上 下
58 / 86
本編

58 名前は呼べない(国王視点)

しおりを挟む
 初夜で、妾妃と、メアリー・シーモアと対面した時、俺の予想は正しかったのだと確信した。

 儚げでたおやかな印象の絶世の美少女。

 大抵の男なら、その彼女の見かけに心を奪われ、彼女の中身、酷薄で冷酷な本性を見抜けなかっただろう。

 幸か不幸か、俺は愛されなければ愛せない(子供達リズとアルバート以外だが)、人として何かが欠けた人間だ。どれだけ美しい女性であっても、俺に興味がないなら俺も同じだ。だから、彼女の外見とは裏腹な本性を見抜けたのだ。

 彼女は一見、丁寧に「夫」となった国王おれに接しているが、その淡い緑の瞳は俺の一挙手一投足を冷ややかに観察している。

 俺は王妃と違って脳筋ではないが駆け引きも苦手だ。だから、単刀直入に彼女に言ったのだ。

「お前は、をシーモア伯爵から聞いた上で、国王おれ妾妃つまになったんだよな?」

 俺の全て、俺の呪われた出生の事だ。

「はい。ヘンリー様から命に代えても、あなたをお守りしろと命じられました」

 彼女は俺の突然の質問にも驚かず淡々と答えた。

「嫌じゃないのか? に抱かれて子を産むのは?」

 嫌がる女を無理矢理抱く趣味はない。彼女が嫌だというのなら、王妃にだけ俺の子を産んでもらうつもりだった。

 けれど、シーモア伯爵が国王おれの役に立つだろうと後宮に送ってきた女だ。妾妃つまとしての役割以外で何らかの仕事はしてもらおうか。

「陛下の出生なら、わたくし、気にしませんわよ」

 俺自身、気にした事はなかった。たとえ、人として最大の禁忌の証であっても、罪を犯したのはリックとリズメアリであって俺ではないからだ。それは、二人とも亡くなる間際に言っていた。「罪を犯したのは自分達であってリチャードではない」と。

「不敬を承知であえて言わせて頂きますが、どんな出生であれ、それだけの容姿で実のご両親に愛されて王族として何不自由なく生きてこられただけで、わたくしから見れば充分恵まれていますわ」

 他の人間はどう感じるかは分からないが俺は不敬とは思わなかった。彼女の言葉に納得したからだ。その日一日を生きるだけでも命懸けの人間にとって、出生がどうあれ、王族として何不自由なく生きられる俺は羨望の対象だろう。

「わたくしは両親を知りません。どんな人間達から産まれたか知らないのです。物心ついた時には奴隷商人の許にいて、そんなわたくしを買って、どんな思惑であれ育ててくださったのがヘンリー様です。だから、ヘンリー様のご命令なら、わたくし、ヒヒジジイに抱かれて子を産むのも厭いませんわ。幸い陛下は若い美丈夫ですから」

 彼女にとってシーモア伯爵は奴隷という過酷な境遇から救い出してくれた人間だ。それだけで、彼女にとってシーモア伯爵は「特別」なのだ。

 聡明な彼女は、シーモア伯爵が思惑があって奴隷だった自分を買って育てた事にも気づいている。おそらく俺の役に立つ俺の妻としてだ。

 シーモア伯爵は俺が国王になると分かっていたから彼女を将来の俺の妻として育てた訳ではない。俺が国王である事など彼にはどうでもいいのだ。彼にとっての俺の価値は、愛した、いや、今も愛している女が産んだ息子だというだけだ。

 そう、ヘンリー・シーモア伯爵は、自分の乳兄弟であり俺の生母であるリズメアリを愛しているのだ。彼女が禁忌を犯して俺を産んだ事を知っていても彼女への愛は揺るがないのだ。

 リックに俺の罪(前王と兄弟姉妹きょうだいの殺害だ)を被せる事をしなかったのも、俺が望んだからではなくリズメアリが誰よりも愛した男が死後とはいえ醜聞にさらされるのが嫌だったからだ。

「分かった。それなら、妾妃つまとして国王おれの子を産むだけでなく、他に国王おれの役に立ってみせろ」

 俺は彼女の細い腰を引き寄せ、間近からその美しい瞳を覗き込んだ。

「最初に言っておく。悪いが、お前の名前は呼べない。理由は分かるな?」

 これから抱こうとする妾妃おんなに言う科白ではないが、は、どうしても駄目だった。

 なぜなら――。

お母リズメアリ様に、似た名前だからでしょう?」

 リズー。

「この名前を付けてくださったのはヘンリー様ですが、やはり、リズメアリ様からなのでしょうね」

 俺の予想通り、彼女の名付け親はシーモア伯爵か。奴隷だった彼女を買って養女にしたのだ。彼以外考えられない。

「そうなんだろう。お前とリズメアリは外見は似ていなくても、印象は似ているからな」

 だが、それでも、養女にした女に、愛した女の名前に似た名前を与えるとは、何を考えているのか。

 その時はそう思った俺だったが、奇しくも俺もシーモア伯爵と同じ事をするのだ。




 王妃が娘の名前を自分と同じ「エリザベス」にしたという報告を受けた後、こう言われた。

「エリザベスなら愛称が多いですが、陛下は何がいいですか?」

 エリザベスの愛称の一つは確か――。

「――リズ」

 しか思いつかなかったのだが、言った後、後悔した。

 この娘は、同じ血を引き酷似した容姿だが、リズメアリではないのだ。

 同じ名前(この場合は同じ愛称だが)を与えられるつらさを俺は誰よりも知っているのに――。

 俺の形式上の母親、前王妃アリエノールは愛した男、リックの名前を俺に付けた。名を呼んでも、それは「俺」に向けられたものではなかった。胎児からの記憶があるのでアリエノールを「母」と思った事など一度もなかったが、それでも自分を通して誰かを見る眼差しや呼び名は気分がいいものではない。

「あ、いや、お前の好きなように呼べばいい」

「リズですか。いいと思います」

 本当に嬉しそうに笑う王妃に、「やめろ」とは言えなくなった。

 リズは名前も愛称も王妃が付けたと思ったようだが、愛称は俺が付けたのだ。

 けれど、俺は自分が付けた愛称だけでなく名前も呼べず、人前ではリズを「お前」か「王女」としか呼べなくなった。

 俺はアリエノールとは違う。いくら同じ血を引き酷似した容姿でも、娘と生母リズメアリを同一視などしない。

 だから、同じ愛称は呼べないし呼ばない。

 生物学上以外で父親だと認めていない俺から名前や愛称を呼ばれなくてもリズが傷つく事などないだろう。

 それだけは救いだった。







 



































 













しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

処理中です...