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本編
54 貴方のためじゃない(国王視点)
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王族の、まして国王の私室の扉の前には衛兵がいるものだろうが、このテューダ王国に限っては存在しない。
代々の国王や王族が護衛のためとはいえ、扉一枚隔てた向こうで常に気配を窺われているのは落ちつかないと嫌がったからだ。
王宮の周囲を近衛兵が守っているし、何より《脳筋国家》と揶揄される国の王族だ。暗殺者などに、あっさり殺されたりなどしないのだ。
ともかく、お陰で簡単に目的を達成する事ができた。
「……リチャード」
普段の優雅さをかなぐり捨て扉を乱暴に開けたリックは、この場の惨劇を見て呆然と呟いた。
大急ぎで来たのだろう。いつもは、きちんと整えられている短い黒髪が乱れ肩が上下している。
それでも、彼に、この惨劇は止められなかった。
国王の私室、この国で最も安全でなければならない場所で、あってはならない事が起こったのだ。
十五歳の俺は、血塗られた剣を手にリックと対峙していた。
まさに俺の十五年後を思わせる容姿のリックは、俺と同じ紫眼を瞠って俺の背後、壁に背を預けて座り込んでいる死体を、父親を凝視していた。
天才的な戦術で周辺諸国を併呑し、テューダ王国の領土を拡大していたハインリッヒ王。
そして明日、北の大国、ラズドゥノフ帝国に攻め込み勝利すれば、まさに大陸統一を成し遂げられただろう。
けれど、彼のその夢は潰えた。
形式上は息子、真実は孫である俺の手に掛かって死んだのだ。
ハインリッヒ王は五十近くなっても覇気に満ちた美丈夫だった。
けれど、その死体の顔は苦悶に満ち、威厳のある王であった男とは思えないほど、ひどいものだ。
俺が剣を突きつけても冗談だと思ったのか笑っていた。
実際に、俺が彼の心臓を剣で刺し貫いて、ようやく理解したようだった。
最期まで信じられないといいたげに俺を見ていた。
自分は実の息子に刺客を送り続けていたくせに――。
どの宗教でも二大禁忌である親殺しと近親相姦。
だから、たとえ自分が息子に刺客を送っても、絶対に我が子達は自分を殺さないと思い込む事ができたのか?
けれど、生憎、俺はためらわない。
俺は呪われた人間だ。どれだけ罪を重ねようと何とも思わない。
「……父上を殺したのか?」
「見ての通りだ。リック」
この現場を見れば明らかだのに訊いてくるリックに俺は笑った。
「……兄弟姉妹も殺したな」
正確には彼らは俺の叔父や叔母だけれど。
リックの言う通り、ハインリッヒを殺す前に、兄弟姉妹を何とか一堂に集めて、あらかじめ仕掛けていた爆弾で彼らを殺した。
「……私だけは、あの場に呼ばなかったな」
そう、リックだけは呼ばなかった。
「勘違いするな。貴方を殺さないために、呼ばなかったんじゃない」
俺は血まみれの剣をリックに突きつけた。
リックはハインリッヒと違って「冗談だろ」と笑わなかった。真摯な顔で俺を見返している。
「爆弾なんかじゃなく、俺がこの手で殺す」
ハインリッヒは俺に限らず、公式でも二十人いる我が子全員に無関心だった。国王としては優れていたかもしれないが父親としては最低だった。実の息子に刺客を送るくらいなのだから。
リズメアリとリックが姉弟の一線を越えてしまったのは仕方ないのかもしれない。互いしか信じられる者がいなかったからだ。
リズメアリは美しく聡明な女性だったが《脳筋国家》と揶揄されるほど武術が盛んなこのテューダ王国の王女にしては体が弱かった。その彼女が女王になろうとしても誰も認めないだろう。初めから王位に就く事ができない彼女を気にする者などほとんどいなかったのだ。
リックは唯一王位を巡って争わずに済む双子の姉にだけ信頼と安らぎを見出し、リズメアリもそんな双子の弟だけを慈しんだ。それがいつしか許されぬ想いになってしまったのだ。
リズメアリが自分の死を偽装したのは自分の弱い体では出産に耐えられないと思ったからだ。予想に反して、彼女は二十歳、俺が五歳まで生きる事ができたが。
最愛の女が命懸けで産んだ我が子、形式上は異母弟である俺をリックは可愛がってくれた。俺を愛する男の身代わりにしかしない形式上の母親から俺を引き離し、きちんと教育してくれた。
俺の父親はリックだ。生物学上だけで認めているのではない。
実の息子とはいえ、こんな俺を愛して育ててくれたからだ。
だから、俺は――。
俺は剣を振り上げた。
「……なぜ、俺と戦わない?」
俺は振り上げた剣を彼の喉元で止めた。
リックは俺の剣を避けようとはしなかった。
「お前こそ、なぜ、私を殺さない?」
父親の死体の傍、こんな状況だというのに、リックは静かな目で俺を見つめた。
「――私のためなんだな?」
「……何の事だ?」
俺は訳が分からないという顔を作った。
「兄弟姉妹を殺したのも……父上を手に掛けたのも、不甲斐ない私ができない事を代わりにお前がやってくれたんだな」
「違う」
俺は声こそ荒げていないが強い口調で否定した。
「俺がそうしたかったから、そうしたに過ぎない。貴方のためじゃない」
自分が犯した罪を大切な人に背負わせたりなどしない。
リックの命を狙う兄弟姉妹とハインリッヒを俺が始末したかったから、そうしたに過ぎない。
断じて、リックのためじゃない。
複数の駆けてくる足音が聞こえた。
俺とリック以外の公式に知られる国王の子供全員が仕掛けられていた爆弾で亡くなったのだ。それを知った部下達が国王に報告しに来るのだろう。
ちょうどいい。彼らが来たのなら――。
俺は剣を握る手に力を込めた。
「国王陛下!」
ばあん! と乱暴に扉が開かれるのと、リックが俺を突き飛ばし、無理矢理剣を奪い取ったのは同時だった。
奪い取った血塗られた剣で床に尻餅をついた俺の喉元に突きつけると、リックは微笑んだ。
「悪いな。リチャード。お前の命と引き換えにして王位に就く気は、私には更々ないんだ」
「リック?」
「リック王子!? これは、どういう事ですか!?」
リックと亡くなった彼の姉の乳兄弟、ヘンリー・シーモア伯爵は、驚いたように栗色の目を瞠った。
「……お前の部下は閉め出せ。リチャードの命が惜しくばな」
シーモア伯爵はリックに言われた通り、自分の部下達を部屋から閉め出した。
緊張した顔で自分を見るシーモア伯爵に、リックは淡々と告げた。信じられない事を。
「私が弟妹達を殺し、父を殺した」
「何を言うんだ!? 兄弟姉妹と国王を殺したのは俺」
「私が殺した」
俺の科白に被せるように、静かだが力強い口調でリックが言った。
「リチャードは止めようとしたが間に合わなかった。いいな?」
覇気に満ちた王の目でリックはシーモア伯爵を見据えた。
気圧されたように頷くシーモア伯爵に満足そうに頷くと、リックは俺に微笑みかけた。
「リズも言っていたが、私とリズだけの罪だ。お前に罪はないし、お前に何かを望んだりなどしない。自分の思う通りに生きろ。お前なら、この国にとって最善の道を選択する王になれると信じている」
――あなたの思う通りに生きて。
なぜ、こんな時に、死ぬ間際のあの人と同じ科白を言うんだ?
止める間もなかった。
リックは血塗られた剣を自分の首筋に当てると一気に引いた。
噴き出る鮮血。倒れる逞しい長身。
俺は、ただ呆然と見ていた。
「リック王子!? 何て事を!?」
シーモア伯爵の驚愕に満ちた大声で我に返った俺は、這うようにしてリックに近づいた。
「リック! 嫌だ! 俺は、こんな事、望んでない!」
兄弟姉妹と父王を手に掛けたのは、俺が王になるためじゃない。
俺は、ただリックに生きてほしかったのだ。
リックがどうしても弟妹と父親を殺せないのなら、俺が手を汚そうと決意した。
リックのためじゃない。
リックは、我が子が手を汚す事など絶対に望まないのだから。
リックがこれから生きるのに、王になるのに、最後の障害となるのは、俺だ。
だから、父王を殺した現場を部下達に見せて、彼らの目の前で自殺するつもりだった。
どうせ生まれるはずのなかった呪われた命だ。
リックを王にするために使われるのなら最高だと思ったのに――。
リックは血に濡れた右手で知らぬうちに涙が流れていた俺の頬に触れた。
「……泣くな。リチャード……これで、ようやくリズのもとにいける」
満足そうに微笑むリックに、俺はたまらず怒鳴りつけた。
「リズの許に逝く前に、貴方には、やるべき事があるだろう!」
そうだ。リックは、これから王として国を治めなければならないのに――。
愛する女の許に逝くには、まだ早い。
「……いいや。わたしのやるべきことは……おわった」
「終わってない! 何一つ終わってないんだ!」
血が流れ続けるリックの首筋を押さえる俺の手に自らの手を重ねてリックは囁いた。
「……リチャード……私とリズの愛しい子」
ぱたりとリックの手が床に落ち、その紫眼が閉じられた。
「……リック? リック!? 嫌だ! 死ぬな!」
俺は血を吐くように叫んだ。
「――父上!」
俺は、リックの、父上の体に取りすがって号泣した。
代々の国王や王族が護衛のためとはいえ、扉一枚隔てた向こうで常に気配を窺われているのは落ちつかないと嫌がったからだ。
王宮の周囲を近衛兵が守っているし、何より《脳筋国家》と揶揄される国の王族だ。暗殺者などに、あっさり殺されたりなどしないのだ。
ともかく、お陰で簡単に目的を達成する事ができた。
「……リチャード」
普段の優雅さをかなぐり捨て扉を乱暴に開けたリックは、この場の惨劇を見て呆然と呟いた。
大急ぎで来たのだろう。いつもは、きちんと整えられている短い黒髪が乱れ肩が上下している。
それでも、彼に、この惨劇は止められなかった。
国王の私室、この国で最も安全でなければならない場所で、あってはならない事が起こったのだ。
十五歳の俺は、血塗られた剣を手にリックと対峙していた。
まさに俺の十五年後を思わせる容姿のリックは、俺と同じ紫眼を瞠って俺の背後、壁に背を預けて座り込んでいる死体を、父親を凝視していた。
天才的な戦術で周辺諸国を併呑し、テューダ王国の領土を拡大していたハインリッヒ王。
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けれど、彼のその夢は潰えた。
形式上は息子、真実は孫である俺の手に掛かって死んだのだ。
ハインリッヒ王は五十近くなっても覇気に満ちた美丈夫だった。
けれど、その死体の顔は苦悶に満ち、威厳のある王であった男とは思えないほど、ひどいものだ。
俺が剣を突きつけても冗談だと思ったのか笑っていた。
実際に、俺が彼の心臓を剣で刺し貫いて、ようやく理解したようだった。
最期まで信じられないといいたげに俺を見ていた。
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どの宗教でも二大禁忌である親殺しと近親相姦。
だから、たとえ自分が息子に刺客を送っても、絶対に我が子達は自分を殺さないと思い込む事ができたのか?
けれど、生憎、俺はためらわない。
俺は呪われた人間だ。どれだけ罪を重ねようと何とも思わない。
「……父上を殺したのか?」
「見ての通りだ。リック」
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リックの言う通り、ハインリッヒを殺す前に、兄弟姉妹を何とか一堂に集めて、あらかじめ仕掛けていた爆弾で彼らを殺した。
「……私だけは、あの場に呼ばなかったな」
そう、リックだけは呼ばなかった。
「勘違いするな。貴方を殺さないために、呼ばなかったんじゃない」
俺は血まみれの剣をリックに突きつけた。
リックはハインリッヒと違って「冗談だろ」と笑わなかった。真摯な顔で俺を見返している。
「爆弾なんかじゃなく、俺がこの手で殺す」
ハインリッヒは俺に限らず、公式でも二十人いる我が子全員に無関心だった。国王としては優れていたかもしれないが父親としては最低だった。実の息子に刺客を送るくらいなのだから。
リズメアリとリックが姉弟の一線を越えてしまったのは仕方ないのかもしれない。互いしか信じられる者がいなかったからだ。
リズメアリは美しく聡明な女性だったが《脳筋国家》と揶揄されるほど武術が盛んなこのテューダ王国の王女にしては体が弱かった。その彼女が女王になろうとしても誰も認めないだろう。初めから王位に就く事ができない彼女を気にする者などほとんどいなかったのだ。
リックは唯一王位を巡って争わずに済む双子の姉にだけ信頼と安らぎを見出し、リズメアリもそんな双子の弟だけを慈しんだ。それがいつしか許されぬ想いになってしまったのだ。
リズメアリが自分の死を偽装したのは自分の弱い体では出産に耐えられないと思ったからだ。予想に反して、彼女は二十歳、俺が五歳まで生きる事ができたが。
最愛の女が命懸けで産んだ我が子、形式上は異母弟である俺をリックは可愛がってくれた。俺を愛する男の身代わりにしかしない形式上の母親から俺を引き離し、きちんと教育してくれた。
俺の父親はリックだ。生物学上だけで認めているのではない。
実の息子とはいえ、こんな俺を愛して育ててくれたからだ。
だから、俺は――。
俺は剣を振り上げた。
「……なぜ、俺と戦わない?」
俺は振り上げた剣を彼の喉元で止めた。
リックは俺の剣を避けようとはしなかった。
「お前こそ、なぜ、私を殺さない?」
父親の死体の傍、こんな状況だというのに、リックは静かな目で俺を見つめた。
「――私のためなんだな?」
「……何の事だ?」
俺は訳が分からないという顔を作った。
「兄弟姉妹を殺したのも……父上を手に掛けたのも、不甲斐ない私ができない事を代わりにお前がやってくれたんだな」
「違う」
俺は声こそ荒げていないが強い口調で否定した。
「俺がそうしたかったから、そうしたに過ぎない。貴方のためじゃない」
自分が犯した罪を大切な人に背負わせたりなどしない。
リックの命を狙う兄弟姉妹とハインリッヒを俺が始末したかったから、そうしたに過ぎない。
断じて、リックのためじゃない。
複数の駆けてくる足音が聞こえた。
俺とリック以外の公式に知られる国王の子供全員が仕掛けられていた爆弾で亡くなったのだ。それを知った部下達が国王に報告しに来るのだろう。
ちょうどいい。彼らが来たのなら――。
俺は剣を握る手に力を込めた。
「国王陛下!」
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「悪いな。リチャード。お前の命と引き換えにして王位に就く気は、私には更々ないんだ」
「リック?」
「リック王子!? これは、どういう事ですか!?」
リックと亡くなった彼の姉の乳兄弟、ヘンリー・シーモア伯爵は、驚いたように栗色の目を瞠った。
「……お前の部下は閉め出せ。リチャードの命が惜しくばな」
シーモア伯爵はリックに言われた通り、自分の部下達を部屋から閉め出した。
緊張した顔で自分を見るシーモア伯爵に、リックは淡々と告げた。信じられない事を。
「私が弟妹達を殺し、父を殺した」
「何を言うんだ!? 兄弟姉妹と国王を殺したのは俺」
「私が殺した」
俺の科白に被せるように、静かだが力強い口調でリックが言った。
「リチャードは止めようとしたが間に合わなかった。いいな?」
覇気に満ちた王の目でリックはシーモア伯爵を見据えた。
気圧されたように頷くシーモア伯爵に満足そうに頷くと、リックは俺に微笑みかけた。
「リズも言っていたが、私とリズだけの罪だ。お前に罪はないし、お前に何かを望んだりなどしない。自分の思う通りに生きろ。お前なら、この国にとって最善の道を選択する王になれると信じている」
――あなたの思う通りに生きて。
なぜ、こんな時に、死ぬ間際のあの人と同じ科白を言うんだ?
止める間もなかった。
リックは血塗られた剣を自分の首筋に当てると一気に引いた。
噴き出る鮮血。倒れる逞しい長身。
俺は、ただ呆然と見ていた。
「リック王子!? 何て事を!?」
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「リック! 嫌だ! 俺は、こんな事、望んでない!」
兄弟姉妹と父王を手に掛けたのは、俺が王になるためじゃない。
俺は、ただリックに生きてほしかったのだ。
リックがどうしても弟妹と父親を殺せないのなら、俺が手を汚そうと決意した。
リックのためじゃない。
リックは、我が子が手を汚す事など絶対に望まないのだから。
リックがこれから生きるのに、王になるのに、最後の障害となるのは、俺だ。
だから、父王を殺した現場を部下達に見せて、彼らの目の前で自殺するつもりだった。
どうせ生まれるはずのなかった呪われた命だ。
リックを王にするために使われるのなら最高だと思ったのに――。
リックは血に濡れた右手で知らぬうちに涙が流れていた俺の頬に触れた。
「……泣くな。リチャード……これで、ようやくリズのもとにいける」
満足そうに微笑むリックに、俺はたまらず怒鳴りつけた。
「リズの許に逝く前に、貴方には、やるべき事があるだろう!」
そうだ。リックは、これから王として国を治めなければならないのに――。
愛する女の許に逝くには、まだ早い。
「……いいや。わたしのやるべきことは……おわった」
「終わってない! 何一つ終わってないんだ!」
血が流れ続けるリックの首筋を押さえる俺の手に自らの手を重ねてリックは囁いた。
「……リチャード……私とリズの愛しい子」
ぱたりとリックの手が床に落ち、その紫眼が閉じられた。
「……リック? リック!? 嫌だ! 死ぬな!」
俺は血を吐くように叫んだ。
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