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時間旅行編

182.二千年前の世界

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 聖杯――
 手にした者の願いを叶えると言う。
 ある御伽噺で、騎士たちが国を救うために、聖杯を探す旅へ出る……というものがあった。
 御伽噺は誰かが考えた空想の物語。
 だから、それに出てくる聖杯も、空想の道具でしかないと思っていた。

「これがそうなの?」

「じゃからそう言っておろう。聖杯じゃよ、正真正銘のう」

 器は欠け、錆びついてしまっている。
 とても願いを叶える力を持った物には思えない。
 だけど、ユノがそう言うのなら本当なのだろう。
 と、僕は思う。
 
 机に置かれた聖杯を眺めながら、僕はごくりと息を飲む。
 何度か触れたことがあるのだけれど、今更になって触れても良いのか不安になる。
 手を伸ばすことを躊躇っていると、ユノが付け加えるように言う。

「じゃが安心しろ。この器にはもう……願いを叶える力はない」

「えっ……」

 胸の高鳴りがぴたっと止まる。
 そして、ユノはこう続ける。

「何せ数千年前のものじゃからな。本来の機能は失われておる。その証拠に、この器からは高貴な力を全く感じん。多少雑に扱ったところで、何の問題もないわい」

 ユノはそう言いながら、すっと机の上に置いた聖杯を手に取る。
 そのまま僕に片手で差し出した。
 僕は彼女の顔を確認してから、差し出された聖杯を受け取る。
 その後で、ユノがさらに言う。

「ただの錆びた器じゃ。残念ながらな」

「……そっか」

 そのとき僕は安心して、ガッカリもした。
 願いを叶える力が、どれだか大きな力で、可能性を秘めていたのか。
 もしかすると、僕の夢だって簡単に叶えられたかもしれない。
 そう考えると残念に思うし、逆にほっとしていたりもする。
 良くも悪くも、願いを叶える力なんて、僕らの手に余る。
 僕は聖杯を机の上に置く。
 するとユノが、僕にこう尋ねてくる。

「主なら何を願うのじゃ?」

「ん?」

「もしもの話じゃよ。もしその聖杯が本来の力を持っていたら、主はどうしたのか知りたくてのう」

「う~ん、そうだなぁ~」

 僕は腕を組んで考えるポーズをする。
 そうしている最中に、研究室の扉をノックする音が聞こえてくる。

「誰じゃ?」

「ホロウです。夕食の準備が出来ましたので、お伝えに参りました」

「うむ、入って良いぞ」

「失礼します」

 扉を開け、ホロウが入ってくる。
 ホロウはユノと一緒に話している僕を見つけて言う。

「先ほどおっしゃっていた通り、こちらにいらしたのですね」

「うん」

「お仕事中……でしたか?」

 ホロウは僕と聖杯をチラチラ見ながら尋ねてきた。
 僕は首を横に振って否定する。
 それからユノが、僕の代わりに説明する。

「ただの結果報告をしておっただけじゃよ」

「そう……なんですね?」

 具体的なことを言っていないので、ホロウはピンときていない様子。
 ユノはそれ以上の説明をせず、僕に視線を戻して言う。

「して主よ? さっきの質問の答えを聞かせてもらえるかのう?」

「質問?」

 ホロウが首を傾げている。
 僕はホロウにわかるよう説明する。

「もしも願いが叶うなら、僕が何を願うのか知りたいんだってさ」
 
「そうじゃ。はよ答えんか」

 急かすユノ。
 僕はまた考えるポーズをして、数秒考えた。
 そうして出た答えを、ぼそりと口にする。

「神代を見てみたい……かな」

「ほう」

 僕がそう答えると、二人は静かに驚いたような表情をしていた。
 その理由をユノが言う。

「意外じゃな。てっきり亜人の偏見をなくしたい、とか言うと思ったんじゃが」

「それは考えたよ? だけどそれって、今の僕らなら叶えられると思うんだよ。時間はかかるかもしれないけど」

「ふむ、それで?」

「うん、だからね? 願いが叶うっていうのなら、絶対に普通じゃ出来ないことをしたいなって」

「それで神代か」

「そう! 過去に戻るなんてこと、普通じゃ出来ないでしょ? 神代……特に亜人が生まれた前後を見て見たいな~って思ったんだ」

 そう言いながら、ホロウに目を向ける。
 彼女のような亜人種が生まれる前、世界には精霊という種族がいた。
 彼らがいた世界を、この目で見てみたいと思う。

「なるほどのう」

「まぁ夢の話なんだけどさ」

 このとき、僕はふいに手を伸ばしていた。
 伸ばした先にあったのは聖杯。
 壊れて機能を失った……と思い込んでいた聖杯だった。
 
 触れた直後、聖杯は強力な金色の光を放ちだす。

「なっ――」

 僕は咄嗟に手を離そうとした。
 だけど、そのときにはもう遅かった。
 聖杯の光は僕らを包み込み、全身を電流のような何かが駆け抜ける。
 視界が暗くなったと思ったら、今度は真っ白になって――

「へ?」

 気が付けば、僕らは空中に投げ出されていた。

「うわああああああああああああああ」

 僕とユノとホロウの悲鳴が空に駆け抜けていく。
 自分と同じ高さに雲がある。
 そのまま凄い勢いで落下している。

「な、ななな何んですかこれぇ!」

「落ち着くのじゃホロウ!」

「二人とも手を!」

 僕は咄嗟に二人へ手を伸ばした。
 ユノは左手、ホロウは右手を掴む。
 ぐっと引っ張って、身体を寄せ合いながらユノが言う。

「主よ! 変換魔法でドラゴンを出せ!」

「わかった!」

 言われるがまま、変換魔法を行使する。
 生み出されたドラゴンは、両翼を大きく広げて飛翔する。
 僕らはそのドラゴンの背中へと乗り込んだ。

「はぁ、はぁ……これで一先ず大丈夫かな」

「うむ」

「もう、何がどうなってるんですか?」

「わからない」

 さっきまで僕たちは研究室にいた。
 そして今は、どこかの空にいる。
 僕はどこなのかを確認するため、ドラゴンの背から下を見下ろした。

「これって――」

 そうして目に映ったのは、見覚えのある地形と、見知らぬ世界だった。
 
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