極寒の地ですから、生息している動物にも限りがありますし、狩りつくすわけにはいきませんからね。さすがに魔物は食べられませんし」
「やっぱり魔物もいるんですね……ここは襲われたりしないんですか?」
「今のところはありませんね。村を囲っている柵は見てもらえましたか? あれが魔物避けになっているんですよ」
柵に塗られていたのは漆だという。
ただ、漆に魔物避けの効果があるのではなく、この地域の魔物は漆黒という色を嫌うらしい。しかし、理由は定かではないそうだ。
それでも、とセレクは続ける。
「さすがにドラゴンには通じないと思いますが」
「ドラゴン!? この辺りにはドラゴンがいるんですか?」
「はい。もっと山頂付近に行けば、氷を司るドラゴンが生息しています」
ドラゴン――現存する魔物の中でも最上位に位置する化け物。
僕も資料でしか見たことがないけど、ワイバーンとは比較にならないくらい大きくて、一匹で王都を壊滅させられる個体もいるという。恐ろしいと感じる一方で、一度で良いからこの目で見てみたいとも思っていた。
「おっと、話がだいぶそれてしまいましたね。食料について、でしたか?」
「あっ、はい。そうですね。狩猟が駄目なら、どうしているのかと」
「畑で野菜も栽培していますよ」
「野菜? こんなに寒くても育つんですか?」
「ええ、野菜にも色々種類がありますから」
白菜、キャベツ、ネギ、ホウレンソウなど。強烈な寒さにも耐えうる野菜を選んで栽培しているらしい。
ラインナップだけ見ると、よく鍋で活躍する野菜ばかりだ。
なるほど、それなら僕らの畑でも同じようなものを栽培していこうかな。そうすれば現在育てているものとあわせて、一年を通して色んな野菜を収穫できるし。
「あとで畑を見せてもらえませんか?」
「もちろん構いませんよ。よければ、収穫したものを一緒にそちらへ持っていきます」
「助かります」
きっとソラたちが喜ぶぞ。料理の幅が広がるってね。
そんな話をしていると、奥の部屋から足音が聞こえてくる。
扉が開いて姿を見せたのは、寝起きのユノだった。
僕は目をこすりながら歩いてくるユノに声をかける。
「おはよう、ユノ。珍しく寝ぼすけだったね」
「うむ……おは……よう?」
どうやらまだ寝ぼけているらしいユノは、僕の隣に座った。僕らはうとうとしている彼女がちゃんと目覚めるまで待つことに。
「本当にスマンかった……今回のワシは、完璧に足手纏いじゃったな」
徐々に意識がはっきりしてきた彼女の第一声は謝罪だった。とても申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「謝らないでよ。普段は君に頼りっきりだし、このくらいはおあいこだからさ」
「いや情けない……ワシともあろうものが、寒さ程度に負けてしまうとは……ホロウ、主にも迷惑をかけたな」
「迷惑だなんてそんな! ウィル様のおっしゃる通り、開拓ではユノさんに助けられてばかりでしたから、それに比べれば些細なことですよ」
「うぅ……そう励まされると逆に恥ずかしいのじゃぁ……」
頬を赤くするユノ。
ともかく、これでようやく帰れるな。
早速ユノに扉を生成してもらい、僕らは一旦屋敷へ戻ることにした。セレクたちの移動は、一週間ほど準備してから行うという話でまとまった。
「では行こ……っくしゅん!」
「大丈夫?」
「まだ寒気が少し残っているようじゃ……くしゅん!」
「風邪を引いてしまったのでは?」
「かもしれんな」
ホロウの質問にユノが鼻水を啜りながら答えた。
神祖でも風邪って引くんだ……と思いつつ、僕の頭にちょっとした疑問がふと浮かぶ。
「セレクさん、病気になったときはどうされているんですか?」
風邪に限らず、世の中には様々な病気が存在する。
軽いものなら魔法でなんとかできるけど、重い病気は難しい。
こんな山奥では、薬を買いに行くことはできない。
自分たちで調合するにも、この環境で素材採取は厳しいだろう。
「軽い風邪や疲労なら、ふもとまで下りれば薬草が生えていますから、それを採取して使うんです。もっと重い病気の場合は、これを使っています」
セレクは棚から小瓶を取り出した。
小瓶には美しい水色をした液体が入っている。
「これは?」
「いわゆる万能薬です。この山の山頂に、珍しい青い花があって、それを元に作ったものなんですよ。まだ数十本は残っていますが」
「そんなに? 珍しい花なのに?」
青い花というのは、そこまで大きな花なのだろうか。
僕はセレクに尋ねる。
「大きさは手のひらに載るくらいですよ。ですが一輪あれば、この万能薬が百本は作れますから」
一輪で百本も……それは中々お得なのでは? と思った僕は、セレクに重ねて質問した。
「ちなみに、最近は採取できましたか?」
「いいえ」
なるほど。これはどうやら、帰るにはまだ早いらしい。
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