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4 私の家族と皇帝

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『ああ、ベス!』

 皇帝の私室、その応接間にイヴァンに伴われて入って来た私を見るとソファから立ち上がったお母様が抱きついてきた。

(お父様の前ではやめて! お母様!)

 内心悲鳴をあげるが当然お母様は気づいてないだろう。

 殺意というほどではないが真綿で首を絞められているような何とも精神的にくる視線を向けられている。

 見なくても、それを向けている人が誰か分かる。

 お父様だ。

 女で娘だろうと最愛の妻であるお母様が自分以外と密着するのが許せないのだ。普段は冷静沈着で理性的だが、お母様に関しては、ものすごく心が狭いお人なのだ。

『大丈夫!? 馬鹿皇子にひどい事されなかった!?』

 目の前に皇帝、皇子の父親がいるのに、お母様は躊躇なく「馬鹿皇子」と言っている。

 私の数年後を思わせる容姿のお母様。

 前世は平々凡々な容姿だったが、今生は、このお母様そっくりの絶世の美少女になった。幼い頃は鏡の中の自分に見惚れたものだ。

 テューダ王国王家の特徴の黒髪紫眼は、お母様から私達兄妹にも受け継がれている。

 お母様は今年三十九になるのに、お父様同様若々しく、美しさは衰えるどころか年々輝きを増してさえいるともっぱらの評判だ。

 前世同様、小柄で華奢な体格は、お母様もそうだが……胸だけは、お母様のほうが格段にある。お母様も今の私の年頃は、私と同じひんにゅ……胸が小さかったらしいが、妊娠出産を三度経験したお陰で王妃であるお祖母様ほどではないが豊かになったらしい。

 ……妊娠出産ではなく、お父様のお陰ではないかと私は思っているけど。男の人と肌を重ねると胸が豊かになると前世で聞いたので。《脳筋国家》とはいえ王侯貴族の女性がそんな事話題にするはずがないから、お母様はそれを知らないのだろう。

「……お母様、陛下の御前なのですから」

 さりげなくお母様の抱擁から逃れると、私は一応たしなめた。

 わたし相手だからか、今までお母様が喋っていたのはテューダ語だが、王侯貴族である以上、最低十か国語は学ぶ。まして、皇帝は高等部の頃、テューダ王国に留学していた。テューダ語が理解できないというのはありえない。

「構わないよ」

 皇帝にとっては愛してないどころか関心すらない息子だし、何より「馬鹿皇子」呼ばわりしたのは、彼が唯一愛する女性だ。全く気にならないのだろう。

 ラズドゥノフ帝国皇帝ピョートル。容姿だけなら皇子は彼にそっくりだ。お父様やお母様と同じで今年で三十九になるが彼も若々し見える。プラチナブロンドにアイスブルーの瞳の長身痩躯の美形だ。

「許可を得たとはいえ、私、皇子を鉄扇で十発殴りました」

 謝りはしないが一応報告しておいた。

「十発でよかったのか?」

 自分が許可したのだから当然だろうが、皇帝は私を責めず言外に「それでよかったのか?」と訊いてきた。

「馬鹿皇子のために疲れるのも嫌なので」

 私ももう「馬鹿皇子」呼ばわりしてしまったが、それを気にする人間はこの場には誰もいない。

「ものすごく楽しそうに殴っていたな」

 イヴァンの言葉に私は笑ってしまった。

「あいつのお守りでストレスが溜まっていたので」

 私は元々子供が嫌いだ。まして初対面から偉そうに接してきた相手だ。婚約者だから仕方なく、この一年、あの馬鹿がポカをやらかす度に奔走していた。ストレスも溜まる。

「父親として、皇帝として、貴女方に謝罪する。息子が公衆の面前で婚約破棄宣言などして、本当に申し訳なかった」

 一人掛けのソファから立ち上がると皇帝が私達家族に向かって頭を下げた。

「私個人としては謝罪は不要です。しっかり仕返ししましたし」

 これは私。

「ベスが気にしないなら、私も気にしませんわ。それに……かつて私も彼と同じ事をしたので、あまり非難できないのです」

 これは、お母様。皇帝相手だからか、今度はラズドゥノフ語を口にしている。

 公衆の面前での婚約破棄宣言は、どちらも非難されるものだが、お母様と馬鹿皇子では婚約破棄宣言した理由が違う。

 私と違って権力に何の魅力を感じないどろこか重荷にしか思わなかったお母様は、女王になりたくなくて女王になるのが確実となってしまうペンドーン侯爵令息だったお父様との結婚を回避するために、王配になりたくて迫ってきた馬鹿男を恋人にし(実際には心も体も許さなかったらしいが)自分の十六歳の誕生日会で彼との間に子供が出来たなどと嘘を吐き婚約破棄宣言したのだ。

 まあ紆余曲折あって王女(当時)としての責務を全うすると誓い、お父様ともちゃんと心通わせ私達兄妹を産んだのだけれど。

 馬鹿皇子は素っ気ない元婚約者わたしが自分に泣きつく所が見たくて、あんな馬鹿な真似をしたようだ。

「陛下には申し訳ないが、馬鹿皇子との婚約が破談になってよかったと思っています」

 これは長兄リカルドだ。二十一歳。瞳の色以外は、お父様に酷似した超絶美形だ。

 三年前に隣国フォイエルバッハ王国の王女と結婚し、今年三歳になる息子もいる。そして、現在、王子妃は第二子を妊娠中だ。

 それだのに、わたしの卒業式に来たのは婚約破棄されると分かっていて心配してくれたからだろう。

「私もベスと馬鹿皇子の婚約が破談になったのは嬉しいが……ベスの新しい婚約者が皇弟殿下なのはな」

 これは次兄ヘンリー、愛称ハンクだ。二十歳。私やお母様の男性版のような、叔父様(お母様の異母弟アルバート)やお祖父様(国王)に酷似した美丈夫だ。

 ハンク兄様は二年前に、大陸の南にあるエチェバリア王国の王太女と結婚し、現在王太女が女王に即位したので彼も国王になった。エチェバリア王国はテューダ王国の属国だ。宗主国の王子なので王配ではなく共同統治者、国王となったのだ。女王との間に今年で二歳になる双子の男女を儲けている。

 妹の卒業式とはいえ国王であまり国を離れるべき立場ではないハンク兄様がわざわざやって来たのは、彼もまた婚約破棄されるわたしを心配してくれたからだろう。

 お父様以外の家族は末っ子の私を溺愛してくれているのだ。

「リズが気にしないなら、私も気にしませんよ」

 これは、お父様だ。

 黒髪黒目の超絶美形。その美しさと迫力は、年齢を重ねても衰えるどころか増してさえいると専らの評判だ。

 均整の取れた長身から放たれる無意識に人を従わせるカリスマ性は、大国の皇帝を前にしても遜色がないどころか、むしろ皇帝のほうが色褪せて見える。

 それはイヴァンも同じで、兄弟でありながら無意識に人を従わせる空気をまとっているのは、イヴァンなのだ。

(……貴方なら、そう言うのは分かっていました。お父様)

 わたしが公衆の面前で婚約破棄されるという恥辱を味わおうと、この人は全く気にしない。

 この人にとって何よりも大事なのは、お母様だ。

 わたしに何かあれば、お母様が悲しむから気にかけているに過ぎない。

 最愛の妻であるお母様と自分との娘であり、そのお母様に酷似していようと、私自身を気にかける事はないのだ。

「ベス王女。今、ヘンリー王が仰ったが、イヴァンが新たな婚約者になる」

「はい。先程、皇弟殿下から伺いました」

「世間的には皇子が駄目になったから皇弟に挿げ替えたと思われるだろうが、イヴァンは愚息が貴女の婚約者だった時から貴女を想っていた。イヴァンとなら貴女も一人の女性としても幸せになれるだろう」

 イヴァンの気持ちを知りながら皇子むすこを私の婚約者のままにしたのは仕方ないのだろう。

 帝国の慣習ならば皇弟より皇子のほうが皇位継承順位が近い。まして、皇弟イヴァンの母親は元娼婦の妾妃だが馬鹿皇子の母親は元は公爵令嬢だ。血統を重んじる帝国では、馬鹿でも皇子のほうを皇帝と認めるだろう。

 敵に回したくないテューダ王国の王女を将来の皇后に据えるつもりなら、帝国の慣習で皇位継承権第一位で年齢も近い皇子と婚約させるのが当然だ。

 何もなく、ただ皇弟がテューダ王国の王女を欲しているからという理由で婚約者の挿げ替えはできない。だからこそイヴァンも甥を焚きつけて卒業パーティーで婚約破棄させたのだ。

「ええ。皇弟殿下となら皇子とより、うまくやれそうです」

 別に女性としての幸福など望んでいない。

 愛する人とは絶対に結婚できないのだから。

 あの人でないなら誰だって同じだ。

 そう思っていたけれど、この一年馬鹿皇子と間近で接して、うまくやっていく自信がなくなっていた。

 けれど、私を愛していると言ってくれ、私も初対面から好意を抱いたイヴァンとならうまくやっていけそうだ。

 最初に「あなたを愛せない」と言ったのだ。私の心を得られない事は覚悟しているだろう。

 私も心はあげられないけれど妻として生涯彼に尽くす。それで我慢してもらおう。

 この時の私は、そう軽く考えていた。




 
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