76 / 86
後日談
76 私の保険
しおりを挟む
「信じないなら信じなくていい。それでも心のどこかで憶えておいて」
黙り込む私に構わず、妾妃はスカートのポケットからガラスの小瓶を取り出した。
「それより、頼まれていた物を持って来たわよ」
「ありがとう」
私は受け取ると鏡台の引き出しに入れ、代わりに宝石箱を取り出した。
「足りるか分からないけど、私が持っている中で一番価値のある宝石よ。それの代金にして」
私が持っている現金はジャックの店で働いて得た給料だけだ。それは私が人生で初めて自分で働いて得たお金なので、こんな物のために使いたくないのだ。
「いらないわ。アーサー様との結婚祝いだと思ってくれればいいのよ」
「そう?」
他の人間には小さな貸しでも恩を着せる妾妃だが、私には何も言わないのは分かっている。それでも私自身の気持ちとして、この女に借りを作りたくないので代金となる宝石を用意した。
私のその気持ちが分かっているから、妾妃は「結婚祝いだと思ってくれればいい」と言ったのだ。
普段なら反発して無理矢理宝石を握らせるが……今日は愛する男性と結婚できためでたい日だ。今日だけは妾妃の言う事を素直に聞こうという気になった。
「王太女様、それは?」
今まで黙って控えていたグレンダが興味津々な顔で訊いてきた。
「媚薬よ」
「え?」
私が答えるとグレンダは柳眉をひそめた。
「だから、媚薬。今夜、アーサーに飲ませようと思って」
「……なぜ、そんな物を?」
長い沈黙の後、グレンダは言った。
「王太女として子供を作る義務もあるけど……何より、私はアーサーの子供が欲しいの」
「……そんな物必要ないと思いますが。何もメアリー様……メアリー妃に頼んでまで用意するものですか?」
グレンダが妾妃を「メアリー様」と呼んだ事はスルーしておく。追及して彼女が妾妃に何かされるのは後味が悪い。いくら私を騙している侍女であってもだ。
「どこで売っているか分からなかったし、自分で作ろうにも媚薬の作り方を書いている本など見つけられなかったし。嫌だったけど、その手の商品を簡単に手に入れられる妾妃に頼るしかなかったわ」
妾妃、メアリー・シーモアは、その能力から国王により諜報機関であるテューダ王国情報局の長官に任じられた。彼女の耳に誰よりも早く情報が入るのはそのためだ。
諜報機関であるため長官や諜報員など一般人には、その正体を隠されている。さらには妾妃という立場とその儚げな美貌から誰も彼女がテューダ王国情報局の長官だとは思わないだろう。
私が知らないような裏の世界やそこで取引されるような商品も知っていて手に入れる事もできるので頼んだのだ。
この女に頼りたくはなかったが、他に媚薬を手に入れる方法を思いつかなかったのだから仕方ない。
男性は愛していなくても女性を抱けると聞く。特に、あのアーサーならば、王太女の夫になった義務と責任感で妻を何とも思っていなくても事に及べるだろう。
グレンダの言う通り、媚薬など本当は必要ないのだ。
それでも用意したのは……保険だ。
大抵の男性は胸が大きい女性が好きだという。
私の顔は国王や異母弟に似た絶世の美貌だが、体は華奢と言えば聞こえはいいが……要は胸が小さい(ないとは言わせない!)。耳や手の形ではなく胸の大きさだけを妾妃から受け継ぎたかった。
外見だけでなく中身も人間離れしているとはいえアーサーも人間の男性だ。いざ事に及ぼうとして私の小さな胸を見て「やはりできません」などと言われたら立ち直れない。
だから、最初にアーサーに媚薬を飲んでもらう。
媚薬に頼ってというのも虚しいが……正気のまま無表情に淡々とされるよりはマシなはずだ。
どちらしろ、私にとって最悪な初夜になるだろうが、彼の子供を得るためなら我慢する。
王太女としての責務のためだけでなく一人の女として愛する男性の子供を産みたいのだから。
そうしたら、愛する夫に愛されない苦しみも、きっと耐えられる。
グレンダはもう何も言わなかったが、心なしか私に向ける眼差しは多大に呆れているようだった。
黙り込む私に構わず、妾妃はスカートのポケットからガラスの小瓶を取り出した。
「それより、頼まれていた物を持って来たわよ」
「ありがとう」
私は受け取ると鏡台の引き出しに入れ、代わりに宝石箱を取り出した。
「足りるか分からないけど、私が持っている中で一番価値のある宝石よ。それの代金にして」
私が持っている現金はジャックの店で働いて得た給料だけだ。それは私が人生で初めて自分で働いて得たお金なので、こんな物のために使いたくないのだ。
「いらないわ。アーサー様との結婚祝いだと思ってくれればいいのよ」
「そう?」
他の人間には小さな貸しでも恩を着せる妾妃だが、私には何も言わないのは分かっている。それでも私自身の気持ちとして、この女に借りを作りたくないので代金となる宝石を用意した。
私のその気持ちが分かっているから、妾妃は「結婚祝いだと思ってくれればいい」と言ったのだ。
普段なら反発して無理矢理宝石を握らせるが……今日は愛する男性と結婚できためでたい日だ。今日だけは妾妃の言う事を素直に聞こうという気になった。
「王太女様、それは?」
今まで黙って控えていたグレンダが興味津々な顔で訊いてきた。
「媚薬よ」
「え?」
私が答えるとグレンダは柳眉をひそめた。
「だから、媚薬。今夜、アーサーに飲ませようと思って」
「……なぜ、そんな物を?」
長い沈黙の後、グレンダは言った。
「王太女として子供を作る義務もあるけど……何より、私はアーサーの子供が欲しいの」
「……そんな物必要ないと思いますが。何もメアリー様……メアリー妃に頼んでまで用意するものですか?」
グレンダが妾妃を「メアリー様」と呼んだ事はスルーしておく。追及して彼女が妾妃に何かされるのは後味が悪い。いくら私を騙している侍女であってもだ。
「どこで売っているか分からなかったし、自分で作ろうにも媚薬の作り方を書いている本など見つけられなかったし。嫌だったけど、その手の商品を簡単に手に入れられる妾妃に頼るしかなかったわ」
妾妃、メアリー・シーモアは、その能力から国王により諜報機関であるテューダ王国情報局の長官に任じられた。彼女の耳に誰よりも早く情報が入るのはそのためだ。
諜報機関であるため長官や諜報員など一般人には、その正体を隠されている。さらには妾妃という立場とその儚げな美貌から誰も彼女がテューダ王国情報局の長官だとは思わないだろう。
私が知らないような裏の世界やそこで取引されるような商品も知っていて手に入れる事もできるので頼んだのだ。
この女に頼りたくはなかったが、他に媚薬を手に入れる方法を思いつかなかったのだから仕方ない。
男性は愛していなくても女性を抱けると聞く。特に、あのアーサーならば、王太女の夫になった義務と責任感で妻を何とも思っていなくても事に及べるだろう。
グレンダの言う通り、媚薬など本当は必要ないのだ。
それでも用意したのは……保険だ。
大抵の男性は胸が大きい女性が好きだという。
私の顔は国王や異母弟に似た絶世の美貌だが、体は華奢と言えば聞こえはいいが……要は胸が小さい(ないとは言わせない!)。耳や手の形ではなく胸の大きさだけを妾妃から受け継ぎたかった。
外見だけでなく中身も人間離れしているとはいえアーサーも人間の男性だ。いざ事に及ぼうとして私の小さな胸を見て「やはりできません」などと言われたら立ち直れない。
だから、最初にアーサーに媚薬を飲んでもらう。
媚薬に頼ってというのも虚しいが……正気のまま無表情に淡々とされるよりはマシなはずだ。
どちらしろ、私にとって最悪な初夜になるだろうが、彼の子供を得るためなら我慢する。
王太女としての責務のためだけでなく一人の女として愛する男性の子供を産みたいのだから。
そうしたら、愛する夫に愛されない苦しみも、きっと耐えられる。
グレンダはもう何も言わなかったが、心なしか私に向ける眼差しは多大に呆れているようだった。
0
お気に入りに追加
176
あなたにおすすめの小説
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】あなたに抱きしめられたくてー。
彩華(あやはな)
恋愛
細い指が私の首を絞めた。泣く母の顔に、私は自分が生まれてきたことを後悔したー。
そして、母の言われるままに言われ孤児院にお世話になることになる。
やがて学園にいくことになるが、王子殿下にからまれるようになり・・・。
大きな秘密を抱えた私は、彼から逃げるのだった。
同時に母の事実も知ることになってゆく・・・。
*ヤバめの男あり。ヒーローの出現は遅め。
もやもや(いつもながら・・・)、ポロポロありになると思います。初めから重めです。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる