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【完結話】或るシングルマザーの憂鬱

#16 帰りたい送別会にて

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今年を締めくくる社内大掃除も、昼までに終わってしまった。
社員一同、一生懸命手際よくやったからというわけではなく、みな適当に手を抜いて、見えるところだけをきれいにしたからである。

思いのほか早く終わってしまったので、夕方から始める予定だった山本さん送別会と野田歓迎会を、繰り上げて昼から始めることになった。

あたしとしては、そのほうがよかった。
早く始めると早く帰れる。

…が、この会社の人たちはノリが良過ぎるのだ。
人目が気にならない社内打ち上げ会なら、際限なく続いてしまうだろう。
途中で抜けるための適当な理由でも考えておかなければ。

今日から保育園が休みなので、実家から母が来てくれて圭吾を見てもらっているが、「保育園のお迎えの時間がきたので」と嘘をついて、17時には退出してしまおう。

会議室では二課の女の子たちが、楽しそうにテーブルセッティングしている。
お酒や食べ物の買出しも、二課の営業の人らが行てくれているので、一課のみんなは特別することもない。

程なくして準備が整い、皆が揃った。

殺風景な会議室の机が淡い水色のテーブルクロスをかけられて華やかに変わっている。
おいしそうなデパ地下のパーティセットやケータリングのお寿司、ワイン、ビール、日本酒などがところ狭しと並べられている。
すでにはしゃいでいる主賓の山本さんの乾杯の音頭で、会は始まった。


「今日は飲まないわ、わたし。デートだし」


三浦さんがローストビーフを摘みながらウフフと笑った。


「デートだからって、帰してくれますかね。こっそり出て行かないと」


「そうだねー。トイレに行くふりして帰るわ。」


三浦さんは財布だけ持って、バッグを下駄箱に隠し、そのときに備えた。

まだ酔っ払ってはいないのに、みんな大盛り上がりで騒ぎ立てている。
鮫島くんは二課の女の子たちと上機嫌におしゃべりしている。
たまにこちらを見て、楽しそうにしている自分を鼻にかけたようにせせら笑う。

野田とキュンキュン・ワールドに行って別れたときに、電話をかけ忘れていたあたしを、鮫島くんはひどく怒っていた。

あの日、あたしのスマホに不在着信が15件入っていて、どれも鮫島くんからの電話だった。
気づいたのは朝の目覚ましアラームを止めたときだった。

次の日、軽く「ごめん、ごめん。忘れていた」と謝ったら、


「こんなに心配していたのに!ぼくの気も知らないで」


と言い残し背を向けて去っていった。
鮫島くんとはそれきり口をきいていない。

野田も、翌日から一課に現れなくなった。

一度週末に、廊下で銀行マンと難しそうな話をしている姿を見たくらいで、丸一日顔を見ない日が続いた。

あたしへのちょっかい出しも、一度社外で会ったら気が済んだのだろう。

興味が薄れたのか、ひっそり成り行きを見守っているのか知らないが、一課の野田フィーバーも鳴りをひそめた。

気にして色々聞いてきたのは三浦さんだけだった。
「圭吾は楽しそうでした」とさめざめ答えると、「期待が外れた」とがっかりして、その話には触れなくなった。

身辺が静かになり、あたしは一安心したのだった。


15時になり、三浦さんがトイレに行くふりで帰りゆく作戦を無事成功させた。
あたしは他に親しく話す人もなく、入れ代わり立ち代わりする隣の席の人の陽気な話に、適当に相槌を打っていた。

「無礼講!」と言って、二課の若い男が上司に頭からお茶をかけている。
上司も怒ることなく、「洗ってくれ、洗い流してくれ、全てをー」などと叫んで、笑いをとっていた。

一課も負けじと始めたのは組体操だった。
タワーや二段ピラミッドを披露して、崩れる際に日本酒の瓶を数本割ってしまい、ひんしゅくをかっていた。
山本さんは両腕をあげて大笑いしている。

そういや、もう一人の主賓である野田を見ない。

どうでもいいけど、とドアに目をやったら、そこに野田が立っていた。

モジモジして、あたしを見ている。

いたのか、と思って目をそらしもう一度見たら、野田の後ろから圭吾の顔がのぞいた。


「圭吾!えっ、どうしたの。なんでここに?」


隣の人の話を遮って、あたしは立ち上がった。
怒られると思ったのか、圭吾は野田の足に抱きつき上目づかいでこちらを見ている。
歩み寄り、圭吾の目線に合わせてしゃがみ込んだ。


「なんで、誰と来たの?ママの会社がここだって、ちゃんとわかっていたの?」


「ばあちゃんときた。おれ、ママのかいしゃ、ちゃんとしっている」


「おばあちゃんとお留守番しておいてね、ってママ言ったよね。なのに、どうして会社に来たのよ。おばあちゃんは?」


「かえった」


圭吾は顔を野田のスラックスにうずめた。
呆れた。
母も母だ。
知らない野田に圭吾を任せて帰っていくなんて。

スマホを取り出し母に電話した。
騒がしい周りの雑音から逃れるため、野田の横をすり抜け廊下に出た。


「あ、もしもし、お母さん。ちょっと、圭吾が来ているんだけど。困るよ、会社に連れてくるなんてさ。しかもあたしじゃなく、他の人に圭吾を託して。もしその人が会社の人じゃなくて、圭吾をどこか放っておいたら、大変なことになるじゃん。他人に圭吾を任せないでよ」


電話がつながるや否や、矢継ぎ早にあたしに言葉を浴びせられた母は、うろたえて弁解してきた。


「わたしも会社に行くなんてダメって何度も言ったのだけど、きかなくて。奥から出てきてくれた男の人のことも、あたしは知らないよ。でも、でも圭吾が言うから」


「は?何を」


「...パパだ、って」


前につんのめってしまった。
圭吾が、なんと、なにを、そんなことを、言ったって?


「それを聞いて、あんたにいい人ができて、それがこの人なんだあと思ってさ。知らなかったよ。良かったねぇ。優しそうな人で圭吾も懐いているし」


母は電話の向こうで感慨深く、良かった良かったと繰り返している。


「冗談じゃない!なにを言っているの圭吾はまったく。違うから。とにかく、違うとだけ言っておくわ。じゃあね」




つづく
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