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時間旅行編

183.カオス理論

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 ドラゴンの背から見下ろす景色に、僕らは目を奪われた。
 森に囲まれた街がある。
 何度も見た光景のはずが、懐かしさなんて錯覚を感じてしまう。
 そこにあったのは僕らの街ではなかった。
 同じ場所にある全く別の街だ。

 その景色を見た瞬間、僕は唐突に理解した。
 今、僕らがいる場所は現代の空ではないということを。
 聖杯の願いによって、僕らは二千年前の世界へ飛ばされたんだ。

「そう考えるのが妥当じゃないかな?」

「うむ……あの輝きが聖杯から発せられていた以上、そうなんじゃろうな」

「ここが大昔の……世界」

 僕らは息を飲む。
 自分で言っていて、甚だおかしいとは思う。
 だけど、状況と経緯を整理したら、そうとしか考えられない。
 何より真下に広がる光景が、僕らの知るものではないことが証明になっている。
 僕は心を落ち着かせ、二人に提案をする。

「一旦地上へ降りよう。直接見て確かめたほうが早いよ」

「そうじゃな。このまま飛んでおっても仕方あるまい」

「で、でも大丈夫なんでしょうか。突然襲われたり……」

「案ずるな。二千年前じゃったとして、知らぬ者を容赦なく襲うような習慣はない」

「そう……ですか」

 ホロウは不安そうだった。
 おそらく彼女が感じている不安は、ユノの思っているものとは別なんだろう。

「大丈夫、いざとなったら僕らがいるから。それより、なるべくバレないように降りないとね」

「そうじゃな。少し離れた場所を目指そうか」

「うん」

 ユノ曰く、二千年前の世界では、ドラゴンくらい普通によく飛んでいたらしい。
 だからドラゴンが降りてくること事態は、そんなに違和感はない。
 ただし、さすがに直接街に下りたら大惨事になるので、僕らは数キロ離れた森の奥へ向かうことにした。

 ドラゴンを徐々に地面へ近づけていく。
 街が遠ざかっていく様子を眺めながら、僕らは森の中へと降り立った。
 ドラゴンは変換魔法で魔力へ戻す。
 僕らの立っている森は、現代なら王国の領地となっている部分。
 もう少し街へ近づけば、僕の領地に入るだろう。
 その前に――

「ねぇユノ、研究室への扉って開けるのかな?」

「ん? まぁ開けると思うぞ。あそこはワシの空間じゃからな」

「だったらお願いできるかな?」

「構わんが、あそこから現代へ戻るのは無理じゃぞ」

「わかってるよ。そうじゃなくて、必要な物を取りたいだけ」

「ふむ、わかったわい。そこらに丁度良い壁を作ってもらえるか?」

「うん」

 僕は変換魔法で石の壁を精製。
 そこにユノが、研究室に繋がる扉を作り出した。
 僕らは扉を潜り、研究室へと入る。
 見慣れ光景にほっとしつつも、机の上に聖杯がないことに気付く。
 僕はぼそりと言う。

「時代が違うからかな」

「うむ、まぁ多少は影響を受けておるのう。じゃがおそらく別の理由じゃな」

 ユノが言うには、この研究室はさっきまで僕らがいた場所と同じらしい。
 ユノが保有する空間であるが故、時間旅行で一緒に過去まで移動している。
 よって現代では、屋敷にある研究室への扉は消失しているという。

「聖杯は、その効力を発揮している間は物質ではなくなる。もっと簡単に言うと、ワシらを包み込んだ光が聖杯なんじゃ」

「つまり、聖杯は目に見えないだけで、ここにあるってこと?」

「そういうことじゃ」

 ユノの説明は、簡単とは言っても理解し辛いものだった。
 いや、そもそも願いを叶えるなんてとんでもない力を、理解しようなんて無理な話か。

「で、主よ。何が必要なんじゃ?」

「あっ、えっとね。確かこの辺にー……あった!」

 僕は棚から綺麗にたたまれた黒い布を取り出す。
 それを二人へ手渡しながら言う。

「二人ともこれを着て」

 ホロウが受け取り広げる。

「ローブですか?」

「うん。このローブには認識阻害の力が付与されていてね? これを着ていれば、直接触れ合ったりしない限り、周りからは見えなくなるんだよ」

 以前、イルミナ帝国へ忍び込む際に使ったマントと同じものだ。
 僕は二人に、ローブを着る理由を伝える。

「いいかい? もしここが本当に過去の世界なら、僕らは本来いない存在なんだ。だから極力、人との接触は避けたい。変に関わりすぎて、歴史に影響したら未来が変わってしまうからね」

 とある学者の書いていた論文に、こんな言葉が載っていた。
 カオス理論。
 これは簡単に言うと、ほんの僅かな条件の違いによって、結果に大きな差が起こる現象を指している。
 同じように過去の出来事が少し変化するだけで、連鎖的に未来へ予測不可能な影響が出てしまうかもしれない。
 ここで間違ってはいけないのは、僕は過去を変えたいと願ったわけじゃないということだ。
 僕はあくまで、過去を見てみたいと願った。
 その結果がこれなら、僕らは過去の人たちに何も影響してはいけない。

「特にホロウ、君はこの時代には存在しない種族だ。姿を見られるだけでも、かなり影響が出てしまうかもしれない。だから悪いけど、その耳としっぽを隠してほしいんだ」

「ワシも賛成じゃな。下手したら、未来の亜人種そのものが変わってしまうやもしれん」

「そ、そんなに何ですか?」

「うん」

 ホロウは自分の尻尾を見つめる。
 そして答える。

「わ、わかりました」

 ローブで全身を覆った。
 僕らも同様にローブを纏い、研究室から出る。
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