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本編
36 最初から実らない恋だった2(エリオット視点)
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あの「凄まじい圧力」の後、アーサーと同じ空間にいるのが耐えられず、お茶会の会場になっている王宮の庭の外れにある林に逃げ込んだ俺は先客に気づいた。
「うわーん! わざと嫌われるようにしているけど、やっぱりつらいよう!」
どう聞いても泣いている女の子の声だった。
女の子は苦手だ。特に泣いている女の子は。
あんまりしつこくまとわりつく少女達の一人に、一度「いい加減にしろ!」と怒鳴って泣かせた事があるのだ。その子の両親も俺の両親も俺を叱る事はなかったが、それでも女の子を泣かせた事は何とも後味が悪かった。
一瞬だけ聞かなかったふりをして通り過ぎてやろうかと思ったが、泣いている女の子を放っておく事は、やはりできなかった。
泣き声に向かって歩き出した俺は、少し離れた場所の樹の根元に座り膝を抱えて泣いている少女に気づいた。
どう声をかけていいか分からず、近くの樹に隠れて様子を窺っていた。
数分後、ようやく泣きやんだ少女は、スカートのポケットからハンカチを取り出し目元をぬぐい始めた。
顔が見えたので、少女が王女殿下だと分かった。
王女殿下は自分の両頬を叩くと活を入れた。
「しっかりするのよ! リズ! アーサーに嫌われるのは、最初から覚悟していたんだから! これくらいで泣いちゃ駄目!」
(……何だって、こんな事を?)
俺は不思議で仕方なかった。
あんな泣きそうな顔で本当は言いたくもない悪態を吐いただけでなく、実際、人気のない場所で泣いていたのだ。
嫌なら言わなければいいのに――。
そう思っている俺に、当然、王女殿下は気づくことなく立ち上がりスカートをはたくと、その場から歩き出した。お茶会に戻るためだろう。
だのに、俺は、この場から動けずにいた。
アーサーと顔を合わせたくないからではない。
何だか落ちつかなかったからだ。
王女殿下は自分が泣かせた訳ではない。
けれど、なぜだろう。自分が泣かせた女の子を見た時以上に心が落ちつかないのだ。
「……何だっていうんだ?」
独りきりの林の中で俺は呟いた。
思えば、俺は、この時、完全に恋に堕ちたのだ。
自分以外の男のために泣いている王女殿下に――。
恐怖のどん底に叩きつけてくれた彼女の婚約者の存在も歯止めにならなかった。
どんな障害があろうと、いつの間にか堕ちるのが恋なのだ。
この出来事以来、俺は王女殿下を観察するようになった。さすがに、また「凄まじい圧力」を向けられたくないので、アーサーが彼女の傍にいない時だけにしたが。
この時はまだ恋の自覚はなく、王女殿下は、ただ「興味を持った女の子」にすぎなかった。
観察しているうちに、王女殿下の言動のほとんどが演技である事が分かった。
そして、人気のない場所に行っては、泣いたり怒鳴ったりしていた。素の自分とは違う人間を演じているのだ(俺だけでなく大半の人間に、それはばれているようだが)。かなりストレスが溜まるのだろう。そうやって、ストレス発散しているのだと分かった。
数ヶ月も王女殿下を見続けていれば、さすがに恋の自覚も芽生えたが、だからといって何かしようとは思わなかった。
……アーサーが怖いからだけではない。
最初から実らない恋だと分かっていたからだ。
国王陛下がアーサーを王女殿下の婚約者にしたのは、彼を王配に、次代の「王」にしたいからなのは誰の目にも明らかだ。それだけ国王陛下はアーサー・ペンドーンという人間を買っているのだ。
だから、王女殿下の夫はアーサー以外の誰もなれない。国王陛下が絶対に認めないからだ。
俺が欲しいのは王女殿下、エリザベス・テューダという一人の女性であって、王配の地位ではない。むしろ、そんなのは絶対にごめんだ。伯爵すら面倒だと思っているのに。
何より、王女殿下の心にはアーサーしかいない。
どんなに努力しても絶対に手に入らない女性だ。
分かっているのに、自覚してしまった恋心を消す事が、どうしてもできなかった。
苦しくて苦しくて、俺は最低な真似をしてしまった。
金で片が付く娼婦か夫との仲が冷え切った貴族女性。その中から王女殿下に似た女性達と恋愛遊戯を楽しむようになったのだ。
そういう女性達だから俺との事は割り切っているのだろうと思い込んでいた。
別れを切り出すのは、いつも女性達のほうで、ただ単に「俺に飽きたんだな」と思っていたのだ。
確かに、そういう女性もいたのかもしれない。
けれど、一方では――。
――遊びなどではなく本気であなたが好きでした。
別れを切り出した後、リジーことエリザベス・グレンヴィルが放った言葉だ。
「あなたのあの方を見る眼差しに惹かれました。だから、人妻になったのを幸い、あなたを誘惑しました」
リジーは俺の心には王女殿下しかいない事、彼女に似ているから自分を情人の一人にした事にも気づいていたのだ。
「……こんな俺を好きになってくれて、ありがとう」
何とかそれだけを言えた俺に、リジーは泣きそうな顔で微笑むとスカートを摘まみ美しい一礼をした。
情人|(だった)が去っても、俺だけは、その場から動く事ができなかった。
周囲では仮初めの恋人達が濡れ場を披露している。一人で立ちつくす俺は、かなり異様だっただろうが全く気にならなかった。
それだけ、リジーに言われた言葉が衝撃だったのだ。
衝撃が去ると、最初に感じたのは猛烈な羞恥だった。
俺はいったい何をしているんだ、と。
最初から実らない恋だと言い訳して、ただ単にアーサーが怖くて、何もしなかっただけではないか。
いや、何もしなかったどころではない。恋心を消せない自分の苦しみしか考えず、王女殿下に似た女性達を弄ぶという最低な真似をしていたのだ。
俺との事は遊びだと割り切っていた女性もいたのかもしれない。けれど、中にはリジーのように、こんな俺を本気で愛してくれていた女性もいたのに――。
こんな情けない俺と違いリジーは、ちゃんと自分の想いに決着をつけた。
想い人の情人になっただけでなく、俺の心に決して消えない爪痕まで残してくれたのだ。
自分の俺への想いを告げただけでなく、俺の心の奥深くに秘めている恋心まで暴いて――。
ただの情人の一人としてしか俺の記憶に残るのが嫌だったのだろう。そうする事で、俺に決して自分を忘れさせないようにしたのだ。
俺より三つ下の少女がそこまでしたのに、俺は何だ?
だから、俺も、この想いに決着をつけようと思った。
……そんな事をしても、俺が弄んで傷つけてしまった女性達への償いになどならないのは分かっている。
それでも、きっぱり振られて、この想いに決着をつける事が俺を想ってくれた情人達への礼儀だと思ったのだ。……これも俺の自己満足に過ぎないのは分かっているが。
俺自身が自覚していない恋心に気づいただけで、あれだけの「圧力」をかけてきたアーサーだ。
振られるのが確実であっても、恋の告白などをしたら……馬鹿従弟以上の制裁をされるかもしれない。
それを考えると怖くてたまらなかった。
けれど、もうこれ以上、情けない自分でいたくない気持ちのほうが上回った。
俺を本気で想ってくれていたリジーや他の情人達に対して恥じない自分でいたかった。
だから、生涯言うつもりはなかった想いを告白する――。
馬鹿従弟の事があるから二人きりで会わないほうがいいのは分かっている。それでも、長年の想いに決着をつけるのだ。王女殿下と二人きりで話したかった。
二人きりになるのは最初で最後だ。
アーサーには不愉快だろうが、これくらい我慢してもらう。
だって、お前は、名実ともに彼女を手に入れる。
俺が決して手に入れられない彼女を――。
「うわーん! わざと嫌われるようにしているけど、やっぱりつらいよう!」
どう聞いても泣いている女の子の声だった。
女の子は苦手だ。特に泣いている女の子は。
あんまりしつこくまとわりつく少女達の一人に、一度「いい加減にしろ!」と怒鳴って泣かせた事があるのだ。その子の両親も俺の両親も俺を叱る事はなかったが、それでも女の子を泣かせた事は何とも後味が悪かった。
一瞬だけ聞かなかったふりをして通り過ぎてやろうかと思ったが、泣いている女の子を放っておく事は、やはりできなかった。
泣き声に向かって歩き出した俺は、少し離れた場所の樹の根元に座り膝を抱えて泣いている少女に気づいた。
どう声をかけていいか分からず、近くの樹に隠れて様子を窺っていた。
数分後、ようやく泣きやんだ少女は、スカートのポケットからハンカチを取り出し目元をぬぐい始めた。
顔が見えたので、少女が王女殿下だと分かった。
王女殿下は自分の両頬を叩くと活を入れた。
「しっかりするのよ! リズ! アーサーに嫌われるのは、最初から覚悟していたんだから! これくらいで泣いちゃ駄目!」
(……何だって、こんな事を?)
俺は不思議で仕方なかった。
あんな泣きそうな顔で本当は言いたくもない悪態を吐いただけでなく、実際、人気のない場所で泣いていたのだ。
嫌なら言わなければいいのに――。
そう思っている俺に、当然、王女殿下は気づくことなく立ち上がりスカートをはたくと、その場から歩き出した。お茶会に戻るためだろう。
だのに、俺は、この場から動けずにいた。
アーサーと顔を合わせたくないからではない。
何だか落ちつかなかったからだ。
王女殿下は自分が泣かせた訳ではない。
けれど、なぜだろう。自分が泣かせた女の子を見た時以上に心が落ちつかないのだ。
「……何だっていうんだ?」
独りきりの林の中で俺は呟いた。
思えば、俺は、この時、完全に恋に堕ちたのだ。
自分以外の男のために泣いている王女殿下に――。
恐怖のどん底に叩きつけてくれた彼女の婚約者の存在も歯止めにならなかった。
どんな障害があろうと、いつの間にか堕ちるのが恋なのだ。
この出来事以来、俺は王女殿下を観察するようになった。さすがに、また「凄まじい圧力」を向けられたくないので、アーサーが彼女の傍にいない時だけにしたが。
この時はまだ恋の自覚はなく、王女殿下は、ただ「興味を持った女の子」にすぎなかった。
観察しているうちに、王女殿下の言動のほとんどが演技である事が分かった。
そして、人気のない場所に行っては、泣いたり怒鳴ったりしていた。素の自分とは違う人間を演じているのだ(俺だけでなく大半の人間に、それはばれているようだが)。かなりストレスが溜まるのだろう。そうやって、ストレス発散しているのだと分かった。
数ヶ月も王女殿下を見続けていれば、さすがに恋の自覚も芽生えたが、だからといって何かしようとは思わなかった。
……アーサーが怖いからだけではない。
最初から実らない恋だと分かっていたからだ。
国王陛下がアーサーを王女殿下の婚約者にしたのは、彼を王配に、次代の「王」にしたいからなのは誰の目にも明らかだ。それだけ国王陛下はアーサー・ペンドーンという人間を買っているのだ。
だから、王女殿下の夫はアーサー以外の誰もなれない。国王陛下が絶対に認めないからだ。
俺が欲しいのは王女殿下、エリザベス・テューダという一人の女性であって、王配の地位ではない。むしろ、そんなのは絶対にごめんだ。伯爵すら面倒だと思っているのに。
何より、王女殿下の心にはアーサーしかいない。
どんなに努力しても絶対に手に入らない女性だ。
分かっているのに、自覚してしまった恋心を消す事が、どうしてもできなかった。
苦しくて苦しくて、俺は最低な真似をしてしまった。
金で片が付く娼婦か夫との仲が冷え切った貴族女性。その中から王女殿下に似た女性達と恋愛遊戯を楽しむようになったのだ。
そういう女性達だから俺との事は割り切っているのだろうと思い込んでいた。
別れを切り出すのは、いつも女性達のほうで、ただ単に「俺に飽きたんだな」と思っていたのだ。
確かに、そういう女性もいたのかもしれない。
けれど、一方では――。
――遊びなどではなく本気であなたが好きでした。
別れを切り出した後、リジーことエリザベス・グレンヴィルが放った言葉だ。
「あなたのあの方を見る眼差しに惹かれました。だから、人妻になったのを幸い、あなたを誘惑しました」
リジーは俺の心には王女殿下しかいない事、彼女に似ているから自分を情人の一人にした事にも気づいていたのだ。
「……こんな俺を好きになってくれて、ありがとう」
何とかそれだけを言えた俺に、リジーは泣きそうな顔で微笑むとスカートを摘まみ美しい一礼をした。
情人|(だった)が去っても、俺だけは、その場から動く事ができなかった。
周囲では仮初めの恋人達が濡れ場を披露している。一人で立ちつくす俺は、かなり異様だっただろうが全く気にならなかった。
それだけ、リジーに言われた言葉が衝撃だったのだ。
衝撃が去ると、最初に感じたのは猛烈な羞恥だった。
俺はいったい何をしているんだ、と。
最初から実らない恋だと言い訳して、ただ単にアーサーが怖くて、何もしなかっただけではないか。
いや、何もしなかったどころではない。恋心を消せない自分の苦しみしか考えず、王女殿下に似た女性達を弄ぶという最低な真似をしていたのだ。
俺との事は遊びだと割り切っていた女性もいたのかもしれない。けれど、中にはリジーのように、こんな俺を本気で愛してくれていた女性もいたのに――。
こんな情けない俺と違いリジーは、ちゃんと自分の想いに決着をつけた。
想い人の情人になっただけでなく、俺の心に決して消えない爪痕まで残してくれたのだ。
自分の俺への想いを告げただけでなく、俺の心の奥深くに秘めている恋心まで暴いて――。
ただの情人の一人としてしか俺の記憶に残るのが嫌だったのだろう。そうする事で、俺に決して自分を忘れさせないようにしたのだ。
俺より三つ下の少女がそこまでしたのに、俺は何だ?
だから、俺も、この想いに決着をつけようと思った。
……そんな事をしても、俺が弄んで傷つけてしまった女性達への償いになどならないのは分かっている。
それでも、きっぱり振られて、この想いに決着をつける事が俺を想ってくれた情人達への礼儀だと思ったのだ。……これも俺の自己満足に過ぎないのは分かっているが。
俺自身が自覚していない恋心に気づいただけで、あれだけの「圧力」をかけてきたアーサーだ。
振られるのが確実であっても、恋の告白などをしたら……馬鹿従弟以上の制裁をされるかもしれない。
それを考えると怖くてたまらなかった。
けれど、もうこれ以上、情けない自分でいたくない気持ちのほうが上回った。
俺を本気で想ってくれていたリジーや他の情人達に対して恥じない自分でいたかった。
だから、生涯言うつもりはなかった想いを告白する――。
馬鹿従弟の事があるから二人きりで会わないほうがいいのは分かっている。それでも、長年の想いに決着をつけるのだ。王女殿下と二人きりで話したかった。
二人きりになるのは最初で最後だ。
アーサーには不愉快だろうが、これくらい我慢してもらう。
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俺が決して手に入れられない彼女を――。
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