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花嫁編

236.いつか家族に

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 悲しい涙が溢れ出す。
 永遠に流れ続けるのではないかと思えるほど、次から次へと溢れてくる。
 それでも、すぐに知ることになる。
 涙はいずれ枯れてしまう。
 どれだけ悲しくとも、気が晴れなくとも、乾いて消えてしまう。
 最後に残るのは、どうしようもない虚しさだけだ。

「ぅ……っ……んっ」

「落ち着いたか?」

 ロトンは小さく頷く。
 イズチの胸に顔を埋めながら、彼女は泣き続けていた。
 涙は枯れて、目を擦る。
 悲しみが消えたわけじゃないことは、彼女の表情を見れば明白だ。

「ごめんなさい、ボク……取り乱して」

「お前が謝ることなんてない。悪いのは俺だ。考えなしにお前を、ここへ連れてきてしまった」

 口ではそう言いながら、イズチは自分を振り返る。

 いいや、考えたところで結果は同じだった。
 ロトンの両親は亡くなっていて、二度と会うことは出来ない。
 何を考え準備した所で、そこは変えられなかった。
 ならばせめて、知らないままのほうが幸せだったのだろうか。
 いつか会えるかも知れないという、獏善的な希望に縋っていたほうが……。
 少なくとも、ウィルはそう考えたんだな。
 だからあいつは、ロトンに何も教えなかったんだ。
 
 この時イズチの頭の中には、後悔とは別にもう一つ、別の言葉が浮かんでいた。

 僕には出来なかったけど、君なら別の答えを見つけられるかもしれない――

 ウィル……お前は俺に、何を期待したんだ?
 お前にわからなかったことが、俺にわかるとでも思っているのか?
 だとしたら……酷い買いかぶりだ。

「ロトン……?」

 イズチは何かを伝えようとした。
 その途中で、視界の中に一枚の写真を見つける。
 口を止め、ゆっくりと手を伸ばす。
 写真盾に入れられていたのは、笑顔で移る二人の写真。
 そこに映る二人には、どこか知っている面影を感じられた。

「この写真……そうか、この家は……」

「イズチさん?」

「見てくれ」

 イズチは写真をロトンに見せる。
 横顔と並べてみると、似ている所がよくわかる。
 そう、この写真に写っているのは、ロトンの両親なんだ。

「これが……お父さんとお母さん?」

「ああ、間違いない。そしてこの家が、二人が暮らしていた家で、お前が生まれた場所なんだと思う」

 崩れ落ちてしまった天井。
 隙間風が入ってくる壁。
 すでに壊れてしまった家こそ、ロトンが暮らすべきだった場所。
 故郷であり我が家だった。
 写真を見つめるロトンは、苦しそうな辛い表情をする。
 悲しみがまたこみ上げて来たんだろう。
 それでも涙は枯れてしまって、振り絞っても流れやしない。

「お父さん……お母さん……」

 写真を胸にあて、あるはずのない温もりを感じようとしている。
 健気な姿に心が痛む。
 イズチの口は、自然と謝罪を口にしようと動く。

「すまな――」

「ボクは、ここに来られて良かったです」

「えっ……」

 ロトンは写真を握り締めたまま、イズチの顔を見上げる。

「イズチさんが連れて来てくれなかったら、ずっと知らないままでした。もう会えないのは……悲しいです。だけど、こうしてお父さんとお母さんの顔が見れた。ボクはそれで十分です」

 そう言って、ロトンは笑った。
 誰が見たって明白な作り笑いだ。
 悲しみを我慢して、押し込めて無理に笑っているだけだ。
 そうしてでも、彼女は笑おうとしている。
 辛い現実を突きつけられ、砕けそうになる心で、必死に受け入れようとしている。
 健気に、真っ直ぐに――

 気が付けば、イズチはロトンを抱きしめていた。
 無意識だったと、後で気付かされる。
 
 ウィル……この子は、俺たちが思っていた以上に強い子だ。
 枯れるまで涙を流して、まだ消えていない悲しみを背負いながら、それでも笑おうと努力している。
 大人でも出来ないことを、こんな小さな女の子がしている。
 俺は無性に思う。
 この健気で愛おしい女の子を、全てをかけて守ってあげたい――と。

「ロトン、俺はお前に酷いことをした。許してもらえるとは思っていない」

「そんなことないです。イズチさんは、いつだって優しくて格好良くて、ボクは大好きですから」

「ありがとう。俺もずっと見ていたよ。お前は頑張り屋で、見ていて心地が良かった。守ってやりたいと思っていたし、妹のように可愛かった」

 イズチは抱き寄せていたロトンを離す。
 ロトンの顔を自分の正面に合わせて、優しく囁くように言う。

「だからもし、お前が望むなら……俺がお前の家族になろう」

「イズチさん……」

 ロトンは顔を赤くする。
 突然のプロポーズに、動揺しないほうが無理だ。
 ただ、イズチはそういう意味で言っていない。

「兄として、お前が大人になるまで守る」

 彼はあくまで、子供の彼女を守りたいと思っている。
 それ以上は望んでいない。
 ロトンにも、それが伝わる。
 だからこそ、ロトンは首を横に振る。
 そうして、耳元で小さく囁く。

「ボクは、イズチさんと――」

 それを聞いたイズチは、不意に笑みをこぼした。
 これまでの悲しみが、一時の幸福で和らいでいく音が聞こえる。
 僅かな時間だけかもしれないが、心の傷が和らいでいた。

「わかった。じゃあ、兄でいよう」

「はい。ボクが大人になるまで」

 二人が交わした誓いは、二人だけの物だ。
 形になるまで、他の誰にもわからない。
 その時にはきっと、多くの人たちが祝福するはずだ。
 不幸など感じさせないくらい……幸福な時間を手に入れるだろう。

「それと一つ……お前には、今も家族が残ってる」

 たった一人、この村で生きてきた老人。
 悪くなった足では満足に外へも出られない。
 朽ちて死ぬだけの人生だと、彼自身も覚悟していた。
 それでも今日まで生きながらえてきたのは、期待があったからかもしれない。

「お爺ちゃん」

「ロトン」

「一緒に帰ろう? ボクのいる街へ」

 いつの日か、家族とめぐり合えることを――
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