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本編
64 叶えてほしい事
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「……演技とはいえ私のあなたに対する態度は、ひどいものだった。今更だけど謝るわ。ごめんなさい」
アーサーにとっては私のあの態度が演技だろうが、そうでなかろうが、どうでもいいのだろうけれど、私は謝りたかった。少しでも自分の心を軽くするための自己満足だと分かっていてもだ。
「リズ?」
聡明なアーサーも、なぜ突然私が謝ってくるのか理解できないのだろう。今まで無表情でいたその美貌に初めて困惑が浮かんだ。
「謝罪で、あなたにした事が全て許されるとは思っていないわ」
今までのアーサーに対する態度だけではない。公衆の面前での婚約破棄宣言と妊娠発言など、彼の男性としてのプライドを著しく傷つけたのだ。到底許される事ではないだろう。
だが、それでも――。
「女王になると決めた以上、あなたと結婚するし、あなたの子供も産む。離縁はしてあげられないけど……あなたが愛人を作っても黙認するわ。生涯を私という身勝手な女に縛られるのだから、なるべくあなたを煩わせないようにする」
アーサーとの婚約破棄に利用するために愛を囁いてきた馬鹿の恋人になった。
実際には身も心も許さなかったけれど、世間的には婚約者を裏切ったのだ。彼が愛人を作っても駄目と言えるはずがない。
それを抜きにしても、アーサーには幸せになってほしいのだ。本当は私がそうしたい。彼と幸せな家庭を築きたい。
けれど、私では駄目なのだ。演技とはいえ、またそれを見抜かれていたとしても、彼に対して、ひどい言動をしてきた。今更、彼が私に心を許してくれるとは思えない。国王が決めた婚約でなければ婚約破棄したかったはずだ。
アーサーは王配として、次代の「王」として必要な人間だ。離縁はしてあげられない。
「代わりに、叶えてほしい事が、たった一つだけあるわ」
私はアーサーを真っ直ぐに見つめて言った。
「私はアルバートを、弟を死なせたくないの。だから、この国の慣習を変えるために力を貸してほしいの」
弟を死なせたくない。
そのためなら何だってするし、何だってできる。
大切な弟を死なせないためには、この国の悪しき慣習を変えるためには、アーサーが必要だ。
私のこの望みを叶えてくれるのなら……彼に愛人ができた時、どれだけ胸が痛んだとしても黙認する。
私は今まで王女としての責務を怠り、愛する婚約者と自分を慕ってくれている事にも気づかなかった弟に全てを押しつけて逃げようとしていた。
愛する男性と幸せな家庭を築きたいという幼い頃からの夢は諦めた。アーサーとは絶対に無理だと悟ったからだというのもあるけれど、それ以上に願うべきは弟の命と幸福だと思ったからだ。
自分が享受すべきだった愛を奪った姉をアルバートは、ずっと慕ってくれていたのだ。
そんな弟を犠牲にして全てを放り出したり、女王になるなどできるはずがない。
だから、私自身の幸福よりも弟の命と幸福を優先する。
「……ずいぶんと好き勝手な事を」
アーサーは何とも冷たい目で私を見返していた。
どうして、そんな目を向けられなければならないのか、疑問に思うよりも心が凍りつきそうな冷たい眼差しに私は固まっていた。
「……私以外の人間の言葉は信じるし、力にもなろうとするくせに」
アーサーは私に近づいてきた。婚約破棄宣言したあの夜と同じで、優雅な足取りは獲物を追い詰める肉食獣のようだった。
アーサーは私の体を樹の幹に押しつけると間近から覗き込んできた。
「……どうして、私の言葉だけは信じないんですか?」
そう言ったアーサーは怒っているというよりは悲しそうだった。
「……信じられる訳ないでしょう? 信じなくても構わないなどという人のどこを信じろというのよ?」
アーサーは「信じなくても構いません」と言い、私と真剣に向き合ってくれた事がなかった。
それは、今までの私のせいだと、よく分かっている。
見抜かれていたとしても、私は偽りの自分としてしかアーサーに接した事がないのだ。そんな婚約者に真剣に向き合えるはずがない。
「……貴女は私がどれだけ言葉を尽くしても信じないでしょう」
アーサーは醒めた眼差しで言った。
「……言葉だけなら何とでも言えるもの」
「……そうですね」
アーサーは長い睫毛を伏せると、長い指で私の顎をしゃくった。
「それでも、貴女は私と結婚すると言った」
私は、ただ間近に迫るアーサーの黒い瞳を見ていた。
「その理由が王女として生まれた義務を果たすためでも、弟の命を救いたいからでも構わない」
唇が触れるほど近くで、アーサーは囁いた。
「貴女さえ手に入るなら、私はそれでいい」
アーサーにとっては私のあの態度が演技だろうが、そうでなかろうが、どうでもいいのだろうけれど、私は謝りたかった。少しでも自分の心を軽くするための自己満足だと分かっていてもだ。
「リズ?」
聡明なアーサーも、なぜ突然私が謝ってくるのか理解できないのだろう。今まで無表情でいたその美貌に初めて困惑が浮かんだ。
「謝罪で、あなたにした事が全て許されるとは思っていないわ」
今までのアーサーに対する態度だけではない。公衆の面前での婚約破棄宣言と妊娠発言など、彼の男性としてのプライドを著しく傷つけたのだ。到底許される事ではないだろう。
だが、それでも――。
「女王になると決めた以上、あなたと結婚するし、あなたの子供も産む。離縁はしてあげられないけど……あなたが愛人を作っても黙認するわ。生涯を私という身勝手な女に縛られるのだから、なるべくあなたを煩わせないようにする」
アーサーとの婚約破棄に利用するために愛を囁いてきた馬鹿の恋人になった。
実際には身も心も許さなかったけれど、世間的には婚約者を裏切ったのだ。彼が愛人を作っても駄目と言えるはずがない。
それを抜きにしても、アーサーには幸せになってほしいのだ。本当は私がそうしたい。彼と幸せな家庭を築きたい。
けれど、私では駄目なのだ。演技とはいえ、またそれを見抜かれていたとしても、彼に対して、ひどい言動をしてきた。今更、彼が私に心を許してくれるとは思えない。国王が決めた婚約でなければ婚約破棄したかったはずだ。
アーサーは王配として、次代の「王」として必要な人間だ。離縁はしてあげられない。
「代わりに、叶えてほしい事が、たった一つだけあるわ」
私はアーサーを真っ直ぐに見つめて言った。
「私はアルバートを、弟を死なせたくないの。だから、この国の慣習を変えるために力を貸してほしいの」
弟を死なせたくない。
そのためなら何だってするし、何だってできる。
大切な弟を死なせないためには、この国の悪しき慣習を変えるためには、アーサーが必要だ。
私のこの望みを叶えてくれるのなら……彼に愛人ができた時、どれだけ胸が痛んだとしても黙認する。
私は今まで王女としての責務を怠り、愛する婚約者と自分を慕ってくれている事にも気づかなかった弟に全てを押しつけて逃げようとしていた。
愛する男性と幸せな家庭を築きたいという幼い頃からの夢は諦めた。アーサーとは絶対に無理だと悟ったからだというのもあるけれど、それ以上に願うべきは弟の命と幸福だと思ったからだ。
自分が享受すべきだった愛を奪った姉をアルバートは、ずっと慕ってくれていたのだ。
そんな弟を犠牲にして全てを放り出したり、女王になるなどできるはずがない。
だから、私自身の幸福よりも弟の命と幸福を優先する。
「……ずいぶんと好き勝手な事を」
アーサーは何とも冷たい目で私を見返していた。
どうして、そんな目を向けられなければならないのか、疑問に思うよりも心が凍りつきそうな冷たい眼差しに私は固まっていた。
「……私以外の人間の言葉は信じるし、力にもなろうとするくせに」
アーサーは私に近づいてきた。婚約破棄宣言したあの夜と同じで、優雅な足取りは獲物を追い詰める肉食獣のようだった。
アーサーは私の体を樹の幹に押しつけると間近から覗き込んできた。
「……どうして、私の言葉だけは信じないんですか?」
そう言ったアーサーは怒っているというよりは悲しそうだった。
「……信じられる訳ないでしょう? 信じなくても構わないなどという人のどこを信じろというのよ?」
アーサーは「信じなくても構いません」と言い、私と真剣に向き合ってくれた事がなかった。
それは、今までの私のせいだと、よく分かっている。
見抜かれていたとしても、私は偽りの自分としてしかアーサーに接した事がないのだ。そんな婚約者に真剣に向き合えるはずがない。
「……貴女は私がどれだけ言葉を尽くしても信じないでしょう」
アーサーは醒めた眼差しで言った。
「……言葉だけなら何とでも言えるもの」
「……そうですね」
アーサーは長い睫毛を伏せると、長い指で私の顎をしゃくった。
「それでも、貴女は私と結婚すると言った」
私は、ただ間近に迫るアーサーの黒い瞳を見ていた。
「その理由が王女として生まれた義務を果たすためでも、弟の命を救いたいからでも構わない」
唇が触れるほど近くで、アーサーは囁いた。
「貴女さえ手に入るなら、私はそれでいい」
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